江戸時代におけるエンターテイメントでは
落語家が暮らしではやってはいけないこと、これ死体を脅しの道具として儲けるのを舞台で見せたり。
歌舞伎でも暮らしではやってはいけないこと、これ撃ち取った首を利用して舞台で笑いをとったり。
舞台とは本来、非人道的なもの、グロテスクなものをエンターテイメントとして演じる場所であった。(もちろんそれだけでなし)
それは人間誰しもが持つ野性的部分、無理矢理に理性でおさえられた我々の欲望、人間の業みたいなものをごまかす、そういう力があった。
現在の日本で見てみると
エンターテイメントの流れは舞台からテレビに移り変わり
規制がかけられ(クレーマーよ。見たくない番組なら見るな。お前のせいで世の中おかしなっとんのんじゃ。この件はまた今度。)非人道的なグロテスクなエンターテイメントはテレビではできない。ゴールデンでは約15年前のごっつええ感じが最後ちゃうか。
テレビでも、そして本流のテレビに合わせて舞台でも当たり障りのないエンターテイメントを垂れ流している。エンターテイナーがエンターテイナーを無自覚すぎる。もちろん破壊力があることやってる人もいて、そういう人達が好きだし俺自身もそうあり続けたい。
もう一度言う。
非人道的グロテスクなエンターテイメントは理性でおさえられた人間の汚ない欲望を抑える力がある。
残念ながら今、無理矢理理性でおさえられた欲望を満たしているのは
グロテスクな犯罪そのものである
今、我々の欲望を満たしているのは
グロテスクな犯罪そのものだ
俺はとても悲しい本当に悲しすぎる
今日のエンターテイメントってなんのためにあって、一体なんやねん
自覚してやれ
自覚してやれ
俺は立川談志に教えられた
早く気づけよ
立川談志の落語を聞いた俺が
俺こそが全部やる
