巫山戯た前口上ありの記事は朝に書いたので、今回は省略します。
少しシリアスな事もカキコしようと思ったのでブログを更新します。
今はその帰り道なのですが、喧騒の後の静寂に一人で佇んでいるとセンチメンタルな気分がやってきます。
僕は普段、喧騒よりも静寂の中にいる人間です。静寂は嫌いではありませんよ。むしろ好きです。けれど、静かで寂しい静寂の中にいると、喧騒が羨ましくも感じられます。
僕はものぐさで、人間関係を上手くやりくり出来ない人間なので、事大人数で騒ぐのは苦手です。小学生低中学年の頃は率先してバカなことをするやつでしたが、今は中途半端に落ち着いたので内向的な性格になりました
静寂に満足出来ない過去の性格が、今日のような狂乱をなんとかしてくれているような気がします。
ただまあ、喧騒から静寂に帰ってくると、まるで今までの騒ぎが夢のように思えてきます。これはいつもの事で、いつからそれが''いつも''になったのかは記憶にはありません。自分が静寂に来た日からでしょうか。
けれど、「静寂に来た」なんてのは一種の被害妄想です。僕はきっと元からそういう質の人間です。喧騒の中に長く居ただけで。
性格が起因して起こる被害妄想で、僕は友人を失いました。もう今後、彼に友人と呼ばれることは無さそうです。
そんな自分ですから、この祭り囃子の余韻に浸る夜にはセンチメンタルになります。
毎度心の中にこの感情はしまいこみますが、今日はこうして文章にしてみました。
拙い独り言でしたが、こうすることで、僕はまた一つ感情に折合いがつきます。皆さんもぜひ、センチメンタルな夜には自分と向き合ってみてください。何かがはっきりとするかもしれません。
それでは次の記事で会いましょう。あぢゅー〆
