ディオとジョースター家の血統との闘いは、“オリジナル”と“引き継ぐ者”との闘いと言える。また、両者は2つで1つの関係とも言える。
“引き継ぐ者”はその性質上、優位なポジションを受身的に継承するため、“ただこなすだけ”になりやすい。そこへ、“オリジナル”という敵が現れることにより、自分たちが受け継ぐポジションに対して、主体的になろうとする。(それがジャイロ・ツェペリの言うところの“納得”なのかもしれない)なぜなら、“引き継ぐ者”のルーツはそもそも“オリジナル”なのであるから。
一方、“オリジナル”にとって、“引き継ぐ者”は自分の力の完成形(将来)であると考えられる。つまり、“オリジナル”にとって、“引き継ぐ者”に挑むことには意味がある。
cf. リンゴォロード・アゲイン(SBR vol.8)
「おまえは『対応者』にすぎないッ!」