深夜のドキュメンタリーで、耳の聞こえない人たち、ろう者のドキュメンタリーをやっていた。
最初はバベルの話だった。
私は結局バベルという映画を観てないんだけど、
ろう者400人をエキストラとして起用した映画らしい。
その試写会で、ろう者の人たちがバベルを観た時、日本人がしゃべっているところは字幕が出ておらず、
大事な部分で何を言っているのか解らなかったのだ。
ろう者をエキストラで起用しておいて、ろう者用の字幕を出さなかったのだ。
彼らは本当に悔しかったそうだ。
とても悲しい出来事だと思う。
でも、そんなことに気づかないのは、健常者にとっては当たり前の事だとも言える。
字幕製作者も健常者なわけだから、普段どおり字幕を作っていれば日本語に字幕を付けないというのは当たり前のことなのだから。そこまで気付くのは難しいのかもしれない。
「バベルがろう者を起用している映画だから、日本語にも字幕を付けないといけない」という判断が出来る、そこまで気配りが出来る健常者は少ないと思う。
ろう者や盲目の人たちは、私たち健常者が思っている以上に、普段の生活で不便なことが多いという。
例えばタッチパネル。
JRで採用されているタッチパネルは配置された当時、
「おーーーこれすげーじゃん!」
と私は素直に喜んでいた。
勿論今までも何も疑問を抱かずにタッチパネルを使用していた。
けど、目の見えない人は、どれが130円で、どれが290円で、どれが440円なのか解らない。
それを知った瞬間に愕然とした。
健常者には便利になった機械でも、目の見えない人にとっては全くのガラクタなのだ。
むしろ、一層不便になったハズだ。
で、どうするのかというと、タッチパネルの下に申し訳程度についているテンキーを使用するのだそうだ。
乗換とかで清算する時は凄く大変らしい。
テンキーが付いているだけまだマシなのかもしれない。
銀行のATMはテンキーすらない。
今までそんなことに何も疑問を抱いたことが無かった。
盲人の立場に立って切符を買ったことなんてなかった。
ATMだって同じだ。
だから私は字幕製作者に文句を言える立場には無い。
そして緊急放送。
事故が発生して電車が止まるときがある。
そこで「ただいま○○駅で人身事故が発生しました関係で・・・」
と放送されるわけだが、ろう者の人たちにとっては聞こえないわけだから、
何で止まったのかが解らない。
私が使っている中央線で良くあることだが、電車の遅れの関係で
「○番線の電車の方が先に参ります」とか、「この電車は特別快速から普通快速に切り替わりました」とか放送されるが、
そんなことは車内のモニターには表示されない。(・・・と思う)
ろう者の人は音楽も勿論聞こえない。
普通の人なら誰しも自分の好きなジャンルの音楽があったり、好きなアーティストがいたり、
好きなコンサートやライブに行くと思う。
それが耳の聞こえない人にはわからない。
私は音楽が大好きだから、今耳が聞こえなくなったら本当に悲しい。
考えるだけでも辛い。
電車以外でも何か緊急の放送が自分が住んでいる町で放送されたとき、
耳が聞こえればその放送を理解できるが、耳が聞こえない人には全く意味の無い緊急放送になってしまう。
完全に蚊帳の外だ。
日本映画もそうだ。
外国の映画は日本語ではないので字幕が付くが、日本の映画は日本語なので当然字幕が付かない。
でも「当然字幕が付かない」というのは、健常者だから当然なのであって、耳の聞こえない人は見ても理解することが出来ない。
だからろう者の人たちは日本の映画を観れずに外国の映画だけを観るという。
「外国の女優については凄く詳しいのに、日本の有名な女優はさっぱりわからない。
日本のことは全然わからないのに、海外のことはよくわかる。」
と、ある人は言っていた。
彼らはアニメも観れないという。
ある人は、ドラえもんは今まで見たかったけど、字幕がついてないから観れなかった。
最近初めて字幕がついたドラえもんをみて、そして初めてドラえもんに歌があることを知ったという。
目の見えない人は映画自体が観れないじゃないかと言ってしまえばそれまでだ。
しかし、観ることが出来るんだから理解する権利はあると思うのは当然のことだ。
そして、日本人なのに日本の映画が観れないというのは、何よりも悲しいことだと思う。
僕の周りにろう者の人は一人もいない。盲目の人も一人もいない。
だからこのドキュメンタリー番組を見て、初めてそういうことを考えさせられた。
しかしこのドキュメンタリーの中で、一番凄いと思ったのは
バベルに参加したろう者400人をまとめている一人の女性だった。
彼女は健常者だ。けれど、ろう者たちのことを本当にろう者達の立場に立って、ろう者の為に動いている。
ろう者と健常者の間に立って、ろう者にも、健常者にも気を使うことができる人だ。
バベルの日本語の部分にも字幕を付けて貰えるように、署名活動を先頭に立って行い、
配給会社のギャガがそれに応えて日本語にも字幕をつけたことに対して、ろう者の訴えが勝ったんだと思わずに素直にギャガに感謝し、
公開日にはろう者の為に泣いた。
本当に素晴らしい女性だった。こんな人はそうはいないと思った。
その人はいま、全ての映画に対して字幕をつけるような法律が作られるように動いている。
勿論、字幕をつけることによって必要以上のコストが掛かるのは間違いない。
自主制作映画等の超低予算の映画に対して字幕を付けろ言うのは非常に難しい問題だとも思う。
しかし、映画は健常者だけが観れればよいというものでは無いはずだ。
健常者ではない人の生活が少しでも楽になってくれればとこのドキュメンタリー番組を見て思った。
勿論、そのドキュメンタリー番組は全て字幕がついていた。
