おりしも
子猫殺し のことが話題になっている。
つまるところ
飼う飼われる
の関係からは一歩も離れられないのだから、
結局
人のエゴは 何処まで許されるのか
とか
そんなことは 許されない
とか
なんかそんな風になっていってたりして。
許されるって 誰にだろ 何にだろ。
例えば
殺した猫に。
カミサマに。
自分に。
世間に。
生んだ親猫に。
こんなところか。
ロジカルに組み立てていって
正しいを導き出す。
というのは、
屁理屈をこねて都合のいい結論を出す というのと
外から見ると一緒だったりする。
スタート地点があって、ここが正しい とゴールを決めたら
論理的(に見える)道筋を組み立てていって
ほら!と納得する。
これは 技 と呼んでもいい。
いつも文章を書いている人が陥りやすい罠なのかも知れん。
正しいを疑う のは、
案外難しい。
とにかく誰がなんと言ったって
ヒトの考える 命 には どうしようもなくランクがあってしまうのだから、
(当然 猫のよりヒトのが上 なんだよね。
あの動物のために私達を殺すつもりか なんて言う風に
環境保護ん時なんかも時々唐突に出てきて
多くのヒトに 思考停止を起こさせてしまう 「事実」
猫のために死ねる なんてヒトがいたとしても、
それはその人の勝手な事情なのであって、
そもそもそんなものは比べるべくもないものである という
「事実」)
だって
地球のためには ヒト は危険だから少し減らそう とか
人類はまだ(まだ?)そこには至っていないんだし
それが正しい考え方なのかどうかも分からない。
「それは ヒトが中心だと考えるから」
なんていったって ヒトが考えることなんだから
そこが行き着く先だって言うのは しようが無いことだろう。
だから結論を出そうとして
そんなところに行き着いてしまって
(すぐに行き着いてしまうのだし)
不毛 になる前に、
命 を こういう風に扱うのは やめてほしい。
と、そんな気がする。
考えるきっかけになる。
って 口当たりのいい言葉だけれど、
ほんとに そうなんか??
ともあれ
結局わたしゃ 子猫 素通りできんで、
ひろっちまうていどの アタマ のもちぬしなんで あれ
なんだけど、
思わず拾っちまう自分でよかった とも思っている。
と、
ちょっと解らんようになったんで 保留。