こんにちは、MOCOCOです。

 

年末ですね!

大掃除やお買い物、お正月の準備などなど皆さん

あわただしくされていることでしょう。

ちなみに私は、珍しくちょっと風邪っぽい

(アレルギーなのかな?判断がつかない…)。

 

お正月休みに入ったら

気が抜けたんでしょうかねあせるあせる

子供の知恵熱みたいで恥ずかしいですけど

蓄積された心と体の疲れがここへきて出たのかもしれません。。

 

まだ、お正月のお花や玄関飾りなども買ってないのにどうしましょう~

当然大掃除も手を付けてないし、、

困ったものですもやもや

 

 

 

 

さて

前回のブログにて書いたように、

今日は最後のブログです。

愛猫のことで〆たいと思います。

 

よろしくお願いします猫猫

 

 

 

愛猫が亡くなって、先月で一年が過ぎました。

そして、まだ一緒にいます猫

 

 

「こんなに小さくなっちゃった……」

時々、しんみり、します。

 

 

命日は

びーが特に大好きだったフードを

お供えしました。

 

image

 

火葬の時も、

用意した同じものです。

 

美味しく食べてくれたかなあ。。

 

 

 

愛猫の記事、

亡くなるまでのご報告は↓

 

 

 

今日は、

ずっと書く書く、と言って書けなかった亡くなった日のことを書きますね。

そして今日を持って愛猫についての投稿は最後になります。

 

では、どうぞよろしくお願いします。

 

 

・・・・終末期の様子は省略しますので

興味があれば、↑のリンクから辿ってくださいね。

 

 

 

 

 

 

愛猫とのお別れの日

 

 

その夜は、

いつもと同じ、横たわったままの愛猫に

「びーちゃん、お風呂入ってくるね」

と声を掛けて、離れました。

 

私は長風呂で、1時間は入っているので

この日も、そうでした。

 

温まって、びーの元へ行きました。

 

すると、まったく、動いていなかったんです。

すぐ近くに夫もいるのに。

夫はテレビを見ていて全然気づいていない。

 

 

「びー! びー!! びー!!!!」

必死に声を掛けて体を触りました。

注意深く、観察しました。

やっぱり動かない。

 

「びー、死んじゃった」

自分でも吃驚するくらい大きな声で言って、

その声に、遅れて現実を突きつけられた感覚……

 

嘘でしょう?嫌だ!嫌だよ!

頭の中がうるさくて、

 

現実逃避したくて

 

でも、目の前には、動かないびーが……

 

 

「・・・びー、ごめん、

ひとりで逝かせちゃって、ごめん」

 

悲しみと後悔は同時でした。

 

 

あんなに毎日一緒にいて介護し続けたのに

なんでよりにもよって、私がお風呂に入っているときに・・・・

 

それに私も、びーがいつ逝ってもおかしくない状態なのに

いつもと同じに1時間もお風呂に漬かってた、、

 

びーに申し訳なくて、

自分への怒り、悔しさ、悲しさ、

感情がぐちゃぐちゃでした。

 

 

 

 

びーを、コタツ布団から出して、

泣きながら体を拭きました。

 

 

・・・その後の数時間、

なにやってただろう、、

記憶が、ない。。

 

けど、

びーを安置するためのベッドを作ったり

びーの大好きだったものを用意したり

なんだかんだ、していたと思います。

 

 

 

 

寝る時間になって

夫が、

「最後に三人で一緒に寝よう」

と言いました。

 

 

そうして私たちは

びーをお気に入りだったブランケットに包んで

真ん中にしてベッドに入りました。

 

 

ずっと眠れませんでした。

 

『・・・これが最後か』

そう思うと、体を撫でていてもまだ足りなくて

何度もびーを抱き寄せてました。

 

そして日付が変わって、

ふと、私は気づきました。

 

「・・・ねえ、もしかして、まだ、びーって死んでないんじゃないかな」

 

だって、

全然冷たくならない、かたくならない。。

 

 

体は意思を持たなくなったかもしれないけど

まだ死んでないのでは?

 

私はすぐに検索しました。

動物の死は、どの程度で死後硬直が始まるのか。

どの部位から硬直するのか。

体重にもよるようですが、

うちのびーは1㎏台になっているので

普通よりもっと早い。。

 

 

びーが動かなくなってからの時間を逆算したら

もう今頃はとっくに硬直が始まっている時刻。

 

であれば、まだ死んでないんだ・・・・!

 

衝撃でした。

 

 

「・・・よかった、びーをひとりで逝かせたわけじゃなかった」

 

その安堵の中、

まだびーは生きている、という現実の中、

 

私と夫は

びーに寄り添いながら、

その後、浅い眠りにつきました。

 

何度も、

“まだ冷たくない”

“まだかたくなってない”

“大丈夫、まだ死んでない”

 

そうやって意識的に確かめながら

ずっと撫でていました。

 

 

朝がきました。

 

びーの体は、冷たくなって、かたくなっていました。

 

 

「びー、逝ったんだね……」

いつ逝ったのかは重要じゃなくなりました。

 

最期の瞬間まで、

私と夫がびーを抱きしめていたから。

 

愛情を与えたまま、びーをお空に帰すことができたから。

 

 

 

びーの最後の記憶を

自己満足かもしれないけど

愛で満たしてあげられたと思えたので

 

私たちの「ありがとう」と「大好きだよ」は

伝わったと思えたので

 

ほんの少しだけ

救われた気持ちになりました。

 

 

 

 

次の日、火葬しに行きました。

 

 

13時の指定で、

1時間ほど前に着いたので近くの公園で、びーと最後のお別れをしました。

 

葬儀用の箱に入れたびーを膝の上に乗せて

ずっと抱えていました。

 

公園では、

そこから出しては、戻し、

戻しては、出して

何度も抱き上げて頬ずりしました。

名残惜しくて、涙が止まりませんでした。

 

こんな悲しみは

過去にあったかな、って思うほど

耐えがたい悲しみでした。

 

 

 

 

それから数日間は

 

びーを包んでいたブランケットや

びーと一緒に使っていた毛布をずっと抱きしめていました。

 

 

やがて

びーの匂いは静かに消えていって

 

 

その後、ひどいロスになりました。

 

 

 

今も、当時を思い出したら胸が張り裂けそうです。

 

だけど

大切な家族がいなくなったんですから、

それは当然のこと。。

 

 

抱えていくしかないんですよね。

 

 

 

 

 

 

今は20年以上生きる猫ちゃんが増えてきた時代です。

そんな中で、うちのびーちゃんは11年しか生きられなかったけど

看取ることができた、それが私の慰めになりました。

 

過酷な闘病生活がなかったら

『看取る』ということにそこまで拘らなかったかも、です。

うちの場合はちょっと特殊だったと思います。

猫って、死ぬときは誰にもみられないようにひっそりとどこかへ行ってしまう、とか言いますしね。

 

 

大好きで、大切な、私の猫、

 

あのもふもふな温もりも

可愛い鳴き声も

 

一緒に過ごしたすべての時間を

 

ずっと忘れられない

 

 

 

 

忘れないで、

 

私は今日も

日常を過ごしています。

 

 

 

 

 

 

 

今年のご挨拶

 

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ここからは、これまでの感謝を飛び出すハート

 

今年は環境や生活が変わってしまい

時間的にも心理的にも平常運転になれず

更新も停まりがちでした。

去年の、愛猫の介護時は心の余裕がなく

そんな中で交流が途絶えてしまったブロ友さんも多いですが

新しく繋がれたブロ友さんもいて、

ずっと変わらずに仲良くしてくれるブロ友さんもいて、

時間は“普通に”流れているんだなあと、あたりまえのことに感謝ができました。

 

実は、数年前からカテゴリーを変えて再出発したいなあ、と悩んでいました。

アメブロで新しくブログを作ろうかとか、

いや、ここにこだわる必要はないのかな、とか、モヤモヤ考えるようになりました。

まだ具体的なことは決めていませんが、

それを見極めるためにも、来年はブログをお休みしようかと思っています。

 

リアルで私を知っていて、

アメブロにアカウントがない友達、知り合い、元スタッフ……

そういう方たちの訪問が実はブロ友さんより多いことも知っているので、

黙って消えるようなことはしないつもりですが、

お引越しするときも、しないときも、お知らせは出すつもりでいますので

忘れた頃にまた覗いてもらえたらありがたいです!

 

 

これまで本当にありがとうございました!

 

今年のご挨拶というより

今までのお礼になってしまいますが照れ

いつも読んでくださり嬉しかったです。

 

皆様が楽しく、幸せであることを祈っています!

ブロ友さん宅はもちろんこれからも通いますからね!

時々はコメントしにいくのでよろしくねパー

 

お別れではないので

さよならは言いませんよ~

 

 

では、ね。