母が入院していたとき。
私と妹を父が都内まで車で迎えに来てくれたことがあった。
私の家のお米が切れそうだったから、祖父が作っているお米を届けてくれたついでに私たちが父の車に乗って帰った。
私の仕事が終わったのが9時くらいで、父が私の家に着いたのが10時過ぎでそこから今度は妹の家に向かった。
誰も夕飯を食べていなかったので、帰り道の高速道路のサービスエリアで食べようということになった。
車内は至っていつもと同じくだらない話で盛り上がっていたし、サービスエリアに着いても今まで重ねた時間と変わったことはなかった。
3人で普通ににこにこしながらラーメンを食べた。
私は白いシルクのシャツを着ていたのに、味噌ラーメンの汁を飛ばしてしまったり、妹は小さい頃と変わらず食べるのが遅かった。
優柔不断な父に私たちがどれを選ぶかすすめるのもいつもと変わらなかった。
今、母は回復に向かって一日一日元気になって、私たちの状態もあの時よりもだいぶ落ち着いた。
確実に今のほうが全体が良い状態だ。
だからわかる。
あの時の私たち3人はなんてかわいそうだったんだろう。
家族の中心にはいつも母が居た。
それが当たり前だった。
命に別状はなくても、入院しているというだけで私なんかは目の前がいつもよりほの暗く感じられたし、きっとみんな同じように落ち込んでいた。
無理して笑っていたつもりはないし、その時にしてみればくだらない話をしていた事も本当におかしかったのだと思う。
だけどなんて不幸でかわいそうなんだろう。
私たちがそれに気付いていないのが一番かわいそうだった。
あの景色のなかにいる3人を思い出すと胸が締め付けられる。
よく貧しい国の人々の生活を見て、自分達と比べてしまって、こんなに不幸なのにどうして笑ってられるんだろうと思うことがあったが、本人はその状態だけがすべてなんだとわかった気がした。
でもあの景色の中にいる父娘は、私の中で寂しい思い出の一つになっていくと思う。
私と妹を父が都内まで車で迎えに来てくれたことがあった。
私の家のお米が切れそうだったから、祖父が作っているお米を届けてくれたついでに私たちが父の車に乗って帰った。
私の仕事が終わったのが9時くらいで、父が私の家に着いたのが10時過ぎでそこから今度は妹の家に向かった。
誰も夕飯を食べていなかったので、帰り道の高速道路のサービスエリアで食べようということになった。
車内は至っていつもと同じくだらない話で盛り上がっていたし、サービスエリアに着いても今まで重ねた時間と変わったことはなかった。
3人で普通ににこにこしながらラーメンを食べた。
私は白いシルクのシャツを着ていたのに、味噌ラーメンの汁を飛ばしてしまったり、妹は小さい頃と変わらず食べるのが遅かった。
優柔不断な父に私たちがどれを選ぶかすすめるのもいつもと変わらなかった。
今、母は回復に向かって一日一日元気になって、私たちの状態もあの時よりもだいぶ落ち着いた。
確実に今のほうが全体が良い状態だ。
だからわかる。
あの時の私たち3人はなんてかわいそうだったんだろう。
家族の中心にはいつも母が居た。
それが当たり前だった。
命に別状はなくても、入院しているというだけで私なんかは目の前がいつもよりほの暗く感じられたし、きっとみんな同じように落ち込んでいた。
無理して笑っていたつもりはないし、その時にしてみればくだらない話をしていた事も本当におかしかったのだと思う。
だけどなんて不幸でかわいそうなんだろう。
私たちがそれに気付いていないのが一番かわいそうだった。
あの景色のなかにいる3人を思い出すと胸が締め付けられる。
よく貧しい国の人々の生活を見て、自分達と比べてしまって、こんなに不幸なのにどうして笑ってられるんだろうと思うことがあったが、本人はその状態だけがすべてなんだとわかった気がした。
でもあの景色の中にいる父娘は、私の中で寂しい思い出の一つになっていくと思う。