小学校の5,6年は、さすがに学校行事への取り組みには支援はあまり要らなくなってきたが、対人面での特性が濃くなってきた。

多動は表面上は目立たなくなり、騒いだり、席を立ったり、居なくなったり、などはなくなった。

それまで景色だった「周りの子供たち」だったが、支援級の友達や、ゲーム友達など、数人と親しくなり、誰かと一緒に過ごすことを楽しむようになった。しかし基本は一人行動。淋しいなどはなかったみたい。


また、判断をして行動するという、実行機能面では、何もできずに時間だけが終わる、発表などやりたくないことは身体が動かない、自分から助けを求めることもしないなど、困りごとだらけ。

周りの子が成長期、思春期という次のステージに進む中、長男はようやく、好きなことだけ(図工、算数)はみんなと一緒にできるけど、苦手なことは支援が必要だった。


小学6年になると、声変わりして成長期を迎える子もいて、また半面、不登校になる子もポツポツと…

長男は、中身はまるで幼くて低学年の面影だし、なにより周りを見ることがまだできていなかったので、できない自分、やろうとしない自分と向き合うこともなかった故自己肯定感を下げることなかった。

なので、不登校にはならずに、また(人生で初めての)お友達ができたことが嬉しくて、先生以外の安全圏基地をやっと築くことができたようでした。



小学校時代は、先生方と後半にできた数人のお友達のおかげでなんとか卒業。

もちろん私は、発達に数年の遅れがあることに不安を感じながら中学に送り出すのですが…


好きなことは頑張る特性を活かし

算数はいつもだいたい100点

図工は絵画部門で賞状多数

スキーはジュニア検定2級

と、発達の凹を凸で埋めることも

私が頑張って支援してきたところになります。


長男の小1のときの担任の先生が、発達支援相談会を設けてくれて、精神科医に初見でADHDと診断されました。

多動、多弁、衝動

集団授業で座っていられない

体育の授業では抜け出す

移動教室ではいなくなる

興味のあるものに突進する

など、多動傾向が群を抜いていました。


1:1の指示は通るが、全体への指示はほとんど聞き取れていないのと、また、多動によってあまり指摘はなかったけれど「クラスの子供たちを景色として見ている」節があり、友達と遊ぶことが全くなかった。それは保育園の頃からそうだったので、私は、1人でいるのが好きな子なのだと思い込む事で、対人面の問題をあまり考えないようにしていました。


小2の2学期から支援級に在籍しましたが、支援級のほうが怒られずにまあまあ自由に過ごせると思っていたようで、いろんなやらかしがありました。

でも結局のところは、精神科医も「様子を見ていきましょう」としか言ってくれず、私も何もできずに、ほとんど毎日かかってくる学校からの「長男くん今日●●をやらかしました」電話を、耳にタコな状態で聞いては、いちいち長男を叱る、という毎日…

それでも、補助の先生もいてサポート厚めな低学年の頃は、学校にお任せするのが一番、と思って私も余計な口出しをせずに過ごしていました。


小3、小4くらいで困っていたのは、周りの子との差がどんどん開いてしまったこと。

長男は多動、多弁はもちろんのこと、

興味あるものをいじってしまって壊す、

得意な科目は(算数)答えを先取りして答えてしまって発表者の邪魔をする、手紙などの配布物を持って帰らない、授業ノートを書かない、など…

周りを見て行動することができず、まて周りを見ていないから自分ができていないことにも気がついていない、という状態でした。



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私自身のことではないので、これまでSNSで発信はほとんどしてこなかった長男の発達について。

中3になりました。

小1でADHD診断があり、小3からコンサータ服用の支援級利用。知的障害はなく「情緒クラス」に中2の2学期末まで在籍。学校での集団生活に問題がなくなり、支援級は卒業となり、中2の三学期からは5.5年ぶりにフル通常級になりました。そして中3の今、志望校も絞り受験勉強を始めたばかり。また、中学校の行事や部活を通して、中学生らしい青春の1日を日々更新している長男。


長男のことを今まで全く発信する気持ちにならなかったのに、どうして今になって書いていこうと思うようになったのか、それも整理していきます。


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