共依存という病
一般の認知度は低いと思う
あなたのためなら死んでもいいわ
というタイトルの共依存性者の本がある位
分かりやすく言うと
他人軸で人生を生きること
これほど自由な日本という国に生まれ
自由に動かせる手足と思考に恵まれておいて
自分の事には目もくれず、他人の発言、他人の行動に焦点をあて、他人の為に生きる
まさに私の人生でした
私の親友にとても人に尽くす友人がいる
泊まりに行っても食事も3食自炊し、栄養考えて作ってくれる
遊びに出れば必ず自分が車を出すというし、色々奢ってくれようとする
そんな親友と話しこむと、子どもの為に、お客様の為に、両親の為に、パートナーの為に、私には考えられない程尽くす。
そしてそれが生き甲斐だし楽しいという
が!!
一方で『他人がしたことは私がしたことじゃないから知らない!』といとも簡単に切り捨てる
旦那と離婚するのも早かったし、私がギャンブル依存性の旦那の事を相談してた時も
『何をごちゃごちゃ迷ってるの?それはニコチ(私)の問題じゃないのに、何でしらなーいってほっとけんの?』
当時は簡単に言うなと腹が立った
何もわかってくれねえなと不満に思った
だけどそれは彼女が共依存じゃない
健全な魂の持ち主
だから、私の気持ちなど解る訳がないという、ただそれだけのこと
ここのレベルに到達するまで、オギャーと産まれて39年も要した私の人生
今は少しずつ実行出来るようになっている
いたら必ず漁っていた旦那の財布とスマホを見る事は99.5%辞めた←たまに見る
雨の日は靴下が濡れると困るから長靴で行け‼️という子どもに対する様々な強い想いも手放し中
不妊の友人から相談を受けると、図書館で調べまくって、どうすれば妊娠によいのか。
お願いされてもないのに多大なる時間を使い、情報を提供したり、
友達が子どもの事で困ってると知ったら、自分からその問題を引き寄せ、一緒に悩んで解決策で頭を一杯にして考えていたが、それらは所詮、私がどれほど一生懸命になったって、本人にやる気がなければ無意味な事だし、そもそも頼まれてもないそういうことを引き寄せ一生懸命になることも意識的に手放した
ざっと書いてるたったこれだけのことをやめただけでも、
自分の人生めちゃくちゃ楽


そして、自分の為の時間が増えるの
最近、あるブロガーさんの記事を見てると
形は違えど昔の自分を見ているようで、
書いてある事に一喜一憂したり、そして、苦しみから脱する為の提案など、私が解る情報提供のコメントをよくしていた
人には人のペースがあるのは十分に承知しながら、ただ、何らかのきっかけになれば。と思っていたが
余り症状は良くならないし、もしかしたら、負担になっているかもしれないと思って手放す決意をした
ブログを見ると想いが込み上げるのでフォロー事態、辞めた
昔、尊敬する社長が言っていた
『何かを手に入れたければ、どんどん今持っているものを手放していけ』と
『親友だろうがなんだろうがしがみついていてはそこからの前進はない』
何故、一番大切な親友を手放す覚悟をいつも持っていなくてはならないのか?
その意味が全く解らなかったが、今では十分に解る
人は苦しみを背負った分、輝くとは誰が言ったの?
最高の名台詞だと思える‼️