一食を捧げる運動。

わたしがやっている、今もどこかで苦しんでいる誰かのためにできること。

それは、自分が毎食当たり前のようにいただいている食事を一食抜いて、その分かかる食事代を募金として献金する運動です。

もともとは江戸時代に起きた大飢饉のとき、ある僧侶が『自分が食べることを我慢して、飢えに苦しむ民を救いたい』という志で始められた運動だと聞いてます。

日本では30年ほど前から世界の発展途上国や紛争地域で苦しんでいる人びとへの支援の目的で、またこの運動が始められたそうです。

自分が知らないところで誰かが悲しみ、飢えに苦しんでいる。
今まさに被災地では、たくさんの方々が充分な食糧も行き届かずに
1日をおにぎり1個で過ごす人もいます。

おにぎり1個、コンビニで買えば100円程度。吉牛だったら380円。

それらを一食我慢して、被災地の方々と同じ思いでお腹をすかせてみる。

悲しみを分かち合い、同じ苦しみを味わう。

そして、被災地の復興と傷ついた人びとの心が癒えるようにと願って
祈りの募金を届ける。

これがわたしにできる精一杯の気持ちです。

食事を抜くのが困難な人でも、おやつのチョコレートを我慢する、コーヒー1杯を我慢する、タバコを1本我慢する、お風呂上がりのビールを控える

そんな小さなことからでもいいんです。

週に一度でもいい、この一食を捧げる運動が、少しでも多くの人に賛同していただくことができたら…

きっと温かい支援の輪が、とても大きなものになると思います。


【ブログ主より】

この運動の理念に心から賛同していて、特定の団体を支援したい訳ではないので、運動に関するリンクなどは控えます。

日本赤十字社、共同募金会、自治体の窓口やコンビニの募金箱など
まごころのお届け先はご自身で自由に選択の上、募金をお願い致します。
自分の心がささくれ立ってるときに見知らぬ人から優しくされると

どうしようもなく嬉しいのと、優しさが身に染みるあまりに自分の小ささが浮き彫りになってしまうことがある。

今朝、父親の一言にイラッとしてしまい
せっかく『とげまる』を聴きながら自転車でさわやかに出勤しようとしてたのに、浮いた気分が一気にしぼんだ。

父親の一言にイラッとしたことが原因ではなく
そんな父親(現在いろんなところを病んでいる)に優しい言葉のひとつもかけて上げることができない自分にガッカリしている。

ちっせーなー、自分…とか泣きそうにつぶやきながら。

ぼんやりとペダルをこいで、信号が変わりそうな瞬間に
急ごうとしてついうっかりギアを切り替えたとき
チェーンがはずれた。

安物の自転車のせいもあるだろうが、運転がヘタなのか。
買ってから2ヶ月でもう3回目だった。

自転車やさんも開いてない時間、途方に暮れて歩いていたら
前を通りがかったガソリンスタンドの、若い店員さんに声をかけられた。

『どうしたんですか?チェーン?直しましょうか?』

うっかり恋に落ちそうになった。

お兄さんは簡単に直せるような雰囲気だったけど
チェーンは有り得ない形状でもとあるべき場所から離れていて、お兄さんもちょっと苦戦。
10分弱ほどかかったものの、無事に直してくれた。

本当にありがとうございます!!!助かりました、と感謝感激のワタシに対して

『思ったより時間かかっちゃってすみません…』とお兄さん…
涙で目がかすんだ。

お礼に、というにはあまりにも申し訳ないけど
箱入りのインスタントカフェモカがあったので
休憩時間にどうぞ…と渡して

『車のときは絶対こちらでガソリン入れさせてもらいます!』と伝えて、また自転車に乗った。

スタンドのお兄さんからもらった優しさを無駄にしないようにと、大切に自転車に乗ろうと決めた。

自分に直せるならと、心を込めて自転車を直してくれたお兄さんのように
わたしも今日1日、と言わずにできるかぎりずっと
誰かを幸せな気持ちにできる自分にならなくてはと思った。

とげまるとはまったく関係ないけど、自分のなかの悪いとげがまるくなった出来事だった。