自分の性格に疲れた
母親は私が物心つく頃から精神病でした。私が中学1年生のとき、年子の弟が亡くなってしまいました。その病気とは、母親の遺伝子が関係していました。そんな状況に置かれたら、人間誰でもおかしくなります。お母さんに早く元気になってほしくて、何冊も本を読みました。本に書いてあったことを参考に、否定せず、励ましながら、何時間も話を聞きました。小さい時から、ずっと弟が病気だったから、お母さんに甘えた経験はほとんどありません。だけど、自分を押し殺して、必死にお母さんを治そうとしていました。そんな生活は高校生まで続きます。お母さんの話を聞いても聞いても、なかなか終わりがありませんでした。聞いても聞いても、笑ってくれなくて。励ましても励ましても、納得してくれなくて。尽くしても尽くしても、要求はエスカレートしていって。ふと、このままでは自分の人生が進まなくなるということに気が付きました。でも、私には自分との向き合い方がわからないんです。ずっと自分以外の人のことばかり考えてたから。そのことに気が付いた時、悲しくて現実と向き合えなかった。自分と向き合えば向き合うほど、課題にぶつかり、母親からも嫌われていきます。ふと、私の今までの時間はなんだったのか、悲しくなりました。それでも、他人は言います。親を大事にしなさい。お母さんを助けてあげなさい。お母さんを許してあげなさい。私は、他人が恐くなりました。居場所がないより、ここに居たら殺される。くらいの気持ちが強くなり、拒絶反応を起こすようになります。そして、大学2年生のとき、父が亡くなりました。癌が見つかってから、半年のことでした。「なんで、私にばっかりこんな悲しいことが起こるんだろう…」絶望しかなく、真面目に通っていた大学も、熱心に取り組んでいた研究活動も、どうでも良くなり、前に進む気力を失いかけていました。それでも、なんとか続けていた研究活動。私は大小合わせて3つの研究グループに所属していて、うち2つはリーダーでした。そのグループを全く上手くまとめられなかったんです。研究グループには、それぞれに不登校気味の親友がいました。彼女ら、彼らの意見を反映させた上で、研究を成功させたいと躍起になっていました。きっと、それが上手くいけば、親友も喜んでくれると思ったからです。ですが、やっぱり不登校気味の人達なので、意見を言ったそばから大学に来なくなったり、バラバラでした。私は親友のプライドを傷つけずに、研究を形にしたいと模索をしていました。しかし、そんな私の気持ちを知らず、みんなが好き勝手な意見を口にします。もう締め切りは迫っていて、他のグループはまとめの作業に入ってるのに。私がリーダーのグループだけ、完全に遅れていました。焦った私は、徹夜で作業をしていました。私が勝手に決めた!勝手につくった!と言われるのかな…、色んなことを考えていると、なかなか進まず、自分の無能さを毎日突きつけられているような気がしました。そして、パニック障害になったのです。あれから、13年。私は成長したのでしょうか?相変わらず、要領は悪いままです。だけど、これだけは言えます。不器用だけど、1つ1つ向き合って生きてきたなぁって。わたしがもっと気楽な人間だったら、母親も救われたと思います。母親を理詰めすることもなかっただろうし、母親の矛盾を責めることもなかったのかもしれません。だけど、それが私の人生なんです。私は全身全霊で、弟を大切にしました。私は不器用でも、その選択をした自分は間違っていなかったと今でも思います。そして、母と縁を切った時期があるので、あまり誰にも理解してもらえないんですが、母親に対しても誠実に向き合いました。できる限り肯定しました。それで良いです。私は時々、パニックを起こします。仕事や家庭、最近だと卒園アルバムをつくる作業でプチパニックを起こしました。笑自分のキャパの狭さに落ち込むんです。だけど、私には生きる目的があります。それは、人を肯定することなのかもしれません。人の人生って案外短いです。生きている間に、どれだけの人と言葉を交わすのでしょうか。薄っぺらいかもしれませんが、人生で肯定されるのは安心につながります。私は不器用です。だから、心から思うことしか言えません。誤解されることも沢山あります。感じるままに肯定するようにしています。きっと、そんな活動を続けてもきっと自分には返ってこないと思います。見返りを求めてないですが、達成感も特にありません。だけど、やっぱり人を肯定したい、タイトルと関係ない話になりました。うん、こういう自分疲れるだろうな…