たまにはポジティブなことでも書こう。

 

生きていく上で人は色々なイベントを経験し、その結果次第で一喜一憂する。

良い家庭に生まれた、生まれなかった。

良い両親に恵まれた、恵まれなかった。

幼稚園、小学校、中学校のお受験に合格出来た、合格出来なかった。

中間、期末テストで良い点が取れた、取れなかった。

彼氏が出来た、彼氏なんて出来ない。彼氏と別れた。

皆はその都度、勝ち組だの負け組だのと言う。

 

おかしな話だ。

 

例え良い家庭に生まれたとしても、その家庭がずっと良いままであるとは限らない。

良い両親に恵まれたとしても、翌日に両親が事故で死なないとは限らない。

良い大学に入学・卒業出来たとしても、就職に失敗するかもしれない。

良い会社に入れたとしても、リストラに遭うかもしれない。

 

イベントの結果次第で一喜一憂しても、将来はどうなるかなんて誰にもわからない。

勝ち組から負け組へと転落、負け組から勝ち組へと好転。

そんな事はよくある事で、どこにでも転がっている。

本当の勝ち組とは、寿命が尽きるその瞬間に・・・

 

「まぁ、それなりに良い人生だったかな」

 

と笑って死んでいけるような人の事を言うのだと、わたしはそう考える。

死ぬまでは皆、勝ち組だの負け組だのと言っても、道半ばなのだ。

と思ってはいても・・・

 

やはりイベントの結果次第で一喜一憂してしまうわたし。

まだまだ達観出来そうにはないね。

先日の出来事。

わたしは友達と遊ぶ約束をし、友達がわたしの家に来る事になった。

約束の時間に家のインターホンが鳴ったので、わたしは何の疑いもなく友達が来たのだと思い、覗き窓から確認する事なく玄関のドアを開けた。

だがしかし、そこにいたのは友達ではなく2人組の女性だった。

1人は母くらいの年齢の女性、もう1人はわたしよりも少し年上っぽい感じの女性で、一見すると2人の女性は親子のように見えた。

 

「少しお時間頂いてもよろしいですか?」

母くらいの年齢の女性がそう言ってきた。

わたしはもうすぐ来客がある旨を伝え、それを理由にお引き取り願おうと思った。

 

「ではお客さんが来るまでの間、お話をさせてください」

と、母くらいの年齢の女性は自分の都合を押し通そうとしてきた。

 

押しに強くないわたしは、不本意ながらも何となく了承してしまう。

それから女性達は1枚の絵をわたしに見せてきた。

それは人間とライオンとシマウマが草原で仲良く暮らしてるような絵だった。

 

「この絵を見てどう思いますか? 素晴らしいと思いませんか?」

そんな問いかけに、わたしは思ったことをそのまま言った。

「不自然だと思います。ありえないと思います。シマウマは草原で草を食べていればいいですが、ライオンはどうするんですか? まさかライオンにも草だけを食べて生活をしろなんて言わないですよね? 人間もそうです。この絵では人間は栄養的に動物性たんぱく質が摂れないことになります」

 

「いや、だから・・・今はそうかも知れませんが、こういう風になったら、世界がこの絵のようになったら素晴らしいと思いませんか?」

女性達は必死になってわたしに何かを訴えかけようとしている。

「ふむ・・・仮に世界がその絵のようになったとしましょう。捕食者の居なくなった世界では動物達の個体数が増えすぎて食糧不足に陥ると思います。そうなると食糧の奪い合いが起こり、食糧を巡って殺し合いが起こると思います。その絵のようにのんびりした世界にはならないと思います」

 

わたしの言葉を聞いた女性達は呆れたような顔をしている。

「その点は大丈夫です。神様がちゃんとこの絵のような世界にしてくれます」

女性達のその言葉を聞いてわたしは「あぁ、これは宗教の勧誘なんだ」と理解した。

「では尋ねます。神様というのは何故最初からそんな世界を作らなかったのですか? 何故こんな奪い合い殺し合いが当たり前のように起こる世界を作ったのですか? 最初から平和な世界を作っていたら人間も動物も苦しまなくて済んだのに・・・神様はそういう世界を作らなかったのではなく作れなかったのではないですか? あなた方の信じている神様というのは無能ですよね」

 

「これはいけませんね・・・ そんな考えでは、神様の事を悪く言うのでは、この先またノアの大洪水みたいなのが起こった時には、あなたは生き残ることは出来ませんよ」

女性達は脅しともとれるようなことを言ってきた。

 

「ふむ。ノアの箱舟ですか・・・ 神様を信じてなければ助からないですか・・・ つまりは神様が必要としているのは自分を盲目的に信じる人だけですよね? 自分を盲目的に信じて従う人を生かし、それ以外の人間は見殺しにする。それってスターリンやポルポトなどの独裁者と変わらないですよね。つまりはあなた方は独裁者を信じているんですね」

 

と、そこまで話した時に、遊ぶ約束をしていた友達が来た。

わたしは予定していた客が来たことを女性2人組に告げ、引き取ってもらった。

引き取る際、女性2人組は「あなたには絶対的な信心が足りないようですね。これからは毎日来て、神の教えを説きます」と言った。

 

友達が帰った後、わたしはその日あった事を母に伝えた。

本当に毎日来られたら面倒だなと思っていたら、次に来た時には母が応対する事になった。

 

そして次の日、本当にあの2人組がやって来た。

そして母が応対したのだが・・・

 

「要りません、必要ありません、お引き取りを」

その言葉だけで2人組を撃退していた。

母よ、あなたは強かった。

 

人の生というものは苦痛に満ち溢れている。

子を産むということは、その子に苦痛に溢れた生を与えてしまうということ。

だからわたしは将来において絶対に子供は作らないと決めている。

わたしの根幹にあるそんな考え。

最近そんな考えは「反出生主義」だということを知った。

わたしと同じ考えの人がこんなに沢山いたんだ・・・

ちょっと驚いたのがわたしの正直な感想。

 

全ての子供はどんな子供であろうと可愛い。

子供はみんな無条件で愛されるべきだし、みんな幸せになって欲しい。

わたしは子供が大好きだ。

 

だからこそ、わたしは子供を作らないと決めている。

 

 

聖書の中で神が殺した人間の数は約200万人。

ノアの箱舟に乗らなくて大洪水に巻き込まれて死んだ人間を合わせると数千万人。

対して悪魔が殺した人間の数は10人。

 

わたしは無神論者であるが、悪魔崇拝者でもない。

なのでわたしは神、悪魔のどちらにも肩入れはしない。

ただ、妄信的に「神=善」「悪魔=悪」とは考えない方が良さそうだ。

 

何が良い事で何が悪い事なのか、考えれば考える程に分からなくなっていく。

ただ、世間一般で言われている良い事と悪い事、それらを妄信するのではなく、一度は疑い、そして自分の頭でしっかりと考えた方が良さそうだ。

 

常識は時代と場合でどんどん変わっていく。

今世間に溢れている常識は、未来において非常識になっているかもしれない。

 

人が生きる理由、目的についての答えとして、「幸せになるため」という言葉をよく見かける。

でもそれは支配層、富裕層が被支配層、貧困層から搾取するために、被支配層、貧困層を「生」に縛り付けるための都合の良い言葉だとわたしはそう考える。

苦痛にあふれた生にあって、自殺でもされてしまうと搾取対象が減ってしまうから、より多くの被支配層、貧困層に生きてもらわないと支配層、富裕層は困るのだ。

 

宗教についても同じ事が言えると思う。

宗教は支配層、富裕層が、搾取対象である被支配層、貧困層を生かすため、そして暴走させないために作り出されたものだとわたしはそう考える。

 

では人が生きる理由、目的の真理はどこにあるのだろうか。

それは・・・

「1つでも多くの適応力を身に付け、それを遺伝子に刻み込み、後世に受け継がせるため」

だとわたしは考える。

 

太古の昔から生物は殺し合い奪い合いをしてきた。

それは生きるためと同時に全生物の頂点に立ち完成体になるための戦い。

より確実に相手を奪うために筋力を付けたり、鋭い爪を持ったり、毒を持ったり。

敵から身を守るために速い脚力を持ったり、擬態を覚えたりなど。

生物は適応力を身に付け、それを遺伝子に刻み込み、後世に受け継がせて強化してきた。

 

それは人間も同じで、種としてより強く、全生物の頂点に立ち完成体になる事を夢見ている。

でも残念ながらそれは終わりの無い戦いだと思う。

 

例えば、ある病原菌の特効薬が開発されたとしよう。

薬がその病原菌に対して絶対的な効果があったとしても、いずれはその病原菌の中から薬に耐性を持つものが現れるかもしれない。

現にそんな事例は多々ある。

 

人間も、例えば種としてのある欠点を克服出来たとしても、いずれはその克服を越えて人間を脅かすものが出てくるかもしれない。

 

永遠に完成する事のない究極体。

人はその究極体の養分になる事が生きている目的なのだ。

 

でもそれでは何か悔しい・・・

わたしだけは養分から外れて、1人だけでも幸せになってやる!

 

あれ・・・

とすると人が生きる目的って、幸せになる事?

あれ? あれ・・・