雨の日の東条湖。
昔、私がまだ小学生の頃。
仕事の都合で年に数回しか会えない母が
連れて行ってくれると約束したのだけれど
当日に仕事が入ってドタキャン。
私はベッドで泣き伏せって
母は母で聞き分けの悪い娘にキレて
なんとなくバツのついた東条湖。
夫にも子供時代にほとんどレジャーに
行ったことがないという話のついでに
何度か東条湖と母の話をしたことがあるくらい
私にとっては因縁の場所。
そんな東条湖に娘を連れて母と夫と
訪れることになるなんて。
だけど、
この話を覚えていたのは私だけでは
なかったようで
母が現地に着くなり
「ずっとあんたを連れて来てあげたかった」
と話し出した。
ドタキャン事件以来、
母の口から東条湖のトの字も聞いたことはなく
すっかり忘れているのだろうと
思っていただけに意外だった。
なにより自分に都合の悪い話は
基本的に避ける母が、である。
私は「ずっと来たかったよ」と続けた。
母は「よかったね〜!来れて!」と笑顔で言った。
お互い至って明るく話していたのだけど、
胸に刺さっていた小さなトゲが
抜け落ちるのを感じた。
生憎の雨だったけれど、
雨のおかげで相合傘になった母娘は距離も近くて
流れる雨がわだかまりを
すべて洗い流してくれているようだった。
私たち母娘は
思い出がとにかく少なくて
母の手料理を食べたのは
すっかり大きくなってからだし
レジャーの記憶も
片手で数えられるくらいしかない。
私の入学式にも参観日にも母の姿はなかったし
私が子供の当時、こんなに働いている
母を持つ子は少なかったので
とっても寂しかったのを覚えている。
当時はそういった子供のケアなんて
あまり大人が考えているフシがなくて
(うちだけかもしれないけれど)
母が学校行事に来ない事をボヤけば
家族の大人から
「グジグジ無理なことを言うな」と
叱られたし、
当の母も休みは自分の時間として使い
家族と過ごすことはほとんどなかった。
それを思うと昨今の兼業主婦は
すごいなぁと頭が下がる。
子供との時間を大切にしながら
仕事もフルタイムで働き、
学校行事も都合をつけて出席。
昔と今じゃ社会の働く女性への
待遇も違うとは言え、
並大抵の努力ではできないと感じる。
私も娘が成長するにあたって
社会復帰をしなければならない。
果たして本当に家事育児仕事を
熟せるのか。
考えだすと眠れなくなることがある。
娘の母であり
母の娘である私。
母を見て思うことはいつも
自分の娘にどういう母親でありたいか
どういう母親であるべきか。
母がそばにいなくて寂しいという
記憶だけは人一倍ある。
当の母がそれを知っているかはわからない。
本人にその話をしたことはないから。
なので私は娘の「寂しい」という気持ちに
過敏すぎるくらい過敏だ。
家事をするために少し待たせることにも
すごく罪悪感がある。
母のような母にはなりたくないと思って
反面教師にし続けて来た母。
でも抗えば抗うほど
自分でもバランスが取れなくなるのを感じる。
褒められた母ではなかったかもしれないけれど
それでも母は母なりにやっぱり偉大で
子供たちとの時間を削った分、
私では到底稼げない金額のお金を稼いで来た。
一人の女性としては自立していて
理想の生き方なのかもしれない。
母の良いところ悪いところ
全部認めて吸収して
私はどんな母になるのだろう。
せめて20年後に
また娘と東条湖に来られますように。