双極性障害を生きる~ありのままで

双極性障害を生きる~ありのままで

双極性障害を持つ もかのブログ。

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先日、激し腹痛に見舞われた。
どれくらいの痛みかというと、息が詰まり、脂汗を書くレベルである。
最近、ストレスもかなりかかっていたし、ストレスによる過食も激しかったので、消化器がやられたっぽい。でも、便秘でもないし、お腹を下しているわけでもない。左の肋骨の下あたりが、激しく痛む。場所的に、すい臓かも知れない。なんか、これやばい?と思って、近所の病院へ。

運悪く若い研修医にあたってしまった。研修医は、レントゲンと血液検査では、異常がないので異常ありませんと言い切るのである。
激しい痛みを感じてる本人としては、それを聞いて、じゃぁ、なんでもないですねとはならない。
見かねた看護師が、先生痛み止めくらい出しませんか。と言ってくれて、研修医は、じゃぁだします。と言って出てきたのが、カロナール。
それ、頭痛とか筋肉痛とかの痛みに効く薬で、間違っても腹痛ではない。
気休めに出すにしたって、整腸剤とか他にあっただろうと思う。
一瞬、精神疾患だから、仮病だとでも思われたかと思った。最後、看護師にクエチアピン飲んだら?と言われ家に帰された。


帰宅後、救急に行くべきか、もう少し様子を見るべきか悩んで、普段の主治医に電話。
主治医は、私の話を聞いて、いくつかアドバイスをくれた。
カロナールは、絶対飲むべきでないこと。精神的なものではないので、クエチアピン飲んでも意味ないし、うちの夜間救急でも対応できないこと。血液検査やレントゲンでわかるのは、重篤な場合のみであり、それだけ痛いんなら、どこもなんともないってことはありえないので、水分補給のみで、食物を控え、痛みがひどいようなら、救急センターへ。
主治医は、最後に、最近精神の調子はどうかを、穏やかな口調で聞いてくれて、ほんといい先生だと思った。

私は激しい痛みに気づかされた。
このままの生活ではいけないということを。

同じような生活を送っていれば、また同じ痛みを味わう。
もしかしたら、同じではなくて、もっとひどい痛みかも知れない。

今のままではダメだ!という考えは、普段の私はあまり好まない。
普段は、ダメな自分も受け入れようと、思うけれど、今回は、それだとまずい。
それだと、内蔵壊れる。

過食の原因は、一番目にストレスである。二番目にクエチアピンである。

私は、まず二番のクエチアピン対策を考えた。
クエチアピンを飲んだあとに、もうろうとしながら食べることについては、今のところ避けられない。次回の外来で、主治医と相談して、若干減らすことはできるかもしれないが、自己判断での減薬は危険である。
となると、寝る前に食べてしまうのだから、朝、昼を減らすしかない。そもそも、寝る前に食べているので、朝は食べたくないのである。それを、朝昼きちんと栄養バランスよく食べたら、過食治るかも?という仮説で、朝昼夜、夜中、しっかり食べて内蔵を痛めた。
これをきっかけに、朝昼食べないスタイルにチャレンジすることにした。タンパク質を摂取しないと、筋肉減るのはわかってるけど、今は、消化器が弱っているので、それは後回しである。

そして、次に、過食の二つ目の要因、ストレス。
こっちは、ファスティングに見合ったおしゃれな感じのライフスタイルを考えたとき、なんとなくスマホの電源切ってみよ。と思ったのである。
合理的とか、論理的に考えてじゃなくて、なんかそれっぽいという理由である。

実際、スマホの電源を金曜の夜から、月曜の朝まで、落としてみたら、最高に解放された気分で、本当に最高であった。

私の友人の多くは、精神疾患で働いていない。それゆえ、朝昼晩、いつでもLINEやら、メールやら、電話やらが来る。それ以外にも、いろんなアプリから通知がくる。
設定をいじるのも面倒だし、通知をオフにしたところで、ちょっと時間を確認しようと思った時に、やっぱりいろいろ気になったりしてしまう。だけど、電源を落としてしまえば、細かい設定をせずとも、解決である。

以前、快眠アプリのブログで、いろんなストレスになる習慣の土台になってる大きな習慣を取り除くと、一気に解決とあったけれど、私にとって、大きな土台は、スマホであった。
下に大きい石があって、その上に小さい石が乗っている石の山とか、石の塔を想像して欲しい。大き石をどけると、全部がらがらっと崩れ落ちるイメージだ。

減らす事によって、豊かさを得る。
ガラクタを捨てることで、快適さが得られる。
断捨離とか、ミニマリズムとか。
そんな感じ。

でも、わかってても、なかなか実行は難しい。
なんとなく、そうした方が良いと、これしないとやばい!は、全然違う。
私も、激しい腹痛に見舞われなければ、新しいライフスタイルを取り入れようと思わなかった。
私は、週末は、スマホの電源を落とすことにした。
朝昼は、食べないことにした。

その結果、自分を見つめ直す内省の時間ができて、本当に自分が何をしたいか考えたし、将来こうなっていたいから、今これしないとなと、優先順位を付けることができた。優先順位をちゃんとつけたから、今自分がしていることを疑問に思って、不安になることもない。

色々と最高である。

小学校の時の校長先生が言っていた。
「賢者は、愚者からも学び、愚者は、賢者からも学ばず」

読者の方は、内蔵を痛めた愚者である私から、是非、自分の内臓を傷めることなく、ストレス軽減法を学んで欲しい。

スマホの電源を落とすのは、マジでオススメ。
 

もうかれこれ、8ヶ月放置していました。

体調が悪くて、なにか発信しようという気力がゼロでした。

 

読者申請くださった方、コメントくださった方、ほっぽらかしで、ごめんなさい。

 

こんなにほっぽらかしブログなのに

2015年あたりに書いたWRAPのクライシスプランの記事が

Googleで上位に表示されるみたいで、たくさんの方に読んでいただいて、大変恐縮です。

ただ、かなり前に書いた記事なので、自分のクライシスの基準は、今とちょっと違ったりします。

 

最近、ぼちぼちツイッターもやってます。

@moca770099

 

ツイッターと合わせて、ぼちぼち更新していこうと思っています。

 

 

今年最後の記事は、日ごろ支えてくれている友人、家族、病院のスタッフ、福祉スタッフ、訪問看護のスタッフに感謝の気持ちを込めて、一人で頑張ろうとせず、周囲の人に協力を求め、いかに、周囲の人達と共動して、生きていくかということを、テーマに書いてみようと思います。


私が、最近ハマっている心理学者アルフレッド・アドラーは、周りの人といかに協力して生きていくかということが、幸福への鍵だと、記しています。

 

アルフレッド・アドラーって誰?という方も、「嫌われる勇気」の人といえば、わかるかもしれません。

 

心理学者アルフレッド・アドラーの思想に基づいて、岸見一郎さんという日本人の方が書かれたのが、「嫌われる勇気」という本です。

 

私は、今年、6月、岸見さんが書いたこの本に出会って、随分と心が楽になりました。


もともと、WRAP(心の元気回復プラン)や「リカバリー」という概念では、人にいかに助けを求めるかを考える項目があるので、ちょっとは、人と関わっていくことを考えたことはありましたが、「嫌われる勇気」を読み、アルフレッド・アドラーの考え方に触れて、自分の生き方は、もっと人と積極的に関わっていく方向へ変える必要があると思いました。


中には、スタッフになにかしてもらうことや、障害者を支援する公的制度を利用することに抵抗感を感じる人もいると思います。

 

 

そういった抵抗がある人に、是非、今日の話を読んで欲しいと思います。

 

今日は、アルフレッド・アドラーの「人と協力して生きる」ことをテーマにしたいので、公的制度については、今日はあまり触れず、スタッフや家族、友人、地域の人達とどうかかわっていったらいいのか、ということについて書きます。


アルフレッド・アドラーは、人と関わらなければ、確かに、傷つくことはないかも知れないけれども、人と関わることでしか、人は幸せを得られないという事を言っています。

アルフレッド・アドラーのこう生きるべしというアドバイスを、私なりの言葉で表すとしたら、「人は持ちつ持たれつ」です。

 

障がい者は、とかく、「依存」すべきではない。と言われます。

 

一般的には、なんでも、自分の力で、することがよいことのように思われるかもしれません。

 

でも、一般的な人というのは、相互に依存し合って生きています。

 

社会では、仕事を分業し、お互いに、頼ることで、回っています。

 

レストランでは、食事を提供してもらい、クリーニング店では、洗濯をしてもらい、小さな子供は、保育園へ。


社会で、最も、依存的な人というのは、経済的に豊かな人たちです。

 

なのに、なぜ、障がい者だけが、なんでも自分でと言われてしまうのでしょうか。

 

できないことは、出来る人にお願いする。

 

自分の苦手とすることを、人にお願いすることは、恥ずかしいことではないし、ましてや後ろめたいことではありません。


「持ちつ持たれつ」というと、障がい者は、一方的にお世話されるばかりではないかとも思われるかもしれません。

 

人間の価値を経済的な生産性だけで、判断すれば、障がいのある人は、お世話されるばかりになりますが、人の価値は、そこにあること。一緒にいる。存在しているということにあると思っています。

 

これは、かなりわかりにくい話になるので、また後日詳しく。

 

障害を抱える人が、周囲の人と上手く付き合うコツは、だれになにをおねがいするか、です。

 

よくやってしまう失敗の一つは、誰か一人に、すべてを求めてしまうことです。

 

精神疾患を抱える人からよく聞くのは、「家族が分かってくれない」という言葉です。

 

私は、家族に、全てを求めることは酷だと思っています。

 

医療スタッフに求めること、家族に求めるもの、友人に求めるもの。

 

それら一つ一つを、別に考えるべきだと思っています。

 

病気や障がいを抱える苦しみをだれかにわかってほしいという気持ちは、悪いものでありません。

 


ただ、誰に何を理解して欲しいか。

 

誰だったら、理解してくれるのか。

 

私は、当事者でない家族にわかってもらうのは、無理だとは思いませんが、深く理解してもらうには、長い時間と当事者の多大な努力を要すると思っています。


また、家族に、理解して欲しいと思ったら、当事者が、自分の思っていること、感じていること、考えていることを説明する言葉、自分の置かれている状況を説明する言葉を持たなければいけません。

 

障がいや病気を抱えてから、それらの語る言葉を持つまでにも、時間がかかります。

 

私も、今でこそ、こうして、発信する言葉を持っていますが、精神科に通院するようになってすぐは、医師に病状を尋ねられても、上手く答えられなかったし、家族に状況を尋ねられても、上手く答えられませんでした。

 

理解して欲しいと思ったら、自らが語らなければなりません。

 

自分が分かって欲しいと思うことを言葉として語れなければ、相手にわかってもらうことは、難しくなります。

 

言葉を持つためのツールの一つとして、私は以前から、日記をおすすめしています。

 

自分の考えていること、感じていることを言葉にする習慣を付けるのに最適です。

 

信用できるカウンセラーさんがいる場合は、カウンセリングも有効だと思います。

 

なぜそう思ったのかを、カウンセラーさんに訪ねてもらって、自分の気持ちや思考を掘り下げるのは、なかなか自分一人ではできません。

 

 

そうやって、自分を語る練習を重ねることで、周囲の人により自分について深く分かってもらうことができます。

 

人と関わることは、言葉だけではありませんが、言葉にして、こうしてほしいと伝えることで、より良い関係が築けることがあります。

 

人と関わり合いながら生きていくことにこそ、幸福があるとしたら、人と関わることイコール相互依存だとしたら、周囲の人に、自分の思っていること、感じていることを伝える言葉を持つこと、こういうサポートをして欲しいと伝える言葉を持つことこそ、病気や障がいを抱える人にとって、よりよく生きる道なのでないかと思っています。


病気や障がいを抱えると、孤独を感じます。

 

自分ひとりが苦しい思いをしているように思えるような時があります。

 

でも、決してひとりで生きているわけではありません。

 

今日食べたご飯は、どこかの誰かが、育てた作物で、それを運んできた人がいて、それを売る人がいて、調理にかかった電気やガス、水道だって、管理している人が居るわけで、人は、常に人との関係の中で生きています。
 

 

普段、あまり意識をしないかもしれませんが、だれかの力を借りることなしに、人は生きていいないのです。

 

だから、自分の苦手なことを、人に頼むことは、全くもって問題ではありません。

 

 

アルフレッド・アドラーは、人は、人との関係の中で、貢献感を感じたとき、幸せになれると言っています。

 

貢献することで、人が幸福を得るとしたら、必ず、貢献される対象が必要です。

 

貢献すること、貢献されるとことは、表裏一体です。

 

誰かに助けてもらうことは、あなたの幸せにつながりますが、貴方を助けることで、幸せな気持ちになる人もいるということを知っていて欲しいと思います。

 

病気や障害を抱えていると、自分ばかりしてもらっているようで、申し訳ないと思う人もいますが、誰かを助けること、助けられることは、コインの裏表のように、表裏一体で、同じことだと、私は思います。

 

 

人とつながることは、人間の生き方として、よい生き方です。

 

助け、助けられの関係は、よい。

 

そのことを、当事者や当事者と関わる人に伝えたいと思います。

 

今日は、言いたいことがたくさんありすぎて、まとまりがなくなってしまったような気もしますが、普段、私を助けてくれる周囲の人達に感謝を込めて、書いてみました。

 

読者の皆様の一年が素晴らしい一年になるようお祈り申し上げます。