本を読みました。
読書系のSNSでも感想を記載しましたが、
文字数に制限があったため、こちらにも記載。
備忘録的な利用方法ですので、
雑なところはご容赦ください。
まずは、「わかったつもり 読解力がつかない本当の原因」。
あらすじです。
本を読むときに無意識に知識を使っている。
理解したいと思わなかったのは、
ある種のつながりが発見されたから。
では、文章を誤った理解に導くものは何か。
・文章構成によるもの
・題名などから結論を想定してその通りに読んでしまう等
・いろいろあるな、で済ませてしまう等
・読み手のスキーマ(知識常識等と理解)によるもの
・ステレオタイプの理解に合わせてしまう等
・善きもの・・勧善懲悪など
・無難
では、誤読や浅い読みをさけるためにどうしたらよいのか。
結論的にいうと、いろいろな文脈で部分を読んでいくこと。
(部分につながりをつける。まとめるなどと理解)
縦の関係軸だけでなく、横の関係軸でまとめていく感じ(と理解)。
一般的な、良く分からないから分かった状態へ移行する時の過程。
①わからない
②新たな文脈や部分からの新しい意味の引き出し
③矛盾や無関連による分からない状態
(②が発見されることによって、新しい矛盾を発見する状態のことと理解)
④矛盾の関連付けによる、よりわかった状態
読む際には読み手の想定仮定が必要となるわけだが、
仮定を利用する際の制限について。
整合的である限りにおいて解釈を認める。
整合的であるからといって唯一の正解ではない。
不整合である場合には直ちに破棄されなければならない。
以上。
本の終わりにまとめてあるように、
筆者の言いたいことはこのようなことだ。
しかし、私の感想としては、
これらの主張の間に挟まれる例文と主張とのつながりに
少々疑問を抱いた。
途中に正倉院についての長めの文章が挿入されている。
これを6分で2回読む、ということがまず難しい。
これは文章の読み方のくせに関わらず、誤読を誘発する。
それから、ファーブル昆虫記の例。
これはステレオタイプ(無難)な読みの例。
引用文にあるように
「ファーブルは、不思議に思うことがあると、
それを観察してたしかめずにはいられなかったのである」
たしかに引用文の中に、「観察」は出てこない。
筆者が別の案として出している文章の方が、
適切でつながりは良いのではあるが、
ファーブルという人物を考えたときに、
この文章のあとにファーブルの観察による記録がつづく可能性はある。
作者が引用した「部分」を読む限りではたしかに不自然な文章ではあるが、
それこそ読者のスキーマを利用すれば、
この部分を違和感なく読むことは可能であり、
決して間違った読み取りではないのではないか。
また、冒頭に小学生向けの「もし もし お母さん」という話が掲載されている。
筆者は「愛すべきなかなか良い物語」だと述べているが、
私は読んですぐに「なんて悲しい物語だろう」と思った。
もらわれていった子猫たちが、
母親猫におもちゃの電話で近況を電話してくるのだが、
おもちゃの電話で電話をすることは実際には不可能だ。
そう思えば、子猫たちの近況は、母親が見た願望でしかない。
実際にどんな寂しくてつらい思いをしているかは分からないのだ。
それを「愛すべき良い物語」だとは思えなかった。
その点で、冒頭から私はつまづいてしまった。
この点を無視して、この物語から「適材適所」を読み取るのは難しかった。
ただ、試験の問題になるような、
きちんと精査された文章を読む際には、
筆者がまとめたような読み方で読むというのは異議はない。
自分が無意識に行っている読解というものを、
理論的に理解させてくれたという点で、
読んでためになる本だったと思う。