早起きして朝日を浴びて歩いて

毎日に本当感謝できるようになった。



誰とも会いたくない日々だったけど。



行きたい所に行きまくって自然に触れて











いままであまりしてなかった親孝行してみたり
親元離れてもうすぐ20年になろうかと、親とあとどのくらい話せるんだろうか?貴重。

田舎の虫とか草木にも興味をもってしまったり




遠くまで観たいものを見に行って




歴史に触れて、
若い逆らえない命にギュッと手を当てて奮起したんだろうって
強い命だなぁ、家族への別れの手紙に泣いた。



自分は余裕で生かされてる、次選ぶ仕事や他人への愛に自己犠牲してどこまで尽くせるだろうか?やってみたいと思った。
承認欲求がじゃま。


何年も生き続けてる木をみあげて、どこかが欠けても傷んでても堂々と生きてるたくましさに見惚れて


閉じこもってただけの日々に手を

外に連れて行ってくれた人に感謝お願い


相変わらず自覚症状は治ったまま。
あんなに出血してたり、おりものもおおかったのに。
変な話、経血はカスカスくらい少ない。
肺は前から何ともない。


ある程度何事も解明出来る様になってきた時代に生きてるから、スピ系ではないけれども。

祖父が白血病で同じく無治療して、田舎の神社の神主だったので毎日掃除してお祈りをしていたそう。30年生きて最後は90代で一生を終えた。


私も親孝行の回数が増えたので、行く時は掃除とお祈りに。


私なりのどう生きたいか、どう死にたいかは前向きに継続更新中。

誤魔化しが効かない時代、多様性ある時代だから
私みたいな選択する人も増えてくるのかも。


何が正しいかわからない


は、治療しても治療しなくても適用される
施す側もそうだ、今を生きてるからわかんない
個人個人違うから
選択は自分を信じたい。


ダメでも納得出来る自己責任の取り方
なんてキョロキョロ


誤解がないようには、私のは大人しい癌なのかもしれないのと
ビビリなので、治療したほうが死んでしまうって思っていること。

そして、個人個人違うから
他の人への治療完全否定主義ではないのです。