先日、日本とアメリカという番組を見ました。
今回のテーマが日本のマンガやアニメーションが色々な形でハリウッドに進出していて、そのことで起こる問題や、新しいビジネスチャンスについてドキュメントとしてやってる番組がありました。
そこで、あの鉄腕アトムをハリウッドで3Dアニメでやることになって、ハリウッドの制作側と版権をもつ虫プロダクションのやり取りを見ていたんですが、最初に出してきた3Dのアトムの顔が私たちの知る「アトム」とまったく違う顔を提示していたんです。(兄弟のコバルトにそっくり)
大人っぽいアトム
そのデザインになった理由が「マーケティングをした結果、大人っぽいアトムの映像を見たがっているから」だった。
彼らにはアトムの外見は幼すぎるらしいのだ。
しかし虫プロ側は
●アトムはもともと天馬博士の子供の飛雄を似せて作っているので小学生の設定になっているのであり、これはアトムのストーリーの根幹である
●アトムの丸みは純粋無垢な子供のイメージを込めている
という理由で作り直しをさせていました。
最終的にはマーケティングの結果もあるのでどうしても大人っぽいアトムを簡単に諦めるわけにはいかず折衷案ともとれるギリギリのデザインでOKとなっていました。虫プロ側も全てをNOと言わず、相手の気持ちに対して理解を示した上で意見を交換しあった末でのOKだったようです。
さて、
私はこのやり取りと見ていて「マーケティングは簡単に作品そのものも変えうるんだ」と感じていて、それを怖いと思いました。
単純に商品であれば、売れるように改良をすることにあまり抵抗は感じない(というか変えないとマズイ)のですが、こういうアートに近いものにマーケティングを適用すると、アートそのものも変質させてしまうんだな、と背筋が寒くなりました。これでは作者はたまったものじゃないなと。
このケースは版権をもつ虫プロが採集決定権を持っていたので事なきを得たように見えましたが、契約をひとつ間違えればアトムはアトムでない形で世界に配信されていたと思います。
それはビジネスとしては成功するのでしょうが、アトムというブランドは相当に傷ついたのでは?と感じたのです。(あくまで個人の意見ですが)
今はマーケティングが全てだ!なんてよく聞くのですが、本当にそうなんだろうか?と疑問を感じてしまう一件でした。
単純に使い方次第なだけでしょうし、私の認識不足とも思いますがね。。。
今回のテーマが日本のマンガやアニメーションが色々な形でハリウッドに進出していて、そのことで起こる問題や、新しいビジネスチャンスについてドキュメントとしてやってる番組がありました。
そこで、あの鉄腕アトムをハリウッドで3Dアニメでやることになって、ハリウッドの制作側と版権をもつ虫プロダクションのやり取りを見ていたんですが、最初に出してきた3Dのアトムの顔が私たちの知る「アトム」とまったく違う顔を提示していたんです。(兄弟のコバルトにそっくり)
大人っぽいアトム
そのデザインになった理由が「マーケティングをした結果、大人っぽいアトムの映像を見たがっているから」だった。
彼らにはアトムの外見は幼すぎるらしいのだ。
しかし虫プロ側は
●アトムはもともと天馬博士の子供の飛雄を似せて作っているので小学生の設定になっているのであり、これはアトムのストーリーの根幹である
●アトムの丸みは純粋無垢な子供のイメージを込めている
という理由で作り直しをさせていました。
最終的にはマーケティングの結果もあるのでどうしても大人っぽいアトムを簡単に諦めるわけにはいかず折衷案ともとれるギリギリのデザインでOKとなっていました。虫プロ側も全てをNOと言わず、相手の気持ちに対して理解を示した上で意見を交換しあった末でのOKだったようです。
さて、
私はこのやり取りと見ていて「マーケティングは簡単に作品そのものも変えうるんだ」と感じていて、それを怖いと思いました。
単純に商品であれば、売れるように改良をすることにあまり抵抗は感じない(というか変えないとマズイ)のですが、こういうアートに近いものにマーケティングを適用すると、アートそのものも変質させてしまうんだな、と背筋が寒くなりました。これでは作者はたまったものじゃないなと。
このケースは版権をもつ虫プロが採集決定権を持っていたので事なきを得たように見えましたが、契約をひとつ間違えればアトムはアトムでない形で世界に配信されていたと思います。
それはビジネスとしては成功するのでしょうが、アトムというブランドは相当に傷ついたのでは?と感じたのです。(あくまで個人の意見ですが)
今はマーケティングが全てだ!なんてよく聞くのですが、本当にそうなんだろうか?と疑問を感じてしまう一件でした。
単純に使い方次第なだけでしょうし、私の認識不足とも思いますがね。。。