カチラボ


勉強会に通っている手仕事フォーラムの久野さんの随筆が掲載されているということ、先日読んだ『なぜ通販買うのですか』にもこの『暮らしの手帖』のことが書かれていたこともあり、はじめて買ってみた。明らかに女性向け(30代後半以上の人向けかな?)の雑誌だけど、質の高い、いい雑誌だな、と感じた。流行の物や何かが載っているわけではないから特に売れる要素が詰まっているとはざっと見た感じでは分からないのだけど、創刊号の発行が1948年だから今63年目ということになる。そんなに長く続いている雑誌って他にいくつあるのだろうか。


ライフスタイルという言葉はなんか安く、軽い感じがしてあまり好きではないけれど(結構使ってしまっているけど)、カテゴリーに分けるとしたらそういうところに入るのだろうか。これまで僕が読んできたような雑誌はもう少し作られたものというか、日常と少し離れた憧れの世界を描いているようなもの、インテリア系だと「ミッドセンチュリーが熱い!」とか北欧系がどうのだの、ラギッシュがどうとかそういうキーワードに引っかかって買ったようなものだ。暮らしの手帖にはほぼそういった無理やり作られたような言葉や世界は無いようだ。うまく言えないけれど、日常の言葉しか使わず、日常を表現している、ということだろうか。しかし、それで60年以上も続いてきたということならそれはすごいことではないだろうか。皆他の雑誌は売るために必死であらゆる言葉を作り出し、新しい価値を生み出そうとしているわけだから。


ただ、ちょっと矛盾しているようだけど、僕にとっての日常とは真逆の世界だ。平日は9時~0時をほぼパソコンの前で過ごし、土日も大抵仕事関係だったり、どこかに出かけている。たまに料理も作るがそれは気が向いた時にしかやらないから非日常的なことだ。だから今の僕に取っては暮らしの手帖は非日常的な世界なのだけど、本来あるべき姿、生活をそこに感じた。


僕はITの世界にいて、ITありきの生活を送っている。ITをツールとして使いこなしているようで実はそうではないだろうか。暮らしの手帖のような「生活」をみると、実はちゃんとした生活もできてなくて、考えてもいなくて、それでITを使ってきたから、ツールとして使いこなせていなかったのではないか。そんなことを思ったりしたが、これは年齢のせいなのだろうか。僕だけだろうか。もしかすると時代が、多くの人がそういうことを求めだしているかもしれない。だとしたら、そこにビジネスのヒントが隠されていないだろうか。

結局仕事に結びつけることしか考えてない(笑)。