
『 少し前に『小谷眞三の仕事』という本を読みましたが、これが非常に良かったので紹介したいと思います。僕は読書家という程本を読むわけではないので年間に読む本の数は限られていますが、そんな中でも人生や考え方に大きく影響を与えてくれるような、深く感銘を受ける本に時々出会います。この本はそんな中の一冊です。
倉敷ガラスのガラス職人である小谷眞三(こたにしんぞう)さんの本ですが、手仕事フォーラムの勉強会で小谷さんという名前が出ていて、やけに持ち上げられていたので気になっていましたら、たまたまAmazonで本人が書かれている書籍があるのを見つけ、買ってみました。
本人が自分の言葉で書いている本(誰かが聞き取って書いているかもしれませんが)は当たりのことが多くて、安藤忠雄の「建築家」や柳井正の「一勝九敗」、山口絵理子(マザーハウス代表の)の「裸でも生きる」という本は心に残る本でした。
そういった本と比べるとこの本で小谷さんが書かれていることは文章の量では圧倒的に少ないのですが、その中でも十分伝わってくるものがあります。
例えば今でこそ小谷さんの作品はガラス瓶一つ6万円も7万円するのですが、その背景にはなんと16年間もの間クリスマスのガラス玉だけを毎日3千個ぐらい、一個一個吹いて作っていたのだということが書かれていたりして、驚かされます。
「当時作っていたガラス玉は、直径五ミリほどのごく小さいものから直径百ミリくらいのものまで、サイズも色もいろいろです。需要が多かったのは、直径が二十ミリから三〇ミリくらいのもので、毎日二千五百個から三千個くらい一個一個吹いて作っていました。
同じ大きさに作ると一ミリ以上の誤差はありません。厚さも均等です。計って作るわけではありませんが、重さを一個一グラムで作れば、五個を天秤で計ると五グラム、十個で十グラム、もう手が決まっていて、そのくらい正確にできました。吹いて作ったガラス玉は、非常に弾力性があります。石の上に落とすと、ピンポン玉のようにピョーンと跳ね上がって弾みます。
水島から尼崎まで行って、十年ほど続けてガラス玉を作っていると、他に右に出るものがいなくなるくらい上手になり、その後、自宅に窯を築いて独立しました。
通算で十六年間、ガラス玉の仕事をしました。・・・・・」
僕はここのくだりでひきこまれてしまいました。
それから坪井一志さんという接骨医の方からコップづくりを勧められること、元倉敷民藝館館長、外村吉乃助との出会い、コップづくりに生活をかけて試行錯誤を重ねてやっと作ったものが一個百五十円にしかならなくて愕然としたこと、などなどその生みの苦しみがあって今の倉敷ガラスがあるという背景に触れることが出来ます。
職人というものがどういうものか知るうえでも参考になり、またそれだけではなくて見習うべきこと、考えさせられることがありました。民藝に興味がある方だけではななくとも、ものづくりに携わっている人など、読んで損は無いのではと思います。
以下は先日の宮城の鳴子の米フォーラムの際、「みやまの宿」に展示されていた小谷さんの作品です。
もともとは焼き物の器とかが好きなんで、ガラスには興味が無かったのですが、今は手が出ませんが、そのうち手に入れたいと、この本を読んでその価値を感じています。
それから以下はその時の懇親会に小谷眞三さんの息子で同じガラス職人である小谷栄治さんがいらして、出席者にプレゼントしてくれたガラスのコップ。
形もすごく良くて気に入っています。大事にしたい一品です。
すっかりガラスにはまってしまいそうです。