前回のブログは、手仕事フォーラムの勉強会の久野さんのコメントを全て書き起こして掲載してあるので、一応メンバ-のみとしておきました。もし読みたい方がいたらすみませんがメンバー申請をお願いします。まぁそうそういないでしょうが(笑)。興味ある人にとってはかなり勉強になると思います。
さて、先日仕事のあいまに目黒(駅は駒場東大前)の民藝館に行ってきました。
民藝の立役者の一人であり陶芸家の河井寛次郎(かわいかんじろう)の生誕120周年の展示会があったからです。
中でも気に入った作品をメモってきました。
呉須抜絵 茶碗(ごすぬきえちゃわん)
1933年
鉄釉白流蓋付壺(てつゆうしろながしふたつきつぼ)
1930年
呉須辰砂鉄差
花文扁壺
海鼠釉扁壺(なまこゆうへんこ)
1937年
白掛点彩
角瓶
1939年
呉須辰砂鉄差
扁壺
1940年
柿釉足付角鉢(かきゆうあしつきかくばち)
辰砂筒描 花文 角蓋物(しんしゃつつがきかくばこ)
1950年
塗分面取 小坪
1935年
黄釉筒描 ぼん子?
1936年
辰砂丸丈 角瓶
昭和12年
一部分かるものだけふりがなをふりましたが、後は分かりません。民藝館でもふりがなはなくて不親切だなぁと思いましたが、何か意図があるんでしょうかね。
この中でも一番印象に残ったのは、「海鼠釉扁壺(なまこゆうへんこ)」です。
これは、日本民藝協会で発行している「民藝」という冊子(850円。民藝館などで売っています。通販でも購入可。)の2010年8月号がこの「特集 生誕120年河合寛次郎」で、これにも写真付きで掲載されています。
やはり写真でみるとあまり分からないのですが、実物を見るとその造形とか雪どけして岩肌が出ているような釉のかかりかたとか、色合いでぐっとくるものがあります。また大きすぎないのもいいです。上であげた他の物も大体そう大きくない物ですが、あまり大きなものだと存在感はあってすごいなぁとは思うものの、なんだかいかにもという感じであまり好きじゃないです。
あとこれ。
鉄釉白流蓋付壺(てつゆうしろながしふたつきつぼ)。
僕がメモっていたのは、飴釉だったのですが、案内状に鉄釉とあったので、間違っていたのでしょう。
これもそう大きなものではなくて、この凛としたたたずまいとすっきりとした形がいいなぁと思いました。
はじめ気づかなかったのですが、まったく同じような形の物が「民藝」に載っていて、
こちらは鉛釉(なまりゆう)なんだそうです。

しかし、作品を見ながらあらためて思ったことは、あれ?民藝って柳宗悦が言うところでは、普段使いの物で、無名の職人が作った物であるということでということなのですが、どうみても普段使いのものには見えない。これって民藝なんだろうか?という疑問が沸いてくるのですが、これは勉強が足りないのでしょう。書籍で調べたり質問するなどしてみたいと思います。
2010年10月18日 追
Discover Japan TRAVELの「民藝のうつわをめぐる旅」を読んでいたら上のヒントになるようなことが書かれていました。
「民藝とはアノニマスな日用品だけではなく、柳宗悦が美しいと認めたものにもあてはまるという。つまり『民衆的工藝』という言葉が一人歩きしてしまったけれど、『民藝』の本質は、柳宗悦の美の視点を示すものだったのだ。」
うーん、分かったような分からないようなですが、そもそも民藝というものが矛盾をかかえているものだということは分かりました。ただそういう面を否定的に捉えても少なくとも僕にとっては意味が無いので、今のところはそういうものなんだと思うことにして、更に理解を深めていければいいかなと思います。