少し前に
初回の妊婦検診についてかきましたが
それからの妊婦検診はとても順調でした!

なので、妊娠発覚から1ヶ月ぶりに学校へ行きました。
何も変化はなく
誰も何も言って来ませんでした。
みんな、自分の成績しか興味なかったらしいです。

私は今までと何も変わらない生活をしてました!
救急救命士の勉強
英会話など
...体育以外は全て。

予定日の1ヶ月前まで学校にいました!

そして何事もなく、長期休学です!

やっと休みに入る‼
もぅ、嬉しくて嬉しくて
学校から駅までの道は明日から何しよう?
なんて考えてました!

そして、電車を待ってるとき
お腹に痛みが...

いきなり立てないくらいの激しい痛み。

周りにいた人たちが寄ってきて
「どないしたん?大丈夫か?」
など色々声をかけてくれてるうちに
駅員さんが来て
「今、救急車呼びましたから!」
と。


うわ...周りに迷惑かけちゃった...
本当にごめんなさい。



なんて思ってる間に救急車到着。

駆け寄る救急隊。

「どこがどんなふうに痛い?」

と聞かれました。


⦅いや...あの...私、妊婦で陣痛...。⦆

と言ったら

「え...?あの...え?」
まぁ、そーなるよね。

冗談言ってると思われてたので
母子手帳とマタニティマークみせたら
やっと信じてくれたので

⦅◯◯病院で出産予定なんです...たのんます⦆⬅大泣き

わかりました!と言い、担架で救急車の中に入りましたが

あとからお世話になった救急隊の方から
話を聞きましたが

「救急車の中ですごく賑やかだった。僕、胸ぐら掴まれましたし、膝を何度も叩かれましたし、耳がキーンでした。運転手は笑ってましたよ」

と。( *´艸`)


病院に着いてからはあっという間に
陣痛室へ。
1人で心細いのに

まだ4センチだからもう少し頑張って!
って言われ、看護婦さんたちは全員退室。。

痛みが限界で罵声。
⦅おい!誰もおれへんやん!!何しとるんや!誰か来てくれへん!?あんたらがおれへんときに産まれたらどないしてくれんねん!!!!!!!もう産まれるて!きてるきてる!あーもーあかん!ナースのドアホが!⦆

もう、はっきり覚えてます。
今でも思い出して笑ってます!
そして
今までの出産でも必ず豹変してしまいます。

そして、30分ほど罵声、叫び続けて
やっと看護婦さんがきて
「お!7センチ!準備しますね!」

で、私は
⦅やから言うとるやんけ!耳悪いんちゃうか!!!!!!!⦆

まだ叫ぶ。

助産師さんが来ても
⦅はよ産みたいんやけど‼てか、痛いし‼何とかしてくれへん‼?⦆

まだ叫ぶ。


いい加減、叫び疲れて
黙り、ベッド柵を叩いてたら壊れ、痛さで大泣き。


2・3回いきんだときに
「引っ張り出しますね!いきんで!って言ったら強くいきんでください!」
って言われたので
せーの!の合図でいきんだら

ストン(*´∇`*)

と楽になり、赤ちゃん泣きました!

長女は吸引分娩でした!


~たくさん辛いことあった~
でもやっと会えた。
私は大泣きでしたが


またまた豹変。

「胎盤出しますねー」

と言われ

⦅痛いやんけ!何しとんねん!⦆


「縫いますねー」

⦅あんた、ウチが痛みに弱いの知っててやっとるやろ!?楽しんどるやろ‼?ホンマに痛いからやめーや!⦆


全て終わり、赤ちゃんが私の腕の中に来てからは冷静。

2日目から退院まで母子同室だったので
まぁ、頻繁に看護婦さんたちが来ては
「賑やかだったわねー」
「二重人格?」
みたいなことを言われ続けてました( ´ー`)

でも、今でも思い出してイライラするのは
私の横にいて声をかけてくれてた年配看護婦さんが
何度か私の頬を叩いたことです。
そのときは何とも思いませんでしたが
退院した直後からフツフツときてました。

そして、母子同室だったので
ひたすら娘にチューしてました!

その娘が今はもう反抗期。

チューどころか、
抱きしめようと手を広げると
「やめーや。」

ケンカすると
「うるさいねん!」


子供の成長は早くて
年月が経つのも早くて
でも子供が宿った時からの記憶は鮮明で
愛しさも変わらず。

反抗期は大事なことと理解してはいますが
教えた覚えのない言葉を言ってくるので泣きそうです。

そして、私の2人の兄貴のことが好きらしく、
特に上の兄貴(るい)。
兄貴たちだけにはニコニコ。。
返事も挨拶もするんです。

本当に泣きそうです。




毎晩必ず
子供たちが寝たあとに旦那と晩酌してます!
私は妊婦なので⦅ノンカク⦆で(;^∀^)

その日あったことを話します。
ほぼ子供たちのことですが。

最近は違います。
私と旦那が出会ったときのことです!



1つ上の旦那とは別の中学でした。

私が行ってた中学は校門の前に警備員がいて,監視カメラがあり,名札は見やすいように首からぶら下げるタイプの名札でした。
色が3色で、黄色・ピンク・水色と、学年ごとに色が違いますが,とにかく目立つ色。
テストのときはクラスの平均が90点以上でないとクラス全員が1週間、1日2時間の居残りの連帯責任でペナルティ。

90点以下はとったことはありませんが,そのかわり

毎日塾でした。
月・火・木・土は塾
水・金は英会話

毎日20時頃家に帰り、夕飯にかける時間は15分だけ。しかも、私以外は19時にはご飯食べ終わってるので,いつも1人でご飯。それから1時まで勉強です。
家で勉強するときは私の後ろでは父親が見張ってます。

父親は私に会社の後を継いでほしかったらしく
とてつもなくスパルタでした。

中学校に入ってすぐ救命士の資格を取るために勉強しなさいと言われて
お金を渡されたので、塾帰りに問題集を買いに本屋へ。
問題集を選んでると
同じ年代の子達が友達と楽しそうに雑誌を見て

「今度ここ行こう!」
「これも食べよう!」
「この服かわいい!」
笑顔で話ししてました。

すごく羨ましかったのを覚えています。
それと、憎かったことも。

自分だけ違う世界にいるみたいで
置いていかれてるみたいで
問題集を買って本屋の外で泣きました。

あの子たちみたいに笑いたいのに
私にはそれができない。

そんなとき,1人の男の人が私に声をかけてくれたんです。
それが今の旦那です。

「◯◯附属中学の制服やね。こんなとこおってええの?てか、泣いてるんか?何があったんや?」

このブログでは標準語ですが
普段、私たちは関西弁です!

学校生活・家での勉強・塾・資格・全てが嫌になったことを言いました。

そしたら「俺、◯◯中学!もしよかったらアド教えてやー。」

お互いのアドレス交換し、家に帰りました。

帰り遅い

と父親に言われましたが
「これ、買ってきました」と問題集を見せて
納得してもらい、その日は夕飯なし。
2時まで勉強しなさいと言われ、言われるがままに。
もちろん、彼との連絡は父親が見張ってるので
登下校のときしかできません。
もちろん、会う時間なんてありません。

でも会いたい。

会う方法は



塾をサボる


たしか最初に会った日から1ヶ月以上経ってたと思います。
私は塾をサボりました。

捜索されると嫌だったので
母親に連絡しました。

「今日は塾には行きません。明日からまた頑張ります。なので今日は休ませてください」

みたいな内容だったと思います!

母親からの返信は
「わかった。ちょっと遊んでき。やけど塾が終わっていつも家に着く時間には帰ってきーよ!お父さんには内緒でな!」

みたいな内容だったと思います!

塾をサボって彼に会いに行きました。
あの戎橋まで。。

それから彼の家へ。
この時長女が。。ね。。
察してください。。

そして私の悩みを全て打ち明けました。
自分の悩みを話すのは初めてで
少し楽になった私は
家へ帰りました。

まず、玄関で母親が小さい声で
「ちょっとはストレス解消できた?」

と言ってくれました。
母親はいつも私の気持ちを考えてくれました。

夜、仕事で父親がいないときはいつも

「お母さんがお父さんに勉強しとったでって言うとくから、今日はテレビ観たり好きなことしててええよ」

「今日だけでも笑った顔みせてくれへん?」

そんな優しい言葉をくれました。


8月に入った頃、そんな優しい言葉さえも
もう私には響かなくなり、

また母親に塾には行かないと連絡すると
「わかった!」

と言ってくれました。

彼とカラオケやらゲーセンやら行きました。

楽しかったから帰るのが嫌で、でも帰らなきゃで、
帰りの電車で泣いたのを覚えています。

家に着くとまたまた母親が
「ストレス解消してきた?」
と言ってくれました。が、

私はとうとう言い返しました。
「前も今日もストレス解消してきた?って言うってことは、私がストレス溜まってることお母さん知っとるんやろ?何で助けてくれへんの?るい(上の兄貴)とかえで(下の兄貴)は自由やん。何でウチはあかんの?こんなんでウチが笑顔になるなんて無理や。」

と言って部屋へ行き、勉強しました。⬅するんかいw

その時から彼に会っても
全く笑うことすらできなくなり、
いつも考えてたことは

「はよ死にたい」

家では無言。

おはよう も
ただいま も
いってきます も

言わなくなりました。
というか、言えなかったんです。

朝ご飯には手をつけず
お昼ご飯は給食。でも、全く手をつけず
夜ご飯は母親に「ご飯食べな?」と言われても
首を横に振って部屋へ。

そんな生活が1ヶ月ちょっと。

体形はガリ
歩行はヨロヨロ
視線は常に下

母親が心配し、病院へ連れていかれました。

最初は栄養失調の診断。
でも1言も喋らないのを医者の隣にいた看護婦さんが気付き精神科へと移動。

医者と同じ言葉を言う という簡単なテストをしました。
が・

私は医者と同じ言葉を言ってるつもりでも
何を言ってるのか聞き取れない

ときどき口パクになる

医者に「こっち見て」「これ、何かわかる?」って聞かれても
見ようともせず首を横に振る


言われたのは
自律神経失調症。

そして最後に医者から
「死にたいって思ってる?」
って聞かれたのははっきり覚えてます。
それまでは何も考えずに首を横に振ってた私でしたが
その質問だけは首を縦に。

母親は医者から
「5日ほどあの子を拘束せず様子をみてください」
と言われたそうです。

5日ほど父親の見張りはありませんでしたが私はいつも通り
学校➡塾➡家で勉強 をしました。

彼とは連絡とらず、ロボットのように
やらなきゃいけないことだけをしてました。

病院に行った日から2週間ほど経って
彼が家に来るまでは。
...来たんです。
彼が。

「千音ちゃんが笑ってくれるまでここにいる」

と父親と母親の前で言ってくれたんです。
でも父親に追い出されてましたw

が、その言葉がどんなに嬉しかったか。
どんなに心強かったか。

その言葉で少しずつ回復!

その矢先、風邪かと思いきや
妊娠が発覚。。

過去の記事に載せた
「絶対に産むから」
という言葉が母親、父親が久し振りに聞いた
私の声・言葉でした。

そんなことを
今日の晩酌で話してて
そんなこともあったね
って笑い話に。

今は
母親とは仲良く、たまに家に来て子供たちと遊んでくれてます!

父親もときどき家に来て
子供たちにお土産をくれたり
遊んでくれてます!





こんなに長い文を読んでくださり
ありがとうございました!



外は冬のにおい。

二女が今朝
「お母さーん! 外,冬のにおいがするよ♪」
「新潟にいた頃と同じにおい!なつかしいね!」

5年前 大阪から新潟へと引っ越し
3年前 新潟から大阪へ戻ってきました。

新潟にいた頃は
今の時期になると自然と口がガタガタ震え、
鼻息すらも、吐息みたいに白くホワホワ~ってなって
帽子・手袋・マフラー・ダウン・耳当ては必須。
5枚以上重ね着しないと外出ができなかったです。

なのに
新潟のJKたちは

スカートはいてるの!?
ってぐらい丈が短いのにストッキングすら履いてない。

心配になって声かけてました。

「寒くないの?」
「温かいの飲んだら?」
「ホッカイロあげようか?」
「家まで大丈夫?」

全て余計なお世話w

でも

「大丈夫ですよ!」
「こんなので寒いなんて言ってられないです!」

若いってスバラシイ‼


歳の差を実感。。


その子達から見たらわたしは変質者。

髪と目しか表に出てないから

(どんだけ寒がりなんだよ)
って思われたはず。


そんなことを思い出しました。




においで思い出すことってありますよね?

においで、
ふと過去を思い出して泣いたり
よくしてました。

新潟はもう雪降ってるのかな?

また行きたいなー。


あの豪雪地帯。