『藤井聡太 炎の七番勝負』最終戦、藤井聡太VS羽生善治を観戦した。
佐藤天彦名人の解説がわかりやすかった。
いわく、
「これは新旧の価値観の戦いだ」
と。
かつて(というよりも、江戸の時代から現代に至るまで)将棋というボードゲームにおいて、「駒損した方が不利」というのは揺るぎなき真理とされていた。たとえば自分の角と金を相手に渡して、代わりに桂馬を一枚もらう……こんなトレードは論外とされていた。
が、ここへ来て、駒損をしたとしても攻めが切れないならば良し、とする価値観が台頭してきた。
無論、羽生さんが旧いという話ではない。言わずもがな、彼は常に新しい。
が、そういう旧い価値観も当然知っている羽生さんと旧い価値観がまるでプリインストールされていない藤井くんは、やはり天彦名人が言うとおり「旧」と「新」に該当する。
もうひとりの解説者である阿久津主税八段が対局後に、
「藤井四段の完勝譜」
と述べたように、終始藤井くんが羽生さんをリードする形で将棋は進み、果たせるかな完結した。
最後、羽生さんが「らしい」大技(詰めろ逃れの詰めろ)を繰り出したものの、それさえも藤井くんは飄々とかわしてみせた。
中盤で自身の角金と相手の桂を交換してまで、「攻撃の継続」に執着した藤井くんの将棋は、まさに「10年代の将棋」であった。二十年前(1990年代)なら、ほぼ全否定されていただろう、新鮮な指しまわしだった。
ただ、将棋の面白いところは、今正しいとされているメソッドがまた否定されて、旧いロジックが再評価されたりするところなのだ。
諸行無常。
いつも何かが微かに変わっている。人の気持ちや空模様と同じ。揺れる。動く。変わる。
一周して元に戻りました、なんてことは日常茶飯事なのである。一周どころか百周くらいして、また同じ景色を見ています、みたいなことが普通に起こりうる。でも、当たり前だが、二十年前に見た青空と今日の青空は同じではない。別物の青。
これからの十年間は、この藤井くんを中心に将棋界はまわっていく。それは間違いない。
けれど、二十年後に彼がどんな場所に立っているかは甚だ不透明だ。
二十年以上にわたって棋界を牽引し続けてきた羽生さんに藤井くんが並ぶには最低でも二十年はかかる。一度勝ったくらいでは、「越えた」ことにはならないんだ。
そこをしっかり踏まえた上で言えば、藤井くんは奇跡の少年である。
ありえない人間が登場してきた、という印象を抱いている将棋ファンがきっと僕以外にも百万人くらいは存在するはずだ。
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佐藤天彦名人の解説がわかりやすかった。
いわく、
「これは新旧の価値観の戦いだ」
と。
かつて(というよりも、江戸の時代から現代に至るまで)将棋というボードゲームにおいて、「駒損した方が不利」というのは揺るぎなき真理とされていた。たとえば自分の角と金を相手に渡して、代わりに桂馬を一枚もらう……こんなトレードは論外とされていた。
が、ここへ来て、駒損をしたとしても攻めが切れないならば良し、とする価値観が台頭してきた。
無論、羽生さんが旧いという話ではない。言わずもがな、彼は常に新しい。
が、そういう旧い価値観も当然知っている羽生さんと旧い価値観がまるでプリインストールされていない藤井くんは、やはり天彦名人が言うとおり「旧」と「新」に該当する。
もうひとりの解説者である阿久津主税八段が対局後に、
「藤井四段の完勝譜」
と述べたように、終始藤井くんが羽生さんをリードする形で将棋は進み、果たせるかな完結した。
最後、羽生さんが「らしい」大技(詰めろ逃れの詰めろ)を繰り出したものの、それさえも藤井くんは飄々とかわしてみせた。
中盤で自身の角金と相手の桂を交換してまで、「攻撃の継続」に執着した藤井くんの将棋は、まさに「10年代の将棋」であった。二十年前(1990年代)なら、ほぼ全否定されていただろう、新鮮な指しまわしだった。
ただ、将棋の面白いところは、今正しいとされているメソッドがまた否定されて、旧いロジックが再評価されたりするところなのだ。
諸行無常。
いつも何かが微かに変わっている。人の気持ちや空模様と同じ。揺れる。動く。変わる。
一周して元に戻りました、なんてことは日常茶飯事なのである。一周どころか百周くらいして、また同じ景色を見ています、みたいなことが普通に起こりうる。でも、当たり前だが、二十年前に見た青空と今日の青空は同じではない。別物の青。
これからの十年間は、この藤井くんを中心に将棋界はまわっていく。それは間違いない。
けれど、二十年後に彼がどんな場所に立っているかは甚だ不透明だ。
二十年以上にわたって棋界を牽引し続けてきた羽生さんに藤井くんが並ぶには最低でも二十年はかかる。一度勝ったくらいでは、「越えた」ことにはならないんだ。
そこをしっかり踏まえた上で言えば、藤井くんは奇跡の少年である。
ありえない人間が登場してきた、という印象を抱いている将棋ファンがきっと僕以外にも百万人くらいは存在するはずだ。
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