あぁ…どんどん腹黒くなって行く(T_T)まともな人生はいつくるの?? -5ページ目

母性


当時、無知な私は産まれたての赤ちゃんがむくんでいる事を知らなかった(-ロ-;)



ガッツ石松にしか見えなかった娘も日に日にむくみがとれ、普通の赤ん坊になっていった(笑)。



そもそも、元々予定日よりかなり遅れていたのに加え、陣痛の時に息を止めて痛みに耐えていたもんだから、そりゃあむくみまくるし全身紫色にもなるって(;^_^A



お目めグルグルの可愛い子ちゃんではないにしろ、最初にかなりのショックを受けたから、むくみの取れた娘は、可愛くなったように思えた。



しかし、今度は夜中の授乳地獄に苦しんだ(><)



間隔がさだまらず、1、2時間おきに泣き声で起こされる。



ミルクを飲ませ、げっぷをさせて抱っこして寝せる。

しかし、布団に置くと泣いて、また抱いて…



一晩中ほとんど寝れない日が続き、一週間目辺りには30分でいいから寝せて(T_T)と子育ての大変さが身にしみて、陣痛に続き

こんなに辛いなら二度と産まない(´;ω;`)

と本気で思った。



しかし、大反対していた両親が娘をとても可愛いがってくれたのは幸いだった。


思春期あたりから遠くなっていた両親との距離を少しずつ近付けてくれたのは、間違いなく娘だったと思う。



そして、育児のつらさ大変さ教えてくれた娘に感謝している(^-^)


娘の育児だけに集中できたら、もっと可愛がれたんだろうけど…



その後さらに



嫌いになるイベントが



また一つすぐに増えるなんて、
予想できなかったし…(◎-◎;)



入院部屋と娘と私

出産から6時間後にようやく普通の入院部屋に移動した。



しかしテンションはMAXに下がりまくったまま。



まだ一度も娘を抱いていない…



しばらくして看護師がミルクをおきにきた。



当時はまだミルク育児が主流で、今ほど母乳育児に力は入れておらず、私もミルクを与えるのが当たり前と思っていた。



(その後、長女以降全て母乳で育児した私は、あの時長女を母乳にしなかった事を深く後悔する)



育児の勉強を全くしていない私はミルクの作り方からオムツの替え方も何ひとつ分からなかった。



だからといって看護師も一から指導するわけでもない。



私は看護師にやり方を聞いた。



軽くパパッと教えると


なんかあれば呼んで下さい。と看護師は去って行った(-ロ-;)。



どうしようか…と思っていたら両親と姉がきた。



代わる代わる娘を抱く家族。



母親は、向こうの家に似たね~(-ロ-;)と苦笑いしていたが、姉は

可愛いね~(´∀`)

と言った。


えっ…(@_@;)

年が離れていた姉は、当時県外に住んでいて、滅多に会わない。


しかも、しっかり者の姉は両親とも仲が良く、私は小さい頃から苦手な存在だった。



しかし、姉が可愛いと抱いてくれたおかげで、可愛いと思えなかった私は、少し気が楽になった。



娘がぐずりだし、母親に手伝ってもらって世話をした。



その当時の写真が娘のアルバムに貼ってあるが…



私の表情のひどいこと…
(・・;)



イヤそうにふてくされた顔でミルクをやり、家族が娘を抱いてる姿を仇でも見るような目で見つめている…(*_*)



妊娠中にお金のことを心配しまくり、毎日旦那と喧嘩し、毎日泣いては目を腫らし、真っ暗な将来に絶望して、

産婦人科でひどい扱いを受けると



産後鬱になる!!



今思えばそうなんだが、



まだ若かった新米母ちゃんの私はそんな事わかるわけもなく、娘のアルバムにひどい顔の写真を残してしまい、何年も後悔することになる…orz



その後、何人かあとに長女そっくりの娘が生まれたのは、この時の罪滅ぼしのために神様がくれたチャンスなんだろうか(*´∀`*)

出産+悲しみ=ひどい母親

分娩室に入ってからは、あれよあれよという間にお産は進んでいった。



私はとにかくいきみたくて仕方ない(笑)



結局、分娩室に入ってから20分で長女出産。



しかし、泣き声がしない。


足の方を見ると


先生が紫の物体をバンバン叩いている…



しばらくして、ようやく泣き声が聞こえた。



「女の子ですよ~。」



と看護師に見せられた娘は


濃い紫色をして


顔はパンパンに腫れていた


自分や旦那のアルバムを何回も見て予想していた赤ちゃんとは全く違う…



私は感動する前に



この子…誰の子…?



と今産んだばかりの娘が、どうしても自分の子供とは思えず、半ばパニックになっていた…。



私も旦那も普通並みに目は大きい方だが、娘は鉛筆で書いた一本の線くらいの目につぶれた鼻と紫の小さい唇…



お世話にも可愛いとは思えなかった。



寒くて狭くて汚ない部屋で一晩耐えて


あんなに苦しい思いして産んだのに…



しばらく休んでて!と看護師に言われて、分娩台で一人放置されてた間、私の思考回路は停止状態だった。



旦那は両親と義父母に連絡しに行き、そのまま帰ってしまった。



分娩台で放置されて1時間くらいたっただろうか?


だんだん寒くなってきた。

それからさらに30分くらい経って、ようやく看護師が戻ってきた。



そして、さらに憂うつになる事を言ってきた。



出産ラッシュで病室が満杯だという(@_@;)



昼には空くと思うから、それまで別の所で待っていてください。と



かなり冷えていた私は、暖かいならどこでもよかった。


看護師の後ろをついてくと入院部屋をどんどん通り越して、厨房の所にきた。

そして厨房の脇に入り、狭い通路をカニのように横向きに進んで行く…

茶色に変色したふすまを開けると物置のような狭い和室があった。



小さい障子の窓からはほとんど光が入ってこない。


4畳半の真ん中に布団が敷かれ、枕元に私の荷物が置いてあった。



陣痛を耐えた小部屋に続き、またしても薄暗く汚ない部屋…



私は無性に切なくなっていった。




しばらくして、透明な箱に入れられた娘が運ばれてきた。



その場の雰囲気と顔の腫れた娘…



こんなはずじゃない…。
毎日泣いて辛い妊婦生活。赤ちゃんが生まれたら、きっと幸せになると信じてたのに…。



汚ない部屋に押し込められて、娘も可愛いと思えない


なんで?
なんでこうなるの…?




茶色く薄汚れた天井をただ呆然と見つめながらそう思っていた。



隣にいる娘を



全く見ることもなく