今日から、少し京都へ。
サミット 上手くいっているのか 気になりますね。
中岡慎太郎・坂本龍馬 遭難の地 を紹介
京都市の保存がよくなくて、 サークルKになっている。
この前は、 阪急交通社の店舗だった。
この前に立つと 歴史を感じるという趣ではない。
最近、説明書ができた。
これほど、龍馬伝が流行っているからなのでしょう。
いまだから、注目されているが、少し昔は、この前に
誰も立ち止まっている様子はなかった。と記憶している。
しかし、おおよその作戦は、中岡慎太郎が、考案して
龍馬が実行したようなもの、やはり、坂本龍馬を語る上で
は、中岡慎太郎の存在は、欠かせない。
この二人は、かなりの絆をもったソウルメイトだったに
違いない。
暗殺の真犯人、 後藤さんではないだろうか?
上士と郷士、大政奉還・龍馬の権力・借金 根深いものが
ある。
龍馬の借金、 亡くなる時、 今のお金で換算すると、5000億円。
新しい政府の青写真、龍馬が考案していた、つまり 30代そこそこで
大物フィクサーであった。
それだけでも、殺される理由は十分ですね。
今週も、頑張りましょう、グッドラック
いつも ポチ、おおきに(^^)
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【慎太郎・龍馬暗殺】
龍馬はそれまで宿舎としていたs薩摩藩の定宿であった寺田屋が幕府に目をつけられ急襲されたため、慶応3年11月3日(1867年)に近江屋(醤油屋)に移った。11月13日(12月8日)、伊東が尋ねてきて、新撰組に狙われているので河原町三条の土佐藩邸に移ったらどうかと勧めたが、龍馬は間近の近江屋に留まった。
11月15日、夕刻に中岡が近江屋を訪れ、夜になり客が近江屋を訪れ、十津川郷士を名乗って龍馬に会いたいと願い出た。元力士の山田藤吉は客を龍馬に会わせようとするが後から斬られた(1日後に死亡)。このとき「ぎゃあ!!」と大声を上げた山田に対し、龍馬は「ほたえな!(土佐弁で「騒ぐな」の意)」と言い、刺客に自分たちの居場所を教えてしまう。刺客は音もなく階段を駆け上がり、ふすまを開けて部屋に侵入した。そして龍馬は額を斬られた(この他、浪士達が二人を斬る前に名刺を渡してから斬ったという説などいろいろな説がある)。龍馬は意識がもうろうとする中、中岡の正体がばれないように中岡のことを「石川、太刀はないか」と変名で呼んだという。その後龍馬は後頭部から背中、再度額を深く斬られ、とどめを刺されて絶命した。中岡はまだ生きており助けを求めるが、2日後に吐き気を催した後に死亡した。
なお、近江屋と土佐藩邸の位置関係は、河原町通りを隔てた真向かい(数メートル)であったが、暗殺当夜に土佐藩邸からは何の救援の手も差し伸べられなかった。

