また???
兄ちゃんが おとといぐらいから 咳 をしだした
昨日は学校で 咳き込んで吐いたらしい
兄ちゃんの場合、この症状は風邪ではない
これは たぶん・・・
と、思っていたら
やっぱりきた イヤ 出た
『鼻血』


しかも 両方から
耳鼻科ですかぁ


行きたくねーなぁ
先生 恐いなぁ(笑)
でも、耳鼻科ってなんであんな多いんだろ
何か違うものもらって来そうで嫌だなぁ
意味不明な 更新で ごめんなさい
ネタ切れと思われます (笑)

昨日は学校で 咳き込んで吐いたらしい

兄ちゃんの場合、この症状は風邪ではない
これは たぶん・・・
と、思っていたら
やっぱりきた イヤ 出た

『鼻血』



しかも 両方から

耳鼻科ですかぁ



行きたくねーなぁ
先生 恐いなぁ(笑)
でも、耳鼻科ってなんであんな多いんだろ
何か違うものもらって来そうで嫌だなぁ

意味不明な 更新で ごめんなさい
ネタ切れと思われます (笑)

じいちゃん、ばあちゃん②
私はお母さんから離れたくなくて 登校拒否 になった
またお母さんと離れたら・・・という、不安や恐怖みたいな心理が働いていたと思う
でも、それも 長くは続かなかった 母もじいちゃんもばあちゃんも
みんなで愛情を注いでくれて・・・
これは大人になってからの話だけど、ある日 押し入れの中から 私の保育園の連絡張が出てきて
何気なく読んでみると、
先生からの連絡事項に「爪が伸びてるようなので切ってあげてください」と書いてあった
ばあちゃんは「年寄りで目が見えず…すみません。怪我させるといけないと思い切れずにおりました。明るい内に切ってみます」と書いてありました
これを読んだ瞬間、ばあちゃんの苦労と優しさと 色んな思いが頭の中を駆け巡り 涙が 次から次に溢れてきた
よく 幼なじみに言われます 「あんたが道を踏み外さなかったのは、じいちゃん・ばあちゃんのおかげやね」と
ホントに そうかもしれない
両親のいない生活
支えてくれたのは じいちゃん、ばあちゃんだった
もちろん 私は じいちゃんばあちゃんっ子に育ち、
それは 社会人になっても変わらなかった
私の就職が決まった時、自分の事のように喜んでくれた
成人式には、ばあちゃんと二人乗りして 家まで見に来てくれたっけ
一緒に撮った写真は宝物
二十歳も過ぎて仕事でなかなか会いに行けなくなった頃
母が私に言った
「じいちゃん癌だって」「長くないらしい」と
私は信じられなくて、怖くて、悲しくて
でも、じいちゃんは・・・日に日に悪くなっていって
意識が朦朧としてる事が多くなってきた
たまに 我に返ったように意識がハッキリとする時もあって
そうなった時、「おっ、来とったか。仕事は?」と言って もう社会人の私に…1000円おこづかいをくれた
その時話したのが最後になった
じいちゃんには 『告知』しなかった
伝えない方がいい と 思っていたのだけど
じいちゃんは 意識がまだ少しある頃に「ばあさん、ありがとうね」とお別れの言葉を言ったそうだ
お別れの膳の時に、寂しそうに…でも、少し嬉しそうにばあちゃんが話してくれた
私はお葬式の時に 孫代表で手紙を読んだ
今までの感謝の気持ちと
ずっと忘れないという事
これからも頑張るから見ていてねという事
泣きながらも強い気持ちで読んだ
生きてる内に伝えられたら どんなに良かったか と思わずにはいられなかったけど
会いに行くときは笑顔で!! と妹と決めていたので、泣きそうになっては トイレに駆け込んでいた
その方がじいちゃんも嬉しかったに違いない
だから笑顔で・・・
じいちゃん見てくれていますか?? 元気だよ!! 頑張ってるよ!!
もうすぐじいちゃんの命日なので…書きました
さいごまで読んで下さった方…ありがとうございました
長いし、下手でごめんなさい
またお母さんと離れたら・・・という、不安や恐怖みたいな心理が働いていたと思う
でも、それも 長くは続かなかった 母もじいちゃんもばあちゃんも
みんなで愛情を注いでくれて・・・
これは大人になってからの話だけど、ある日 押し入れの中から 私の保育園の連絡張が出てきて
何気なく読んでみると、
先生からの連絡事項に「爪が伸びてるようなので切ってあげてください」と書いてあった
ばあちゃんは「年寄りで目が見えず…すみません。怪我させるといけないと思い切れずにおりました。明るい内に切ってみます」と書いてありました
これを読んだ瞬間、ばあちゃんの苦労と優しさと 色んな思いが頭の中を駆け巡り 涙が 次から次に溢れてきた
よく 幼なじみに言われます 「あんたが道を踏み外さなかったのは、じいちゃん・ばあちゃんのおかげやね」と
ホントに そうかもしれない
両親のいない生活
支えてくれたのは じいちゃん、ばあちゃんだった
もちろん 私は じいちゃんばあちゃんっ子に育ち、
それは 社会人になっても変わらなかった
私の就職が決まった時、自分の事のように喜んでくれた
成人式には、ばあちゃんと二人乗りして 家まで見に来てくれたっけ
一緒に撮った写真は宝物
二十歳も過ぎて仕事でなかなか会いに行けなくなった頃
母が私に言った
「じいちゃん癌だって」「長くないらしい」と
私は信じられなくて、怖くて、悲しくて
でも、じいちゃんは・・・日に日に悪くなっていって
意識が朦朧としてる事が多くなってきた
たまに 我に返ったように意識がハッキリとする時もあって
そうなった時、「おっ、来とったか。仕事は?」と言って もう社会人の私に…1000円おこづかいをくれた
その時話したのが最後になった
じいちゃんには 『告知』しなかった
伝えない方がいい と 思っていたのだけど
じいちゃんは 意識がまだ少しある頃に「ばあさん、ありがとうね」とお別れの言葉を言ったそうだ
お別れの膳の時に、寂しそうに…でも、少し嬉しそうにばあちゃんが話してくれた
私はお葬式の時に 孫代表で手紙を読んだ
今までの感謝の気持ちと
ずっと忘れないという事
これからも頑張るから見ていてねという事
泣きながらも強い気持ちで読んだ
生きてる内に伝えられたら どんなに良かったか と思わずにはいられなかったけど
会いに行くときは笑顔で!! と妹と決めていたので、泣きそうになっては トイレに駆け込んでいた
その方がじいちゃんも嬉しかったに違いない
だから笑顔で・・・
じいちゃん見てくれていますか?? 元気だよ!! 頑張ってるよ!!
もうすぐじいちゃんの命日なので…書きました
さいごまで読んで下さった方…ありがとうございました
長いし、下手でごめんなさい



朝から非常~に悩んでいるモモでした