もうすっかりご無沙汰になり放置していたmixiの日記を掘り起こしてみることにしました。
2011年1月17日のもの。
そう。阪神淡路大震災から丸16年?かな。
私は神戸出身。酷くはない地域だったけど、あの揺れは覚えてる。当時5年生。
てことで、季節も何も関係ないけど、やっぱり新型コロナによりきっと今みんな再認識してるだろうけど、今の日常が当たり前にあるって本当に感謝すべき有難いことなんだろう。
【以下2011年1月17日にワープします】
昨日地震があった。震度2。ピタリと予測可能な私。
たいしたことはないけど、瞬間ももをギュッと抱きしめた。
『田んぼの中に逃げりゃええ』呑気な旦那
そのくせ、『もう1回くるな』なんて根拠もなく言ってのけてくれるから、私ゃビビりますがな
いつもは別の部屋で1人で寝んね、アメリカンスタイルのうちも、昨日は川の字で寝たし
夜中授乳してて気が付いた。
今日は1月17日ではないか
毎日のんびり平和ボケの私は見当識も薄れてる
気付いた瞬間またまたビビった
16年前の今日がフラッシュバック
とはいえ、忘れるコトが特技の私は、後々母から聞いた記憶で埋められてる
自分の記憶…
あれだけ揺れてた中、妹が両親の寝室に行こうとして止めたコト。
父がガラス踏んづけたのに処置もせず、私に母と妹をよろしくと言い呼び出しくらった職場に行ってしまったコト。
母と生の食パンかじったコト。
以上(笑)
けど、話聞いてたら色々思い出した。
当時5年生やった私は、小学校行かんでいいんか尋ねたコト。
水が出ると聞いた場所までバケツ持って走ったコト。
ジジババの安否確認がなかなか出来ず心配やったコト。
1年生の妹が布団から1日中出てこなかったコト。
などなど。。。
けど、いつから学校が始まったか、いつからガスや水道、電気が再開したか、いつ父が帰ってきたか、どうやって家の中を片付けたか…
記憶にはたくさんブランクがある。
とはいえうちは、テレビが飛んで畳に穴あいたり、ピアノが動いたりした他、食器の残骸がリビング中散らばってたぐらいでたいしたことはなく、振り返るとありがたい…ホントに有り難い経験をしたと思える気がする。
去年か、父から震災の日の病院のことを初めて聞いた。
父は病院勤務。当然呼び出しくらうわけやけど、道路がぐちゃぐちゃで大変やったみたい。
父の病院は救急受け付けた最西(東)の病院だったらしく、それはそれは、戦場かってぐらい、廊下もホールも怪我人だらけやったみたい。
よその病院から、何時間も歩いて手伝いに来てくれたDrもいれば、が使えないからって家でボーっとしてたDrもいて、本質が見えたって言ってた。
こんなとき何もせず、医者ってゆうなって。
病院だって部屋が崩壊してたり、機材が損傷してたり、散々だったし、スタッフ自身怪我したりしてたのに、休む間もなく、みんな手分けしてボランティアしたんだって。
とはいえ、殆どが整形外科の担当。数えきれない人数を3人の整形外科Drで回したんだとか。
ちなみに父はその1人。
今、私はOT(作業療法士)やけど、何かできるんだろうか。医療従事者としては情けない限りだわ。。。
とにもかくにも、16年前に経験したことの中に、今になっても新しい事実や、改めて発見したこと、母になったからこそ感じること…たくさんの幸せに生きるヒントがあることに気づく。
今あること・あるものが、当たり前ではない。
平凡な日々がつまらないのではなく、とても幸せなのだと再確認し、感謝しなければ
たいしたことはないけど、瞬間ももをギュッと抱きしめた。
『田んぼの中に逃げりゃええ』呑気な旦那
そのくせ、『もう1回くるな』なんて根拠もなく言ってのけてくれるから、私ゃビビりますがな
いつもは別の部屋で1人で寝んね、アメリカンスタイルのうちも、昨日は川の字で寝たし
夜中授乳してて気が付いた。
今日は1月17日ではないか
毎日のんびり平和ボケの私は見当識も薄れてる
気付いた瞬間またまたビビった
16年前の今日がフラッシュバック
とはいえ、忘れるコトが特技の私は、後々母から聞いた記憶で埋められてる
自分の記憶…
あれだけ揺れてた中、妹が両親の寝室に行こうとして止めたコト。
父がガラス踏んづけたのに処置もせず、私に母と妹をよろしくと言い呼び出しくらった職場に行ってしまったコト。
母と生の食パンかじったコト。
以上(笑)
けど、話聞いてたら色々思い出した。
当時5年生やった私は、小学校行かんでいいんか尋ねたコト。
水が出ると聞いた場所までバケツ持って走ったコト。
ジジババの安否確認がなかなか出来ず心配やったコト。
1年生の妹が布団から1日中出てこなかったコト。
などなど。。。
けど、いつから学校が始まったか、いつからガスや水道、電気が再開したか、いつ父が帰ってきたか、どうやって家の中を片付けたか…
記憶にはたくさんブランクがある。
とはいえうちは、テレビが飛んで畳に穴あいたり、ピアノが動いたりした他、食器の残骸がリビング中散らばってたぐらいでたいしたことはなく、振り返るとありがたい…ホントに有り難い経験をしたと思える気がする。
去年か、父から震災の日の病院のことを初めて聞いた。
父は病院勤務。当然呼び出しくらうわけやけど、道路がぐちゃぐちゃで大変やったみたい。
父の病院は救急受け付けた最西(東)の病院だったらしく、それはそれは、戦場かってぐらい、廊下もホールも怪我人だらけやったみたい。
よその病院から、何時間も歩いて手伝いに来てくれたDrもいれば、が使えないからって家でボーっとしてたDrもいて、本質が見えたって言ってた。
こんなとき何もせず、医者ってゆうなって。
病院だって部屋が崩壊してたり、機材が損傷してたり、散々だったし、スタッフ自身怪我したりしてたのに、休む間もなく、みんな手分けしてボランティアしたんだって。
とはいえ、殆どが整形外科の担当。数えきれない人数を3人の整形外科Drで回したんだとか。
ちなみに父はその1人。
今、私はOT(作業療法士)やけど、何かできるんだろうか。医療従事者としては情けない限りだわ。。。
とにもかくにも、16年前に経験したことの中に、今になっても新しい事実や、改めて発見したこと、母になったからこそ感じること…たくさんの幸せに生きるヒントがあることに気づく。
今あること・あるものが、当たり前ではない。
平凡な日々がつまらないのではなく、とても幸せなのだと再確認し、感謝しなければ