出勤といえば聞こえが良いけど、実際はアルバイトだ。向かう先は小・中学生向けの大手進学塾。の、分校。大学卒業と同時にアルバイトを始め、既に丸三年とちょっと。毎年春になる前に正社員へのお誘いを頂くけど、中学校の教員になりたいあたしはお断りし続けている。大学卒業と同時に専門学校に勤めたけれど、やっぱり中学校の教員になりたくて退職。それからから数えて三回も教員採用試験を受けたけど、もともと採用数の少ない中学理科ではなかなか合格通知がもらえない。そろそろ諦め時かもしれない。いつのまにか二十八になっていて、ちょっとへこんだ。
正社員へのお話を断っている理由はもう一つあった。今あたしが勤めている校舎、東町分校から別の校舎へと異動したくないからだ。
日本海側に面する県でもトップクラスに人口が多い政令市であるN市。合併に次ぐ合併で規模を拡大した市だけあって、駅周辺の旧N市と元々は田園風景が広がっていた地域では人口にも学習意欲にもかなりの差が生じていた。
あたしの勤める東町校はちょっと前までは田んぼしかなかった新興住宅街にある。常に講師二十人体勢で仕事を回している駅前本校に比べると規模は随分小さいけど、教室が四つしかないアットホームな感じが気に入っている。ただ一点。最近続く困ったことを覗けば。
「藤井先生!」
教務室に入るなり隣のデスクに座る男に手を合わせられた。理数担当の専任職員、大鳥弘樹先生だ。小学生達に「ごぼう」と称された彼が、ひょろりと細長い身体を折り曲げるようにデスクであたしを拝んでいる。それも濃い目の眉を寄せて大真面目な顔をして。
またか、とあたしはスルーを決め込んでデスクのパソコンの電源を入れた。
「藤井先生」
スルー。
「藤井先生さま」
スルー。しつこい。
「藤井絵里大先生さま」
スルー……。毎度懲りない男だ。これであたしより二つも先輩だってことが信じられない。隣で手を合わせてあたしを拝むように頭を下げる彼を横目に、パソコンの起動画面にパスワードを入力する。
「藤井絵里大明神さま」
す、スルー、といきたいところだったけれど、大明神のフレーズは初めてだったために不覚にも噴出してしまった。
「何なんですか、大明神さまって」
「だってこっち見てくれないから」
根負けして振り返ったあたしに、大鳥先生は屈託のない笑顔で答えた。