[4758]『ヤマノススメ』と「地球」

 

今日は山の日[4751]『ヤマノススメ』と『タッチ』

 
 実は『ヤマノススメ』は『タッチ』に影響されて、あるいは変奏曲であると作者しろ自身が認めているはずで。再三紹介している主人公雪村あおいの相方の氏名が物語っているから。『タッチ』の上杉達也と浅倉南、そして北半球のの日本から見る日の方向はと考えれば、倉上ひなたという固有名詞はよく考えたものと思うのです。しかし劇中の役割としては倉上ひなたは浅倉南、雪村あおいは上杉達也と見なせると思いますが、性格はむしろひなたが達也に、あおいが南に対応していると思う。つまり料理でも山でも切っ掛けがあればがんばるのがあおいで、上手に手抜き出来るのがひなた。
 しかし一点集中でともすれば周りに気が配れなくなるあおいに対し、ひなたは他人に頼ることで周囲にきを配ることができ。つまりがむしゃらな練習で一気に新体操のホープになった浅倉南だけど、条件が異なれば雪村あおいのように一人ぼっちになった恐れがある。一方で上杉達也は三人の中で一番考えて(考え込んで)しまう人間だが、一度決めたら(高三の時に鬼監督を利用したように)利用できるものを利用する狡猾さを持つ。尤も柏葉英二郎だったからという留保はつく。つまりひなたと達也も似た者同士といえる訳。
 しかし『ヤマノススメ』を『タッチ』で論じれば、一つの世界に閉じこもる浅倉南を、周りが見えている上杉達也が、強引に違う世界に連れ出すという意味。つまり一生懸命が(結局は)尊ばれた『タッチ』の時代に対し、心に余裕をほ持った方がいい、というのが『ヤマノススメ』でのしろの主張/主義かと。一生懸命だけでは利用されるだけ、というのは私自身の思想/思考ですが。
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