浄土宗石傳山養安寺は栗原氏の館跡とも伝わります。養安寺近くには同じく栗原氏館跡と伝わる大翁寺があります。大翁寺の館は一族の中心人物が住み、養安寺の館は栗原氏支流?が住んだのでは?といわれています。
現地石碑によると、要安寺開基は栗原伊豆守信友。彼は天文21年(1552)4月21日に死去、養安寺に葬られたと伝わり、法名は養安寺殿寥山道廊大居士。しかし一蓮寺過去帳によると享禄2年(1529)11月5日死去となっており、寺に伝わる没年は誤りであろうと思われています。
信友は信遠の跡を継いだと考えられており、甲斐国内で大きな勢力であったと思われています。そんな中、永正17年(1520)5月、信友は武田信虎と対立し他の有力国衆とともに甲府を退去します。
しかし6月に信虎に敗れ、武蔵国に逃亡しますが、後に帰国し和睦したようです。
境内には寛永8年(1631)11月13日死去した栗原左衛門尉信盛墓所があります。養安寺に伝わる法名は栗原院殿芳誉連西信盛大居士。
信盛は天正2年(1574)から文書にあらわれ、その内容から公事奉行であったのではと考えられています。しかし天正9年(1581)3月を最後に名前が現れなくなります。
養安寺には、信盛は信友の子と伝わりますが明らかに年代が離れています。まだまだ不明な点が多い栗原氏なのです。
住所:山梨県山梨市上栗原
写真撮影日:2019年4月27日
参考資料など:現地石碑・甲斐武田氏と国人の中世「国人領主栗原氏の武田氏被官化過程」/秋山 敬・武田氏家臣団人名辞典・武田氏年表/編 武田氏研究会・図解 山城探訪 第16集/宮坂武男など