こんばんは!さっき旦那くんからDMで
チャイロイコグマ10周年記念のホテル?の情報が送られてきました。
もう10年経つの…!?と軽くショックを受けてました。笑
チャイロイコグマちゃんが登場してから、生まれて初めてキャラクターグッズをめちゃくちゃ買ったのを覚えてます。
今思えば、母親の言いなりだった自分から少しずつ自分を出し始めて自分のお金で自分の意思で動き始めた時期だったなと。
子どもの頃、母親から
「いくみちゃんはこのキャラクター、妹はこのキャラクター」と母親に渡されるものを
言われるがままに使っていた子ども時代。少しでも嫌な顔をしようものなら
「じゃああなたは何もなし、今まで上げたものも全て返してもらうからね」と全て取られるのを
物心ついた頃には意識していたので、自分の意思など持った記憶がありませんでした。
だから、可愛くなくても気に入らなくても渡されたものが私のもの。
「自分がどう思うか」なんて考えたこともありませんでした。
母親が怒っていたら全部私のせい。私は妹よりも可愛くないから。妹よりも子どもらしくないから。
妹よりも字が汚いから。妹よりも手がかからないから。(?)
結局母親が溺愛していた妹は小学校でいじめに遭い2年くらい不登校になり、中学でLDとADHDと診断され
特別学級と普通級を行き来していました。たぶん。あんま覚えてない。
ただなんかずっと家にいて羨ましかったのと、
従姉妹が来てずっと2人で遊んでて私の居場所がなかったのは覚えてる。
従姉妹の話入れるとややこしくなるので一旦なかったことにしますが、
唯一縁を切ってる二度と会いたくない親戚です。
そのややこしい時期、当時から母親の頭の中に私なんていなかった。
いるとしたら、ストレスの捌け口ポジション。
母親がなんで怒っているか分からなくても「ごめんなさい」とずっと謝っていた子ども時代でした。
いつしか自分の人生を考えるようになる思春期には無意識に「何で生きてるんだろう」と思うようになりました。
そんな中、母親のパニック障害が悪化して殺されかけたのが小学校高学年の頃に一回、
中学生の頃に一回、高校の頃に一回。
そんな中で母親の信仰している宗教上のルールで、子どもの恋愛禁止というものがありました。
こんな学生時代を送ってきた私。
恋愛禁止なんて誰ができる?
親からまともに愛を受けずに育った女の子が、恋愛禁止なんてできるはずがない。
中学の頃好きだった男の子が私自身を好きだと言ってくれました。
他の誰でもない私を見て私が特別だと言ってくれた中学3年生の春。
こんな世界もあるんだと知って、そこから私の恋愛中心の生活が始まりました。
その時の彼とは結局自然消滅(笑)で3ヶ月で終わりました。中学生だったからね。
初めての失恋で大泣きしてもう生きていけないとまで思ったけどその後高校入学して演劇部に入部。
秋には彼氏ができました。
みなさんご存知、5年半付き合った彼氏ですね。
もちろん親には一年に一度必ずバレて、その都度パニックを起こされ、
殺されかけた過去と別で、暴力、いわゆる虐待を受けていました。
真冬に風呂場で冷水を頭からぶっかけられたり、そこら辺にある固いものを
ひたすら投げつけられたり、頭から足まで叩き続けられたり。
なんで児童相談所に呼ばれなかったんだろうか!?
保育士してたから改めて思うけど、普通に異常。
本当に冷え切った田舎の閑静な住宅街だったので
泣き叫ぶ声が聞こえようが、怒声が聞こえようが、ガラスが割れた音が聞こえようが
誰も通報しなかったんです。最悪な地域でした。
それに周りの家の家庭環境もいいものではなかったので、
またやってんな程度だったんだろうな
私自身も短大の頃までなれば母親より力があったので、その頃には「またやってんの?」と
母親の投げようとしたもの、持っていた包丁や凶器を振り払って静かに対応するようになってました。
なんでこんな話になったんだっけ。笑
そう、こんな過去を過ごしてきたから最近よく思うことがあるんだよね。
この界隈にいると「オタク歴○年!」「子どもの頃からオタクでした!」
「好きを極めてます!」「生涯オタク!」っていう子がたくさんいるけど、
それを聞くたびに私は子どもの頃、誰が、何が好きだったかな?って、思い返しても思い出せなくて。
たぶん私は生きること、母親の機嫌を取ることに必死すぎて
自分の「好き」を考える、知る余裕がなかったんだと思う。
ひとつ覚えているのは、文章と絵をを書くことは子どもの頃から好きだった。
絵本を自由帳にひとつ完成させて母親に「ママ!できたよ!」って見せに行ったの。
小学校3、4年生くらいの頃かなあ…
パラパラ〜ってめくったら自由帳閉じて渡されて「何言いたいかわからない」って言われた。
そうだよね、へへ、ごめんなさいって笑って自由帳を捨てて隠れて泣いたのを覚えてる。
でも捨ててるのバレたら「せっかく買ってあげたのに!」って怒られるから
誰にも見えないように、ゴミ箱の奥底の方に、ゴミとゴミの間に入れた。
それから絵は描かなくなった。描かなくなったら、描けなくなった。描く気もなくなった。
あと、自分の好きなものを母親には共有しなくなった。
またあんな反応されて傷つきたくないから。
ボカロにハマった時にはもう反抗心しかなかったから母親に何を言われようが聞いていた。
最初は軽蔑されたけど、後に妹も一緒にハマっていったし世間がボカロを認めていったから
何も言われなくなった。
恐ろしいのは、この上記にやったこと、言ったこと、母親は何も覚えていない。
妹も見ていたことはあるので私の幻覚幻聴ではなく、母親が覚えていないだけ。
ちなみに父親はこんな母親といつも喧嘩をしていたけど私を気にかけてくれていた。
だから私は父親が好きだった。
父親の顔を思い出そうとすると絶対笑顔を思い出せる。
くしゃくしゃに笑った顔。
母親は言わずもがな28になった今でも怒った顔しか思い出せないけど。
それだけ、父親は私の前では笑ってくれてたんだと思う。
だからか、今でも女性上司よりも男性上司の方が気楽に話せてしまう。
変な緊張をしない。
今でこそ克服したと思っているけど、社会に出たばかりの頃は
歳上(母親世代)の女性というだけで一歩引いてしまう、怖いと感じてしまう時期があった。
歳上の女性とはどう関わるのが正解で、どうしたら嫌われないのかわからなかった。
話してることが冗談なのか本気なのか、笑ってるのか笑ってないのかがわからなかった。
そんな中保育職を4年もやった私はすごい自らとんでもない場所に飛び込んだなと今になって思う。
今ならもう少し上手くできるかもしれないとは少し思うが、戻りたいとは思わない。
保育士の月の手取りが40万になって年収600万もらえるならやりますよ。
めちゃくちゃ話それまくったけど、私がもし子どもの頃にもっと自分の「好き」を認めてもらえていたら
きっと何かにハマって違う未来があってもう少し違っていたのかなと、
私も「子どもの頃からオタクです!」って言えたのかなあって思ったりする。
たまにこんな話を旦那くんにするんだけど「そしたら俺ら会えてないよ」と言われます。
それは困る。
ただの惚気になるけど、旦那くんとは生まれ変わってもあの人と結婚したいと思う。
結局過去が過去だった分、今どれだけしんどくても私は今が一番幸せです。
当時の自分ありきの今の自分なんだよな〜という結論に行き着きます。
社会人になってから右肩上がりで私ずっと幸せなんだよ。
いろんな経験したけど、それも全部自分の糧になってるから、子どもの頃に比べたら全部幸せ。
もし近い未来に私に子どもができたら、その子どもの「好き」は尊重してあげたい。
家が一番安心できると思ってもらえるような、その子が自分の居場所だと思える場所にしたい。
誰よりもその子の味方でありたい。と思ってます。
ちなみに旦那くんにもそれは常々思ってる。
なんかふといまだに日常の中で「私可愛くないな」とか「私ダメ人間すぎる」とか
「生きてる意味あんのかな」とか呟いてしまうんだけど
そんな時に「なんでそんなこと言うの」じゃなくて
頭撫でながら「いくみちゃんは一番可愛い俺の奥さんだよ」とか
「いくみちゃんは良い子だよ、頑張ってるよ」とか言ってくれるんだよね。
一時期鬱が酷くて涙が止まらない時期があって自分でも理由がわからなかったんだけど
「何も起きなくて不安なの」って泣いた時に旦那くんが
「過去にいろいろありすぎて平和で上手くいってる生活に適応できてないんじゃない?」って
言葉にしてくれて腑に落ちたことがあった。実際そうだと思う。
こんな風に私の重すぎる過去をまるっと受け止めて、なんでって言わずに
自分なりに考えて、言葉で表して全肯定してくれる人は早々いないと思う。
私の選択は大正解だったと思う。
私は今帰りたいが口癖になってる。昔は家に帰りたいなんて思ったことなかった。
だから私も旦那くんにとって帰ってきたい居場所でありたいし
何があっても味方でいたいと思ってる。
生きていくと言うこと、自分の過去と自分の家族と向き合うと言うこと、
いまだに(主にお金の)不安は尽きませんが、私は幸せです。