エールのようなラストシーンだと思った。


きっちゃんの母親の「仕事」を覗いてしまった場面。あれは最悪な、どうにもならない世界の約束事に触れてしまった瞬間だっただろう。


そして9歳にしてノブオは厭世的になる。



たしかキャッチコピーは「あの日少年時代は終わった」だったと思う。


幼児的万能感という言葉を聞いたことがある。幼児時代には自分の望むもの全てが、親の手を介して手に入れることができると錯覚する時期があるそうだ。

世界のどこにだって行ける。何だって手に入る。幸せになれる。といったところだろうか。


そこまで極端ではないにせよ、幼少期を思い出してみると、きっと誰にでも思い当たるフシがないわけではない。


ただノブオはこの一夏の中で、生まれてきた時には既に境遇は出来上がっていること、または弱いこと、失うこと、傷付け傷付けられることを知り、世界のどうしようもない限界を突きつけられる。


しかし最終盤、彼は遠ざかっていくきっちゃんの船を追いかけていった。

そしてきっちゃんの名を呼んだ。

どうにもならないことを知り、それでもつながろうとしたのだ。


私たちは常に何かを失った存在なのだろう。そういった前提に立った上で、それでもどうにもならないであろうことを願い続けることの大切さ。

『泥の河』の放つ切実なエールは、ひとつにはそういうことだと思う。

はい。こういう映画が好きなんです。


映像詩。という言葉が一番ふさわしいのでしょう。


明確な起承転結は無い。


この映画は何が言いたいの?ってことをはっきりさせる必要なんてないと思うんです。

だって一度決めつけてしまったらもうそこから抜け出せないかもしれないでしょう?


答えを見つけるよりも、迷うことに少しでも前向きになれるような。


何度見ても新しい発見があったり、改めて気付されることがあること。

それはきっと自分の日常が反映されてそうなるんだと。


映画を見ていて発見があるんだとしたら、そのきっかけは自分の日常にあって、

だから映画を見ている間の増幅された感情を、そっくりそのままってのは無理でも、少しでも自分の日常に向け直すことだってきっとできるはずだと。


何か暑苦しくなってしまった。



自分の知らないこと、知らない間に変わってしまうこと、取り戻せないこと、移りゆくことに対する畏怖。


そんな極めて原始的な気持ちをどこかで憶えていられるようにと、作り手の切実な気持ちが乗り移ったような映像。


不思議なことがたくさんあった。

潰される毒キノコ。廃墟に残った血。月夜の不穏な空気。アナはただそれを見る。ひとつひとつを決して見逃すまいとする強靱な意志を感じる。


働くことを止められないミツバチたち。負傷した兵士。死んだふりをした姉はいつか本当にいなくなってしまうかもしれない。


そんな無常感で覆われた世界を、アナは黙して見つめ続ける。

そしていつまでも変わらないものはないかという、普遍的なテーマをも突きつける。


彼女こそはセンス・オブ・ワンダーの権化と呼べないでしょうか。


やっぱり何度でも見直したい傑作。

最初から最後まで、画面の縁が黒く囲われている。

望遠鏡か何かでこっそり隣の家を覗いているような、穏やかでない気分になる。


違和感は続き、見てはいけないもの、知りたくなかったことを覗かされているような気持ちになる。


戦場での壮絶な体験。それとは相反して無邪気な家族。ふたつの間に生じた大きすぎるギャップ。

帰省後も常につらい記憶から抜け出せず、家族との幸せな日常を受け入れられずにいる主人公は、疑心暗鬼と罪悪感に捕らわれ、やがて家庭は崩壊する。


清廉潔白であること。かつては彼こそがその権化だった。

刑務所出の弟を咎めつつも、彼を家庭に呼び戻し、和解を図る。

家族と、その輪を守る役割を担っていたのだ。そして常にそれに成功し、周囲からも尊敬されていた。


そんな彼がなぜ戦場で罪を犯し、家庭が崩壊を迎えるのか。

その一部始終がきめ細かく見せつけられる。


主人公の帰国後の日常が何とも痛々しい。やり場のない疑問や罪悪感を抱えたまま、食卓につく彼の表情は戸惑いに満ちている。


突然突きつけられた、ずっと気づけなかった世界の現実、自分自身の醜悪な一面。

それによってそれまでの人生で築き上げたものの全てが疑わしく、綺麗事のように思えてくる。


それは見ているこちらも然り。

一時的に未亡人となった妻と主人公の弟が関係を持ちかける。彼らの機微の変化に注目している最中に、突然戦場での悲劇が挿入される。甘美とも言える、禁断の恋愛の行方に注目しているところから、一気に恐怖の戦争体験に場面が変わるのだ。

この落差に思わず身がすくむ。


戦争によって生じてしまった家族の断絶。

ラストシーンでようやく主人公は妻に自らの罪を告白し、彼女も夫を強く抱きしめる。


2人の間の溝は、これで埋められたと言えるだろうか。