どうも!「アステリックスとオベリックス:史上最大のバトル」を見るためにNetflixのギフトカードを買って配信初日に全話一気に吹き替えで見た醤油。です!「アステリックス」関連のメディアが日本語で容易に見られるなんて夢のようです。めっちゃ面白かったのでこの記事を読んだ方でネトフリの視聴環境がある方はぜひご覧になってください!!!
作品自体に関しても色々と語りたい所があるのですが、ひとまずその話はまたの機会ということで、今回の記事では前回字数の都合で紹介できなかった言語や、方言・少数言語といったマニアックなトピックを見ていきたいと思います。
<オランダ語版>
バンド・デシネ文化の中心地であるフランス・ベルギーの真北にあるオランダでも、1966年からオランダ語版「アステリックス」が出版されており根強い人気があるのですが、これまでの翻訳と違うのは比較的直訳的だったこと。アシュランストゥリックスやアブララクルシックスといったキャラクターの名前もフランス語のままだったみたいです。
オランダは比較的小さな国で、周辺諸国と商業的な交流があったことから英語やフランス語などの外国語を積極的に取り入れるコスモポリタンな土壌があります。フランスなどと比べると自分達の言葉への執着も薄めで、「オランダ語は死につつあるのか」という論文が書かれるぐらいです。また、アメコミがそのまま英語で売られていたり、映画が上映・テレビ放送される時は元の言語または英語吹き替えに字幕がほとんどで、ドイツのドラマをオランダ語吹き替えで放送したらクレームが来たくらいらしいです。そのような風土では、あまり訳に独自色を出すことが好まれなかったのでしょう。ただし、それこそ「アステリックス」の実写映画だけはオランダ語吹き替えでも受け入れられているようです。
2002年からはアシュランストゥリックスが英語版と似たKakofonix、アブララクルシックスがHeroïx(英語のheroicが由来?オランダ語ではheldhaftigでした)になったりと、原文の言葉遊びがより取り入れられた感じの翻訳が用いられているそうです。面白いのは、全体的な文章もよりフランス語版に忠実になっているということ。つまり、遊びを入れた方が忠実になるということですね。
ちなみにオランダはまだ「アステリックス」の舞台になっていません。紀元前50年当時のオランダは北部にはバタウィ族などのゲルマン人が住み、南部はローマ帝国の支配下に置かれていたそうです。今年の新作では今まで行っていなかったルシタニア(ポルトガル)に行くということですが、いつかアステリックスたちもかの地を訪れるのでしょうか。オベリックスの口癖は"Rare jongens, die Romeinen!"です。
<スペイン語版>
フランスの南のスペインを始め、中南米でも広く話されているこの言語。アルゼンチンで幼少期を過ごしたゴシニもスペイン語を話すことができ、それゆえ翻訳をチェックすることができたのは、前回の記事で書いた通りです。
スペインでは「アステリックス」が1965年とかなり早くから連載・出版されていましたが、掲載紙や出版社が安定しないなどの事情があり、本格的な人気を得るのは1990年代頃だそうです。
さらに、スペイン語への翻訳においては、言語的な近さもあってか比較的忠実に翻訳するメソッドが取られ、その結果原文の持つニュアンスが失われてしまっているようです。その上誤訳も多く、例えば登場人物紹介のオベリックスのパートでは原文の“livreur de menhirs de son état”(職業はメンヒルの運搬人)が“repartidor de menhires de su estado”(メンヒル配達人という状態)というように訳されてしまっていたそうです(より自然なのは“de oficio repartidor de menhires”だとか)。せっかくスペインが舞台になった《 Astérix en Hispanie 》(アステリックス スペインへ行く)でも、スペイン人たちの言う《 Homme ! 》(直訳すると「人間」で、スペイン語で「なんてこった!」という意味の”¡hombre !”をそのままフランス語にしたものです)の翻訳がバラバラだったり、観光客の《 Mais ils ont fait de grands progrès en cuisine 》(飯はマシになってきたな!)という台詞が"¡pero, la cocina es excelente !"(この飯うまいな!)と訳されてしまっていたようです(基本的にスペインを茶化すような台詞はトーンダウンされたっぽいです)。フラメンコの歌の歌詞がアンダルシア訛りになる、という工夫はあったらしいですが・・・ちなみに「トイ・ストーリー3」ではバズがスペイン語モードになるシーンがありますが、ヨーロッパスペイン語吹き替えではアンダルシア訛りで話すのだとか。いずれも外国人から見たスペインのイメージ(フラメンコ)をスペイン人から見たアンダルシアに当てはめた感じですね。
スペイン語圏では長い事ヨーロッパのスペイン語版がそのまま流通していたのですが、これらの事情もあり、ゴシニゆかりのアルゼンチンでは2015年によりスペイン語として自然かつ原文の洒落を活かした独自の翻訳が作られることになりました。また、メキシコでも2018年にヨーロッパスペイン語の影響を排したよりニュートラルなスペイン語に翻訳されました。
キャラクター名については、アステリックスとオベリックスがフランス語のままで、残りの三人はPanorámix、Asurancetúrix、Abraracúrcixとスペイン語風の綴りになりました。また、イデフィックスは”Ideafix”と、ちゃんとフランス語の《 Idée 》をスペイン語の”Idea”に翻訳したものになっています。アシュランストゥリックスとアブララクルシックスに関しては”Asegurancetúrix"(アセグランセトゥリックス、asegurar=保険をかける)や”Abrazopartidix”(アブラソパルティディックス、”A brazo partido”=力いっぱい殴る)など、フランス語の言葉遊びを活かした訳もあったようです。
オベリックスの口癖も各地で違い、
スペイン:¡Están locos estos romanos!
アルゼンチン:¡Están chiflados estos romanos!
メキシコ:¡Estos romanos están chiflados!
となっております。
<ラテン語版>
ローマ帝国がフランスを含めたヨーロッパやアフリカを支配していた時代を舞台とするこの漫画。劇中でも”Ave!”(万歳)や”Alea jacta est”(賽は投げられた)といったラテン語がよく出てきます。現在は話者がいない死語ですが、本作のラスボス枠であるカエサルの書いた「ガリア戦記」などの優れた文学作品が残されたり、その後も学問でラテン語が共通語として用いられたりと、特にヨーロッパにおいては依然として存在感を誇っています。何より、ラテン語の口語(俗ラテン語)が時を経てこれまで紹介してきたフランス語やイタリア語、スペイン語になったのですから、恐竜が鳥になったぐらいの存在感と言っていいでしょう(わかりにくい?)。
なんとそのラテン語にも、「アステリックス」は翻訳されています。しかも一番古い訳は学習用に訳された1968年にさかのぼり、その後も1973年から2016年にかけてドイツの出版社から25冊が出されたりと(驚いたことに日本でも日仏会館図書室で一部を読むことができるそうです)、意外と根強いです。このバージョンでは、ローマ人が実際にラテン語を話しているというリアリティが生まれているのが面白いところです。ちなみに手元にイギリス英語版を所有しているのですが、各国の出版社の住所が書かれているページにラテン語版の出版社の住所が"Roman Empire"と書いてあり笑えます。


アステリックス、オベリックス、パノラミックスの名前は同じなのですが、アシュランストゥリックスはCantorix(カントリックス、Cantorは「歌手」)、アブララクルシックスはMaiestix(マイェスティックス、maiestāsは「偉大」)という名前になりました。ドイツ語版に似ていますね。オベリックスの口癖は"Delirant isti Romani!"です。
他にも、2007年には当時最新作だった《 Le ciel lui tombe sur la tete 》(天が頭の上に落ちて来た)がフランスで翻訳されています。こちらでは、また別の名前が用いられていました。アメコミ・カートゥーンと日本漫画を擬人化した宇宙人が出てくるという異色作であるため、「ロケット」や「反重力」といった単語を訳すのには苦労したそうです。
ちなみに、同じくヨーロッパの学問などに大きな影響を与えた古代ギリシャ語にも「アステリックス」は翻訳されています。ガリア人の村でフェミニズム運動が起こる《 La rose et le glaive 》(薔薇と剣)の訳では女性詩人サッフォーの詩が台詞に引用されているんだとか。
<少数言語・方言版>
ヨーロッパ各地で人気のある「アステリックス」は、これまで様々な種類の少数言語や方言(境が曖昧なものもありますが今回は触れません)にも翻訳されてきました。それまで政治的な理由から軽視されてきた・あるいは弾圧されてきた少数言語や方言は、1970年代以降政治や文学など様々な場において復権がなされてきました。これから紹介する翻訳は、そういった時代背景を踏まえたものです。
まず母国フランスでは、1976年にブルトン語に「アステリックス」が翻訳され、ブルトン語に翻訳された初のバンド・デシネとなりました。ブルトン語はケルト語派の言語で、アステリックスたちの村と同じブルターニュ地方で話されています。標準語としてのフランス語の権力が強かったフランスでは1960年代末頃までブルトン語を抑圧する政策が取られており、そういう点でも「アステリックス」が訳されるにはぴったりの言語と言えますね。支配者側の言語であるフランス語の起源がローマ人の話していたラテン語というのもまた皮肉。
その後も南部のオクシタン語などいくつかの少数言語に訳されてきましたが、中でも特筆に値するのはコルシカ島を舞台にした《 Astérix en Corse 》(アステリックス コルシカ島へ行く)のコルシカ語版。同島出身のナポレオンも話していたと言われるこの言葉はむしろイタリア語に近く、フランスの言語的多様性を感じさせます。他にも元々ドイツ領だったものの後にフランスに併合されたアルザス地方のアルザス語にも翻訳されています。
2004年には、ゴシニが話を書いたものも含むショートストーリー集《 Astérix et la rentrée gauloise 》(アステリックスとガリアの新学期)が、フランス文化省が「フランスの言語」と認めたアルザス語、オクシタン語、ガロ語、コルシカ語、ピカルディー語、ブルトン語に訳され、このうち北西部のガロ語と北部のピカルディー語には初めて翻訳されました。シリーズの一覧にも先ほど紹介したラテン語版などと合わせてしっかり入っています。ピカルディー語版はさらに2冊ありますね。

ピカルディー語に翻訳するにあたっては、標準語が制定されていないこともあり、どの方言を採用するのか翻訳者はかなり悩んだそうです。少数言語や方言ではそういったことがよくあり、それが言語の地位を弱いものにしている点は否めません。一方で、英語やフランス語、日本語のように標準語を制定することで近代化に貢献したものの、その分方言や少数言語を低い地位に追いやることになってしまった事例も多々あり、一長一短です。
フランスの隣国であり、同じくバンド・デシネ大国であるベルギーでも少数言語で「アステリックス」が出版されてきました。
まず、フランス語と同じく中世の北仏で話されていたオイル語に起源を持つワロン語には、ベルギーが舞台の《 Astérix chez les Belges 》(アステリックス ベルギーへ行く)が訳されました。元々《 Une fois 》(《 Un peu 》、「少し」)や《 m’fi 》(《 Mon garçon 》、「お前」)といったベルギー訛りのフランス語が使われていた作品ですが、今度は実際にベルギーで話される少数言語に訳された感じです。
一方、ベルギーで話されるオランダ語の方言であるフラマン語版は、1980年代にユデルゾが単独で制作した三冊が出版されてすぐに絶版になりました。なんでも、オランダで訳されたオランダ語版も元から市場に入ってきていた上、使われている表現がオランダのオランダ語に近くなりすぎた、ということらしいです。元々オランダ語とフラマン語にはほとんど違いがなかったこともあり、以降は再びオランダで訳された訳が使われるようになりました(ちなみに「史上最大のバトル」にはオランダ語とフラマン語両方の吹き替えがあります)。その後、1999年にアントウェルペン(日本では「フランダースの犬」の舞台として超有名ですね!)とゲントの方言に訳されたほか、オランダ本国ではオランダ語のリンブルフ方言とトゥウェント方言、それに英語に最も近い言語とも言われるフリジア語に翻訳されています。本当はもっと多くの方言に翻訳される予定だったらしいです。
ベルギーに話を戻しますと、同国の言語戦争(フランス語圏とオランダ語圏の対立)は有名で、同国のバンド・デシネ「スマーフ」の「スマーフ語戦争」ではそれが些細な言い方の違いで分裂するスマーフ村、という形で皮肉られています。「スマーフ」自体も《 Les Schtroumpfs 》と"De Smurfen"と全く違う名前なのが面白い。他に「タンタン」も《 Tintin 》と"Kuifje"だったりしますが、「アステリックス」はさすがに(アクセント記号の有無を除けば)同じ名前です。
イギリスでは1976年にウェールズ語に何冊か翻訳され(「きかんしゃトーマス」の原作である「汽車のえほん」もいくつか翻訳されています)、他にもスコットランド・ゲール語とスコッツ語に翻訳されています。また、お隣のアイルランドでも、英語の強い影響で消滅の危機にさらされているものの第一の公用語としての立ち位置を持つアイルランド語に翻訳されています。これらの言語のうち中英語から分かれたスコッツ語だけがゲルマン語派で、あとは先ほどのブルトン語と同じケルト語派です。最初のスコットランド・ゲール語版はサッチャー政権時代の1989年に出されたもので、”Asterix an Ceilteach”(ケルト人アステリックス)というタイトルはマーガレット・サッチャー率いるアングロ・サクソン人による圧政に抗う自分達の姿を同じケルト系民族のアステリックスたちガリア人に重ね合わせたものだったそうです。現在これらの言語のバージョンはDalenという出版社から出版されており、他に「タンタンの冒険」「プチ・ニコラ」なども出ているようです。
「方言」という意味ですごいのはドイツ語圏です。前回の記事の「ドイツ語版」のパートでもちらっと書きましたが、ドイツ語版(とラテン語版)が発行されているエハーパ社からは、なんと30以上の方言で「アステリックス」が出版されています。北はハンブルク、南はイタリアのチロル、東はウィーン、西はアーヘンと、かなり幅広い範囲の方言をカバーしています。タイトルにも遊びがあり、バイエルン方言では「アステリックスとゴート族」が„Auf geht's zu de Gotn!”(ゴート族の所に出発だ!)となっていたり、ハンブルク方言では第17巻《 Le Domaine des Dieux 》(神々の邸宅)が同地のラテン語名にちなんで„Hammonia-City”になっていたりします(標準ドイツ語では„Die Trabantenstadt”=集合住宅)。
ドイツ語の方言はかなり幅広く、ドイツ北部で話される低地ドイツ語とドイツ南部からスイス・オーストリアで話される高地ドイツ語ではかなり違いがあり、さらにそれぞれの中でも多くの違いがあるそうです。ルターのドイツ語訳聖書作成などによって標準ドイツ語が制定されていき、今はそれがドイツ語圏全体に浸透していますが、諸侯の力が強く国家統一が遅めだったことなどもあり(「アステリックスとゴート族」でも「内輪揉めでガリアを侵略するヒマもなくなるだろう」と茶化されています)、現在でも方言の力が強いです。実際オーストリア人の先生のドイツ語の授業を受けた際に、語尾の-ig(イヒ)を「イク」と発音されていた覚えがあります。
こういうことを考慮に入れても、方言への翻訳が大量になされているのはすごいですし(100冊以上あります)、中にはヘッセン方言みたいに10冊以上訳されているものもあります。それが90年代以来継続して出されているというのも、ドイツ人がよっぽど地元の方言と「アステリックス」を愛している、ということでしょうね。しかもアニメ映画版にすら方言吹き替えがあるという。
それに対して、イタリア語版は(少なくとも公式では)あまり方言に訳されているものがありません。前の記事で書いたように、ドイツほどの人気がないからでしょうか。ローマ兵はローマ訛りで喋るのですが・・・また、イタリア半島が舞台の《 Astérix et la Transitalique 》(アステリックスのイタリア横断)では、ローマ兵がイタリア各地の方言で話すのだとか。
スペインでは1969年にカタルーニャ語版が出版されています。当時スペインを支配していた独裁者フランコはカタルーニャ語をはじめとした少数言語を弾圧していたのですが、そのような中出版されたというのがすごいです。また、近年では「クレヨンしんちゃん」や「ドラえもん」といった、カタルーニャ語に訳されたり吹き替えられたりしてきた日本の漫画・アニメがカタルーニャ独立運動の象徴として祭り上げられることもあり、自分達の言葉に翻訳されることでそれがアイデンティティに取り入れられるというのが面白いです。ちなみにその「クレヨンしんちゃん」の漫画をカタルーニャ語に翻訳したマルク・ベルナベさんも、幼少期に「アステリックス」に親しんでいたそうです!
また、ポルトガル語に似ており、北西部のガリシア州で話されるガリシア語に「アステリックス」を翻訳したのは、実際に反フランコのジャーナリストで、ガリシア語の公用語化に貢献したエドゥアルド・ブランコ・アモールです。1976年から断続的に出ていたガリシア語版の出版が止まった際は地方政党のガリシア民族主義ブロックから続きを出すよう圧力があり、再開のための署名活動まで行われたとか。ちなみに、ガリシア語へのアニメの吹き替えもとても盛んで、「史上最大のバトル」もカタルーニャ語と共に吹き替えられています。
カタルーニャ語版とガリシア語版以外では、印欧語族に属さずそれこそローマ帝国時代から話されていると言われるバスク語版と、カタルーニャ語と差がほとんどないものの別言語との主張が強いバレンシア語版が1976年に、北部で話されるアストゥリアス語版が1992年に、アラゴン語版が2022年に出版されています。また、お隣のポルトガルでは1999年に公用語に加わったミランダ語版が2005年から発行されています。
スイスやルクセンブルクといった複数の言語が話される国々では、その国独自の言語(この場合ロマンシュ語・ルクセンブルク語)が少数言語でありながら公用語として定められていることがあり、ドイツ語やフランス語といった多数派言語優勢の中、これらの言語の地位を向上させるために公的機関の働きかけで独自に翻訳がされることがありました。
スイスのロマンシュ語は五つの方言に分かれており、かつては前述のピカルディー語のように「標準語」が制定されていませんでした。言語を守るためには行政や教育とした場で使われる標準語が必要ということで1980年代に「ロマンチュ・グリシュン」と呼ばれる標準語が作られました。そのような中、1984年にスイスを舞台にした《 Astérix chez les Helvètes 》(アステリックス スイスへ行く)が、ロマンシュ語の保護と地位向上、周知と活性化を目的とした「ロマンシュ語同盟」の主導のもとロマンチュ・グリシュンに翻訳されました。
ロマンチュ・グリシュンについては一応標準語を定めたのはいいものの、その分五つの方言の地位が危ういものになってしまう、という懸念があり、反発もかなり大きかったそうです。なので、新聞や放送でもロマンチュ・グリシュンではなく方言が使われるケースもあるそう。そういう風潮にも配慮したのか、「アステリックス」もロマンチュ・グリシュン版と同年にスルシルヴァ方言、1986年にヴァラーデル方言に翻訳されています。
ルクセンブルク語は1984年にルクセンブルク大公国の公用語として定められましたが、法やビジネスにおいてはフランス語、教育においてはドイツ語が多く用いられるなど、国の言語としての地位はかなり低いものでした。その地位を底上げするために、「アステリックス」が翻訳されたのですが、なんと電話帳に次いで二番目に読まれていたそうです!
これらの言語に「アステリックス」が翻訳された背景には、若い世代により自分たちの言語に親しんでもらう狙いがあったとか。ルクセンブルク語版の翻訳者で後にルクセンブルク語関連の組織のトップを務めることになるレックス・ロートの言葉を借りると、「いつもロブスターばっかりは食べられない。ソーセージもあるべきだ」("There have to be sausages. We can’t always eat lobster.")、要するに、言語に親しみやすくするには色々な種類の娯楽があった方がいいじゃないか、ということです。同感です!ちなみに英語なのはロサンゼルスタイムズから引用したからです。
ここまで紹介してきたのはヨーロッパの西の方に偏っていたので、東の方に目を向けると、特に少数言語への翻訳が多いのは最北端のフィンランドと最南端のギリシャです。
フィンランドでは、標準的なフィンランド語だけではなく、南東部のカレリア方言(ロシアのカレリア共和国で話されるカレリア語とは別です)、西部のラウマ方言、東部のサヴォ方言、ヘルシンキの「スタディ」というスラング(スウェーデン語やドイツ語などが由来の外来語が多いらしいです)に訳されました。ドイツでの試みを参考にしたそうです。また、昨年11月にはかの「ムーミン」を書いたトーヴェ・ヤンソンの母語でもあるフィンランド・スウェーデン語にも翻訳されています。
ギリシャでは古代・現代両方のギリシャ語の他、クレタ島、キプロス、トルコのポントス方言(かつてトルコの黒海沿岸に住んでいたギリシャ人が話す言葉)に訳されました。クレタ島方言に訳されたのは《 Astérix en Corse 》なのですが、これはクレタ島の島民の気質がコルシカ島のそれ(部族の誇りを重んじる、笑い方が不気味、など・・・)に似通っていたからだそうです。2007年には、翌年の北京オリンピックを記念し、《 Astérix aux jeux olympiques 》(アステリックス オリンピックに出る)がこれらの方言に訳されました。
他にも、東欧では比較的「アステリックス」人気が高い方と言われるポーランドでは南西部で話されるシレジア語に翻訳されています。また、同じスラブ語派の言語でいえば、オーストリアでは国内東部のクロアチア人向けにブルゲンラント・クロアチア語に翻訳されています。クロアチアで訳されたクロアチア語版も一応あるわけですが、それとは別に翻訳されているのが面白いですし、前述したドイツ語方言ラッシュに加えて少数言語にまで訳されるというドイツ語圏の「アステリックス」人気のすごさを改めて実感します。
というわけで、「アステリックス」はヨーロッパ各地で少数言語や方言の復興に関わってきたわけです。ローマの帝国主義に抗ってきたアステリックスたちが今度は弱い立場のことばを残すために尽力するだなんて、素敵だと思いませんか?日本の漫画も似たような役割を果たしてほしいと心から思います。一応ドラえもんやクレヨンしんちゃんはスペインの少数言語にいくらか訳されていますが、個人的にはアイヌ語や琉球諸語などにも訳されてほしいですね。
<クレオール語版>
「アステリックス」はヨーロッパ内の方言や少数言語に留まらず、その植民地で話される言語であるクレオール語にも翻訳されています。
クレオールについてはこの間の記事でも少し触れましたが、今回はもっと詳しく見ていこうと思います。「クレオール」というのはアフリカやカリブ海といったヨーロッパの旧植民地で生まれた先住民以外の人々のことを指す言葉で、ポルトガル語に由来しています。その「クレオール」の人々が母語として話す言葉がクレオール語です。まず、現地人と植民者、または移民と植民者など母語が異なる者同士がコミュニケーションを取る上で、ピジンという言葉が共通語となります。この時点ではピジンは誰も母語話者を持たないのですが、時が流れ、ピジンを母語とする人ができた時点で、それが「クレオール語」になるのです。
クレオール語の基となる言語としては英語やポルトガル語などがあるのですが(ちなみに台湾には日本語を基にした宜蘭クレオール語があります)、フランスも世界中に植民地を作ってきたこともあり、フランス語を基にしたものも特に多いです。
植民地時代に現地民によって口語として話されていただけあり、長いこと低い地位に置かれてきたクレオール語ですが、20世紀後半の脱植民地化の流れに従い、クレオール語を行政機関の公用語にしたり、文学作品をクレオール語で書く、あるいはクレオール語に翻訳するといった、クレオール語復権の流れができました。「アステリックス」のクレオール語訳も、そのような流れに乗って、カリブ海のフランス領マルティニーク島の出版社・カライベディションから出たものです。
最初に訳されたのは、ゴシニ死去後の1980年に描かれたユデルゾ単独作《 Le grand fossé 》(大きな穴)です。敵対する二つのグループに分かれた村を扱ったこの作品では、村の右側の住民がグアドループ島のクレオール語、左側の住民がマルティニーク島のクレオール語を話すことになり、アステリックスの村はフランス在住のアンティル諸島人のクレオール語、ローマ人は「フランクレオール」(francréole)と呼ばれるフランス語の影響の強いクレオール語を話すよう訳されました。
また、冒頭の登場人物紹介では人物ごとに異なる地域のクレオール語が使われたり(アステリックスはギアナ、オベリックスはグアドループ、パノラミックスはハイチ、アシュランストゥリックスはレ・サント諸島、アブララクルシックスはマルティニーク)、冒頭のガリア地図の舞台をアンティル諸島に置き換えた地図が付いたりしました。このような工夫をすることで、娯楽として楽しむだけでなくクレオール語を学ぶための教材としても使えるようにしたのです。
アンティル諸島のクレオール語に二作が翻訳された後、さらに今度はアフリカのレユニオン島のクレオール語にも二作翻訳されました。カリブ海とアフリカという離れた場所でフランス語ベースのクレオールが話されているということに植民地支配の歴史を感じます。オベリックスの口癖は、前者では"Men, sé Romen ta-a fou-dekdek!"、後者では"Bann Romin la po vni fou!"です。
アステリックス、オベリックス、イデフィックス、パノラミックスはフランス語版のままなのですが、アシュランストゥリックスとアブララクルシックスはアンティル諸島版ではBalakadrixとMajorix、レユニオン版ではSiklonixとAla Braforixとなりました。Balakadrixはアンティル諸島の踊りBalakadriが由来だと推測されるのですが、それ以外はよく分からず・・・
ちなみにヨーロッパの植民地の言語としては、他にはグリーンランド(デンマーク領)の新聞でグリーンランド語版が連載されたこともあったようです(未単行本化)。
<「やさしい」言語>
皆さんは、「やさしいにほんご」はご存じでしょうか。「文法・言葉のレベルや文章の長さに配慮し、わかりやすくした日本語」として、主に日本語を母語としない外国人でもわかりやすいようにした日本語のことです。
そのような試みは世界各国にあり、「アステリックス」はそのような「やさしい」言語のうちドイツ語(Leichte Sprache)と英語に訳されています。きっかけは、2023年にベルリンで開かれたスペシャルオリンピックス。知的障害を持つアスリートが様々な競技で競う大会です。ベルリンで開催されるということもあり、既に優れた翻訳が存在するその二つの言語が選ばれたのでしょう。ちなみに、訳された巻は、この記事でも紹介した《 Astérix aux jeux olympiques 》(アステリックス オリンピックに出る)で、タイトルは通常版と同じ„Asterix bei den Olympischen Spielen“/”Asterix at the Olympic games ”です。
これらの翻訳は、わかりやすい文章で書かれ、学習障害のある人によってチェックされた(„Die Texte wurden leicht verständlich geschrieben und von Menschen mit Lernschwierigkeiten auf Verständlichkeit geprüft.”)ものだそうです。
英語版の最初の文章を例に挙げると、”The year is 50 B.C. Gaul is entirely occupied by the Romans.”が”Our story takes place in the year 50 before Christ. Over 2,000 years ago. The Romans have taken over Gaul completely.”と、英語を母語としない人でもわかりやすい語彙が選ばれています。ドイツ語版に関してもそれは同じです。ちなみにあくまで「わかりやすい」文章になっているだけで、内容は変更されていません。そこを宣伝で推すというところも、ゴシニの意図をしっかり守っていて素晴らしいと思います。
翻訳には、異なる言語に翻訳する「言語間翻訳」だけではなく、こういう「言語内翻訳」もあり、なおかつ必要とされているのです。
さて、今回もたくさん紹介してきました。いやあ、言語って面白いですね。参考資料を読むたびに新しいことが学べます。ちなみに、オランダ語とスペイン語、方言・少数言語、「やさしい」言語は当初紹介する予定はなかったのですが、調べているうちに情報が貯まってきて、元から書き進めていたラテン語とクレオール語のコーナーと合わせて一つの記事になったわけです。特に方言に関しては「参考文献」を見ていただけると分かっていただけるでしょうけどかなり紙の資料を使って調べました。4月はほぼこの記事のための調べ物に費やしたと言っても過言ではないでしょう。市内の図書館にも何度も行きましたね~皆さんも調べ物がある時はどんどん行きましょう。
次回は、ヨーロッパ(とその元植民地)を飛び出してアジアに行き、そして満を持して日本語版を扱います。日本での失敗の裏には何があったのか!?その日本語版はどのようなものだったのか!?日本以外の国ではどう訳されたのか!?来週をお楽しみに。ほいたらね。
<参考文献>
- オランダ語
-
- 河崎靖「低地諸国(オランダ・ベルギー)の言語事情」大学書林(2002)
- Asterix - Wikipedia
- Asterix - TV Tropes
- Nasynchronisatie - Wikipedia
- Is Dutch dying out?
- https://www.europelanguagejobs.com/blog/death-of-dutch
- Dutch TV is going to start dubbing shows. Dutch people are outraged | DutchReview
- オランダの歴史 - Wikipedia
- その他、サウザンコミックスさんの「海外マンガ勉強会#3」の内容も参考にさせていただきました。
- スペイン語
- Anexo:Personajes de Astérix - Wikipedia, la enciclopedia libre
- Formes et enjeux de la traduction interculturelle : l’appropriation des stéréotypes nationaux dans quatre traductions des Aventures d’Astérix
- « Astérix en Hispanie » / « Astérix en Hispania » : une certaine image de l'Espagne au croisement d’un regard français et de son reflet déformé par la traduction espagnole »
- Mexicanizan a la popular historieta de Astérix y Obélix
- A Goscinny lo que es de Goscinny
- ラテン語
- Astérix - The Collection - Translations - Asterix in Latin
- Jeux et enjeux dans la traduction en latin du dernier Astérix
- Goscinny & Uderzo “Asterix and the Banquet” Hodder Dargaud, 1979
- 少数言語・方言
- Goscinny & Uderzo《 Le Combat des Chefs 》 Hachette, 1999
- 河崎靖「ドイツ方言学 ことばの日常に迫る」現代書館(2008)
- 河崎靖「低地諸国(オランダ・ベルギー)の言語事情」大学書林(2002)
- 福嶌教隆「スペイン語の贈り物」現代書館(2004)
- 田澤耕「ニューエクスプレス+ カタルーニャ語」白水社(2021)
- ジミー・ナイシュ「滅びゆく世界の言語小百科」(2016)、柊風社
- 河崎靖・坂口友弥・熊坂亮・Jonas Rüegg共著「スイス『ロマンシュ語』入門」大学書林(2013)
- ゾラン・ニコリッチ「あなたの知らない、世界の希少言語」日経ナショナル ジオグラフィック(2022)
- Du village d’Astérix au village global : historique de cinquante ans de succès
- Dalen
- La traducción de manga como vocación: entrevista a Marc Bernabé
- クレヨンしんちゃんが独立運動に? カタルーニャとの「意外な縁」
- Quand Cactus faisait parler Astérix en luxembourgeois
- Luxembourg's Language Lives in Comics
- Astérix - The Collection - Translations - Asterix in Cretan Greek
- クレオール語
- 小池理恵「クレオール(母語)とモーリシャス語(母国語) モーリシャスとデヴ・ヴィラソーミの文学」開拓社(2019)
- Pourquoi des classiques de la littérature sont-ils traduits en créole ?
- Potomitan - Gran kannal la
- Astérix en créole réunionnais
- Astérix - The Collection - Translations - Asterix in Creole
- Astérix - The Collection - Translations - Asterix in Réunion Creole
- 「やさしい」言語
