ボストンに来てから半年以上経過したが、英語力が向上した実感がまるで沸かない。
まぁそんなのは努力してないからしょうがない訳だが、ここに来て改めて実感したことがあるので日記のように書こうと思う。
それは本当に今更なのだが、人間のデキが違う人たちが多いこと。
ボストンでの勤め先でも英会話の学校でも思うのだが、頭が極めて良い人が本当に多い。
MITもハーバードもあるんだから当然だろうと思うが、ここまで毎日自分のダメさ加減、才能・根気のなさには、我ながら情けなくなってくる。
ちなみに、頭が良いというのは色々ありますが
自分は回転の速さ+記憶の良さにプラスして努力する人だと思います。
実際は努力というよりも好きで勉強してる人が多いイメージです。
楽しくてしょうがないから勉強して研究してるんですが、はたから見るとどうみても苦行=努力しているわけです。
正直、自分が備わっているものは記憶の良さ程度なもんです。
小学校時代などは算数・国語は壊滅。社会は最高でした。
もちろん覚えるだけだからです。
ボストンに来て、自分と他者をどうしても比較してしまい(日本と違って就業上考える余裕=時間をくれているという皮肉めいた理由もある)内省的になります。
思い返すといつも自分はギリギリのラインに立たされている人生だったと思う。
その心は、中学でも入学時に最下位に近い成績だったのに学級委員長になってしまい、
勉強などまるで嫌いだったが、親からは委員長になったからには勉強しないとと急かされ怒られながらも勉強した。
高校に入る頃には学年2,3位という微妙な位置を維持しつつも、大学受験へのプレッシャーがあらゆる方向から来て、常に焦っていた。
見事にどこも受からず一浪した時には、父親も既に亡くしていたためこれ以上迷惑かけられないという、更なる焦りの気持ちで勉強していた。
有名大学へ入学できたが、当然頭の良い者がウジャウジャいた訳で、自分なりに努力はしてみても良い成績はとれず、劣等感を抱きつつも、将来に対する焦りから投げ出すことはしなかった。
就職してからも中途半端な上位を維持していたため、今回のボストン行きが決まる。
そしてボストンでは当然、各会社・大学の上位の人間が集まるので、自分はそのなかでは最下位となる。
言い方を変えると背伸びした人生を送りすぎている。。。
しかも意図せず、だ。
正直、大学まででこんな幼稚な感情は終わりだと思っていたが、まさか再び味わうとは。
つまり何が言いたいかというと、
今日も色んな焦りに突き動かされて"他発的に"頑張るということです。