今でも現実を受け止められにくい心境なのですが、昨日は哀しいお別れに。
ぺーさんと出逢って様々なプロミュージシャンを繋げてくれた中で1番のエクストリームしてたミッチャン、古谷光広くんが先日、オーケストラの本番前に意識を失いそのまま旅立ってしまいました…
ぺーさんが何故か僕を推してくれて、ド素人をファンクバンドのコーラスに参加させて貰った23年前
英語の歌詞、聴いた事のない曲を10曲、1か月で覚えろと指示され四六時中練習に明け暮れてスタジオで曲合わせに行くと、『何言うてるかぜんぜん聞こえへんねん!!』『もっと声出せよ!!』と、いつもコーラス隊に怒っていたミッチャン。
上手に歌わなアカンと小さくまとまってしまってたのが、声にも出てしまってて毎回怒られてたので、ええ加減腹立ってきて、どうでもええわ!!ってなって怒鳴る様に歌って、その日の練習終わったら申し訳無いけど辞めたらええわってなって、吹っ切れて大声だして歌った
曲が終わっていつものダメ出しを待ってたら『それや!それでええねん!!』って
その一言で吹っ切れた僕は気が付いた
元々下手くそやねんからカッコ付けても嘘がすぐにバレるだけやし、最初から一瞬でそれをミッチャンは見抜いていたん。
あのままスネて辞めず、愛ある説教に気付けて良かった。
その後はバンド全体の雰囲気や流れも良くなり、当日は気持ちがワクワクしている状態でジャズストリートと言うビッグイベントに出させて貰ったんですが、自分のパートを1つ早く歌うとゆ〜とんでもない惨事をやらかしてしまった

ですが、流石プロフェッショナルの集まり!!
何事も無かったかの様に終わらせてくれて本当に助かりました😍
そのライブを経て、僕の結婚式(2002年)の次の日にもう1度大きなイベントがあって、大ホールで出演させて貰って素晴らしい価値観を与えてくれた事は今でも鮮明に興奮して思い出しますし、初めて音楽でちゃんとした金額のギャラを貰えた!!
そのバンドは関西歌ものバンドと名前を変え、ミッチャンが主線を張って毎年高槻ジャズストリートに参加し、メンバー交代を繰り返しながらも毎回動員数を増やし続け、今では立ち見でも収まらないくらいの超大人気バンドで、高槻ジャズストリートでは無くては成らないビッグバンドにミッチャンは創り上げていました。
今年の5月も、また歌もん観に行こう
ミッチャンのバリトンサックス、ぺーさんの歌声、先生の指が30本付いてる様なギターテクニック等などを聴きに観に行こうと、そろそろ想像していく期間に入りだした矢先の今回の旅立ち…
僕と同じ歳なんです…
この先は関西のジャズ界の最先端に立ち、引率者として様々な後輩指導で、若者達に大きな価値観と刺激を与え続ける指導力や影響力を発揮して行くんやとずっと普通に思ってた
僕なんかよりも、昔からミッチャンと切磋琢磨や喜怒哀楽を共有しあったメンバーの方々
気丈に話してたけど、師匠のぺーさんの落ち込み方が不安を誘うくらいの落ち込みようでした
出来る限り寄り添って話しをしましょうと、ミッチャンのお弟子さんと僕たちでお店へ
かなりの時間お店にいてましたが、話は絶える事なく色んなお話を聞かせて貰い、色んな方々を繋げてくれました。
昨日はぺーさんは僕の家に泊まりに来てくれ、ようやくお酒を飲み始めた僕と数時間のお話を
もちろんミッチャンの昔話も当然ですが、好きな歌があるって歌ってくれた曲は思わず胸が熱くなりました…
疲れとお酒とミッチャンに会えた安堵感からか、ぺーさんは、眠たなってきた言うてスーッと眠りについてくれました。
僕も安心して2時過ぎに寝ました
目が覚めたのが7時30分
隣の部屋を覗くとぺーさんいてない!!
慌てて外を見たら車あらへん!!
えっ!?どないした!?
慌てて電話したら黙ってしれ〜っと帰ってました(笑)
ハッハッハ〜ッ!ゴメンゴメ〜ン、マコ〜(笑)
今朝の声は、前を向けて切り換えて行こうとしている様に聴こえた、ワントーン高い声が電話から聞こえていました。
ミッチャン
僅か2回だけやけど同じステージに立てた事は一生の誇りに思ってるし、語り継いでいくし自慢もする(笑)
そして何より、見捨てずに使ってくれてありがとう
おかげで、僕みたいな凡人が一生見れることの無い、ズバ抜けた素晴らしい景色が見れたから✨
この写真はかなり前にジャズ界の重鎮、故『古谷充』氏とぺーさんがジャズをするって言うので娘達と観て来た時の1枚が最後の1枚になりましたが、この1枚はずっと大切に
ちなみに、そのファンクバンドの当時はタワー・オブ・パワーと言うバンドのコピーでしたが迫力あるよ〜
『関西歌ものバンド』
『古谷光広』『古谷充』さんも是非!!!!
YouTubeで観てみて〜🫰