㈱エム・エム・ピー・ジー総研 坂井 浩介
◆TPPの真の狙いは日本の医療・保険市場への本格参入にある!
農業ばかりが注目されるTPP交渉参加に関する論議、確かに狭隘な国土で、非効率的な生産性を強いられる日本の農業に与えるダメージは計り知れない。しかも、食糧の確保は見方を変えれば国家安全保障上の重要課題でもあり、ただでさえ食糧自給率40%前後の我が国にとって農業製品の貿易自由化は日本の農業の「死」を意味する。さらに言えば、日本の美しい風土の崩壊にもつながりかねないのだ。故にマスコミも連日、TPP参画による農業への影響を最重要課題と言わんがばかりに取り上げている。
しかし、米国の最大のターゲットは、もう一つの閉鎖的市場である医療分野であることを我々は強く認識しなければならない。何故ならその市場規模は農業の比ではないからだ。仮にTPP参加により日本の医療市場が無条件に開放されることになれば、国民皆保険制度はその形を残存させたとしても、その給付内容は大きく変質することとなろう。
◆小泉政権のDNAをもつ安倍新政権にとってTPPへの参加は必然
安倍首相がTPPへの交渉参加を表明した。これにより日本は6月から本格的な協議のテーブルに着くことになる。国民、マスコミの関心の多く農業に向く中で、医療分野における深掘りがどこまでなされているか不安が残るところだ。すでに半数以上の国民がTPPへの参加は国益にかなうと賛意を示しているが、果たして我々は国民皆保険制度への影響をどこまで把握しているのだろうか。安倍首相は国民皆保険制度は堅持すると公言するも、問題はその守り方である。そもそもTPP参加による医療への影響とは何なのか。ここで思い出さなくてはならないのが、アメリカからの強い圧力を受けた小泉政権下における医療市場開放に向けての動きである。規制改革・民間開放推進会議では、民間企業による医療経営参入・混合診療の拡大が提起された。医療の非営利・公益性を強く主張した厚生労働省サイドが辛うじて歯止めをかけたものの、自らの主張を言質に取られ、結果的に従来の出資持分の解釈を大きく変えざるを得なくなった。即ち、現在の大きく歪んだ医療法人制度は、まさに医療市場への民間参入阻止によって生まれた申し子的存在ということも出来る。第一次安倍政権が2007年1月に発足させた総合規制改革会議も、まさにこういった小泉路線を踏襲するものであった。
昨年末、誕生した第二次安倍政権が小泉路線を踏襲することは上記の流れからも間違いないであろうし、事実、混合診療の拡大等を目指す議論がすでに新政権下での規制改革会議で進められている。言葉を換えれば改革・開放とはまさにグローバリズムそのものであったのであり、小泉首相の遺伝子を有する安倍首相によるTPPへの交渉参加表明は言わば必然であったとも言えるのだ。そして医療もその例外ではないのだ。
◆医療分野は聖域とはなり得るか
前回は表向き「国内問題」として回避出来た医療市場の開放は、今回新たにTPP参加を巡って「国際的課題」として矢面に立たされることとなった。ヒト・モノ・カネすべての分野で医療市場の開放が進むことになれば、当然医療そのものに、格差が生じ、その平等性において皆保険としての態をなさなくなる、これこそ日本医師会等がTPPへの参加に反対する大きな理由である。具体的に言えば、規制的障壁を除外された中で、最新の医薬品や医療機器が市場に流入し、混合診療によって国民の前に選択肢としてラインナップされることを想像すればよい。さらにそういった最新技術の医療提供を担保する民間保険が大挙参入し、経営難にあえぐ日本の医療機関(病院)への積極的資本投下が、こういった民間保険会社と連動すれば、その姿は極めてアメリカ型のヘルスケアシステムに近づくと言っても過言ではあるまい。誤解を恐れず言えば、日米のGDPで80%を占めるTPPとは「環太平洋」の名を借りた実質的な両国間のFTAにも等しいのである。そして彼らが最大のターゲットとするものは医療・保険を介しての700兆円とも言われる国民資産の取り崩しにあるのだ。近い将来米国資本の入った病院が誕生し、米国の医療保険による高度先進医療が提供されるという時代の到来を我々は覚悟しなければならない。当然、米国資本参加型医療機関の経営収支は大きく改善され、人的資源が収益性の高い医療機関に流れることも十分に予想される。そして、こういった動きは医師の更なる偏在と、医療機関のレベルそのものにも大きな格差を発生させる可能性をも秘めているのだ。
まさに日本医師会等が危惧する国民皆保険制度の有名無実化である。保護的であった故に守られてきた我が国の国民皆保険制度、しかしながら、一方で医療財源は困窮し、高齢化の更なる進展でその維持すら危ぶまれているのも事実である。医療費の抑制を睨んだ医療の効率的提供体制の構築が叫ばれながらも、フリーアクセスが結果的にこれを阻害する形となり、施設機能の体系化は遅々として進んでいない。結果的には、高齢化に伴う自然増も相まって医療費の増嵩は極限状態に達しつつある。財政的視点に立てば、消費税率を10%としても、医療財源は早晩、再枯渇すると言われるなかで、公的保険給付の枠を縮小し、その一部を民間保険に肩代わりさせるという発想は極めて必然であり、大いにあり得る話なのだ。再燃する規制改革会議における混合診療拡大といった議論は、TPPへの参画を前提としたものと見るべきであり、安倍首相は、農業ほどに医療市場を保護しないとみる方が賢明である。つまり、「国民皆保険制度は堅持する」という言葉の前には、「規模を縮小してでも」あるいは「国民の選択肢を広げた上で」といった言葉が隠されていると私は考えている。
◆医業経営は完全なる競争社会に巻き込まれる
医療市場を開放するということは、医業経営にあっても競争原理がものをいう社会の到来を意味する。もちろんすべての医療機関が影響を受けるとは考えにくいが、中長期的には、市場競争による優劣、即ち勝ち組負け組がこれまで以上に明確に発生することとなろう。混合診療への取り組みにより、勝ち組の収益力は大幅にアップする一方で、閉鎖倒産に追い込まれるといった医療機関も出現するであろう。また、このような経営環境はよりよい労働環境を求める医療人材の流動化に拍車をかけることになるかも知れない。さらには先進医療を保障する保険会社との相対契約といった新たなマーケティング活動の必要性に迫られる可能性もある。いずれにしても文字通りの「経営力」が強く求められる時代が到来するのである。TPPへの参加により、医療機関経営は民間企業と同様の環境に置かれることを覚悟しなければならない。
◆いい医療を「金」で買う時代になってもいいのか
言うまでもなく「よりよい医療」が混合診療により提供されることとなれば、富裕層は競ってこれを利用することとなろう。また様々な医療保険商品から所得に応じた保障プランを購入するといった動きも顕著となるであろう。逆説的には従来の公的保険による医療保障との間に明確な格差が生じることとなる。ここに医療保障の平等性は完全に瓦解する。まさに米国型のヘルスケアシステムに国民皆保険制度は浸食されてしまうのである。残念ながら米国式の医療保障制度が、その平等性、経済性において優れたシステムであるとは言い難い。何よりも我が国の国民皆保険制度こそが世界的にも高い評価を得ているのである。公的保険による給付は最低保障のみ、という社会を我々は認めてよいのであろうか。TPPへの無条件参加が医療にもたらす影響の大きさを我々はもっと声を大にして唱え、議論するべきではあるまいか。
※上記はあくまで個人的意見であり、MMPGとしての見解を述べたものではない。