2019(平成31)年3月16日(土)
 
笠松の河津桜を見学した後
 
一度覗いてみてみたいと思っていた松ヶ島城跡を見てみようと
 
松ヶ崎漁港に車を向けました    15:00時
 
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松ヶ島城は信長の二男、織田信雄(のぶかつ)の
 
居城であった現在の玉城町にあった田丸城が火災で焼失し
 
天正8年(1580)に
 
伊勢湾に面したこの地に五層の天守を構えた城を築き入城しました

 

       前方北側は見渡川が伊勢湾に注ぎ白い建物は三重県卸売市場です

 
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この三重中勢辺りは国司北畠氏が治めていましたが
 
信長の伊勢平定に伴い
 
北畠家は9代国司北畠具房の養子として織田信雄を迎え
 
信雄が家督を継いだのでした

 

              松ヶ崎漁港の南に位置する松阪港(大口)が

 
よく見えています
 
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松ヶ島城は海に近い城跡
 
それだけの知識で松ヶ埼港に来てみただけでした
 
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 堤防から城跡らしきものはないかと眺めていますと

 
田畑の中に松ヶ島城址らしきものが飛び込んできました
 
確信は出来ませんが、それらしき景色です
  
車を移動します
 
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なんとも侘しいところです   
 
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もともとこの細首(松ヶ島の旧名)の地には
 
伊勢8代国司北畠具教(とものり)が永禄10年(1567)城を構えていました
 
永禄12年8月、織田信長の伊勢侵攻に遭い
 
具教は城を焼き払い廃城として
 
大河内城で嫡子具房と共に10,000の兵で信長軍と対峙します
 
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織田勢の侵攻に
 
北畠家は信長の二男信雄(のぶかつ)を養子に迎えることで打開を図りました
 
その信雄が伊勢平定の地に築城したのが松ヶ島城でした
 
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激変の時代です
 
天正10年(1582)6月2日
 
信長は家臣明智光秀の手により打ち取られます、本能寺の変です
 
その光秀を山崎の合戦で打ち取ったのが秀吉でした
 
信長の死後11日後の6月13日でした
 
世にいう光秀の三日天下です
 
信長の嫡男、信忠が本能寺の変で自害し織田家の跡目相続が持ち上がります
 
二男信雄、三男信孝も後継者足らんという思いも
 
秀吉の推す三法師(嫡男信忠の嫡男)で後継者は決まります
 
信雄は伊張、伊賀、南伊勢、信長の遺領100石を相続します
 
時勢に乗った秀吉と譜代家老の柴田勝家の権力争い
 
賤ヶ岳の戦いで秀吉は勝利し権力を手中に収めます
 
秀吉の配下となった信雄は家康と組み
 
天正12年(1582)4月9日、長久手の戦いを起こしますが
 
劣勢となると秀吉の和解案を呑み講和を家康に無断で結んでしまいます
 
その年の11月15日
 
(伊賀、南伊勢と北伊勢の一部を秀吉に割譲するのでした)
 
秀吉は着々と天下人への階段をのぼりつめています
 
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天正12年(1584)長久手の戦後
 
秀吉は部下の蒲生氏郷に伊勢松ヶ島城12万石に加増し転封させます
 
(日野城主氏郷はそれまでにも伊勢亀山城も秀吉に与えられていました)
 
氏郷は松ヶ島城に入城はしたものの
 
氏郷は飯高郡矢川庄四五百森(よいほのもり)に着目し
 
新たな城づくりに着手しました

 

    寺院を町の外に置き、町筋は直線でなく角を要所に作り敵が攻めこめないようにし、

 
松ヶ島の武士、商人ともども強制的に移住させ城下を作りました
 
天正16年(1588)現在の松阪市、松坂城址です
 
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田の向こうは堤防です    15:25分
 
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旧地割です
 
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名残(なぐり)という地名があります
 
松ヶ島から四五百森に転封する際、氏郷公が
 
名残惜しいと何度もつぶやいた言葉が地名になったともいわれています

 

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何とも放置されたままの状況で寂しさの募る風景でした
 
 
旧道を歩いてみましょう
 
社があります   15:35分
 
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八雲神社とあります
 
松阪三社神社の神輿、やぐもさんの元社でしょうか   
 
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立派なお屋敷です
 
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蒲生氏郷公が住んでいた跡地でした
 
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まだまだ奥深い松ヶ島の地ですが
 
後にします
 
松ヶ崎の南に位置する松阪市最大の漁港、猟師港です
 
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ここで水揚げされた魚が
 
阪神、近畿方面に行商で売られに行き
 
近鉄列車がある時間は鮮魚列車と言われるほどそんな人たちでいっぱいでした
 
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猟師港の南に
 
松阪市の工業地帯でもあり、積出港でもある松阪港があります
 
地名が大口であり、私的にはおおくちが適しています
 
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しかし表玄関であった
 
松阪港は閉鎖されてしまいました
 
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地方の悲哀差を感じています
 
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3月15日の中日新聞   松阪紀勢版です
 
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