2019(平成31)年2月16日(土) くもり

2月15日付の夕刊三重です

元高校教諭であったアマチュア写真家の故、平(たいら)まさるさんは

写真撮影で全国各地を巡ると同時に

50年以上をかけて郷土玩具の収集もされていました

これまで松阪市郷土資料館や

伊勢市のおかげ横丁などでも展示したほか

毎年、ひな祭りの時期に合わせ自宅で展示されていました

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平さんは7年前の

2011年(平成23年)に85歳でお亡くなりになりましたが

妻の好子さんが、今も亡き夫の遺志を引き継ぎ

今年で17回目の郷土びなを自宅で開かれています

電話で時間を予約して伺いました   14:00

気さくに応対され早速お邪魔します

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数多いコレクションであるため地域別に展示されています

まずは右側の窓際のひな壇は

主に東北、関東、信越地方のお雛さんです

上段右端は岩手県金ヶ崎町の六原張り子雛   澤藤範次郎 作

初代澤藤竜輔氏が考案した裏張りの技法を踏襲し

日本最北端の成島和紙を一枚一枚貼り重ねた伝統的な技法で創作されています

その左隣が秋田県横手市の中山土人形雛  樋渡義一  作

九州鍋島藩の陶工宇吉さんが南部藩に仕え焼物を始めたのが基です

最上段の内裏雛は秋田市八橋の土人形雛です  道川 トモ 作

天明元年(1781)京都伏見の人形師がこの地に移り住み

日用陶器を焼いたのが始まりで、一時途絶えますが

文政年間(1818~30)八橋、毘沙門天の住職が型を起こし復興させました

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                                          アップ          
下段の右端は岩手県花巻土人形雛  平賀孫左衛門  作

享保年間(1716~35)この地方の村人が農閉期に伏見人形の型を素に

東北を代表する、堤人形の良さ(浮世絵風)を取り入れ

伏見の明るさと堤の優雅さが加わった独自の境地を拓き

東北三大土人形の一つになっています

そのお隣が山形県米沢市の相良土人形雛です  七代目 相良 隆 作

明和安永年間(1764~80)米沢藩主上杉鷹山公が相良氏に依頼、

相良氏が京都伏見人形を見て確立したとされる洗練された人形で

東北三大人形の一つです


平さんの奥さまもラブラブですねと言われた

ユニークな抱き雛の六原張り子雛が一番興味を惹きました

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窓際の中ほどのお雛さまです

上段の内裏雛は福島郡山市三春の土人形雛と張り子雛です  橋本広吉、橋本芳信  作

正徳、享保年間(1711~35)

子供の玩具として張り子が高柴地区でつくられいました

三春城主が江戸から人形師を招き城下に作業小屋(デコ屋敷)を与え

民芸品の制作に力を入れました

デコとは木彫り人形をさし、デコ屋敷は三春駒(木馬)、三春張り子等々

三春の民芸品すべての発祥地です

昭和29年(1954)三春駒は日本で初の年賀切手に採用されました


下段は東北三大人形の一つ堤土人形雛です  芳賀 強  作

文禄(1688~1708)の頃からつくられ

京都伏見の型を素に東北の郷土色を漂わせた浮世絵風の土人形で

文政年間(1818~1829)最盛期を迎えました

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堤土人形    浮世絵の立体化と言われています

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窓際左側、上段のお雛さんです

上下段とも右側には東北地区の福島県三春や宮城県の堤人形雛がおかれ

左端からは上下段とも関東地方のお雛さまです

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主に関東地区のお雛さまが続きます

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東海、近畿、北陸地区ゾーンに入ります

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下段には岐阜県産が多いですが

この高山土人形雛は、大正の中期、岩信成氏が

名古屋や富山の土人形をヒントに独特の型で土鈴などを作り始め

その流れを娘の光子さんが受け継いでいます

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下段には地元松阪の陶鈴雛があります   佐久間 勝山  作

郷土の産んだ国学者、本居宣長が好んだ鈴をもとに

松阪万古で焼かれています

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東海、北陸ゾーンの向かって左方向の写真です

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上段左端の名古屋土人形雛

平成元年に86歳で他界された故、野田末吉氏の作です

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下段には伊勢市の小米雛  今村端甫  作

伊勢神宮のおひざ元の地で、いつの頃からか米粒を

白紙に包んで頭とした男女の紙雛の風習が盛んになっていました

大きさ2㎝ほどの紙雛で

資料を基に彫刻家の今村さんが復元されました

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同じく下段の奈良手向山神社の比翼雛  

主人がひな人形集めを始めるようになったきっかけの人形で…と奥さん

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最後のゾーンは関西、中国、九州方面のお雛さまです

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上段の京都伏見雛  大西 重太郎 作

全国の土人形の元祖と言われる伏見人形

第11代垂仁天皇(紀元前後の端境期)の頃、埴輪や土器を

土器部(はしかべ)が作ったのを起源とし

人形が作られたのは江戸時代初期と言われています

下段は大阪堺市のはだかオランダ雛です  故 金田新平 作

はだか雛はストリップ雛とも呼ばれ夫婦和合の縁起物とされ

住吉大社から授与されたものです

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右側に移ります  主に九州の内裏雛が並びます

上段の真ん中に鹿児島姶良郡の怗佐の土人形雛  折田 保文  作

文禄、慶長(1592~1614)の征韓の戦の時

薩摩藩島津公がつれ帰った朝鮮人陶工、金海が創始したもので

郷土臭の濃い作です

左端の内裏雛は福岡県春日市の古型博多人形雛です  中ノ子 勝美  作

博多人形は土人形の域を脱し

工芸的、高尚な作風を指し高価なもので

その作風を守り続け郷土玩具として人形を制作されているのが中ノ子さん

寛政年間(1790年代)から始まり

嘉永年間(1848~54)に内裏雛がつくられています   勝美さんは四代目です

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なにしろ160体の郷土雛です   頭に入りきれません

最後に下段左端の沖縄那覇市の

ウーメンとウーメンパークです   古倉 保文  作

ウーメンとは紙雛を指しウーメンパークはそれを入れる木箱のことです

人の型を紙を使いそれに自分の災厄を引き受けてもらう行事が

日本のひな祭りの起源ですが

この風習は中国から伝わったとされています

早くから中国と交流のあった琉球王国の文化の一面が残されています

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一通りのお話を伺い次の間に案内されました

そこにも亡き夫の収集された各地の旅行先での

お土産が保管されていました

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趣味とはいえ凄い量です

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展示の間に並びきれなかったお雛さん

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旅の思いの数々です

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写真家でもあり郷土玩具の蒐集家でもあった平さん

JR東海 京都彩々フォトコンテストで準特選に選ばれました

全国からの応募総数972点

特選1 準特選2  入選7の快挙の作品でした

題名は常寂光寺

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在りし日の平さん(工業高校の機械科でした)

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今年の干支  猪です

お茶をいただきながら笑みを浮かべ

12の干支だけでも各年ごとに数十あり出し入れも大変ですと好子さん

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帰りがけに今年の年賀郵便切手デザイン

郷土コレクションに採用された平さん所蔵の写真をいただきました

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詳細です

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ぜひ来年もまた

展示会をしてくださいとお願いしてお暇しました