2019(平成31)年2月7日(木) くもり

松阪山城の保存活動をされている

松阪山城会のメンバーが阿坂城跡(白米城)で

狼煙(のろし)を上げる実験をされます

今年で3回目の試みで

地元紙(中日新聞、夕刊三重)にも取り上げられていました

昨年2月15日の中日新聞掲載の写真記事です

イメージ 1

私も今年は高台(海抜48m)の宝塚古墳公園から

狼煙が見えないものかと出かけました

イメージ 2

9:00に狼煙が挙がります

既に待機中の人の姿も見えます

イメージ 3

おだやかな日ですが曇り空で狼煙が見えるでしょうか

イメージ 4

阿坂城(白米城)の標高は312mで

この宝塚古墳公園とは約8kmほどの距離です

阿坂城(白米城)の出城に高城と枳(からたち)城があり

これら3つの城は併せて1982年(昭和57)に

国の史跡に指定されています

イメージ 8

望遠カメラに狼煙が見えたの一報です

とても肉眼では見えません

やみくもにデジカメのズームで撮ってみました

イメージ 5

狼煙のようにも見えますが…

イメージ 6

違うようにも見えます

イメージ 7

昔から狼煙は重要な通信方法でした

現代人の眼力では及びもつかない目の効く人を選んだのでしょう


私は見張り番失格です


※  阿坂城(白米城)伝説

天皇家が二分並立されていた南北朝時代(1336~1392)は

明徳3年(1392)の明徳の和約で

南北それぞれから交互に君主を即位させる両統迭立の約束で一旦は両朝が合一します

しかしその約束を反故にして

1412年、室町(足利)幕府は北朝の称光天皇を即位させます

南朝方の有力武将であった第3代伊勢国司、北畠満雅はこゝ阿坂城で挙兵します

満雅には大和、紀伊、河内の武士が味方し

幕府は丹波の一色氏を総大将に土岐、京極氏を送り応戦します

幕府軍は阿坂城を包囲し北畠満雅は山城の阿坂城に籠ります

幕府軍は水の補給路を断ちます

困った北畠軍は敵を欺くため

白米を馬の背に流し、水が豊富にあるように見せかけました

幕府軍は敵には水が豊富にあることが分かり

水断ち作戦を諦め包囲を解除したとあります

山城の戦場の伝説でこういった言い伝えは日本各地にあります

この伊勢の阿坂城もそのうちの一つですが

以降、阿坂城は白米城と呼ばれています

イメージ 9


一度、登ってみたいですね