2018(平成30)年12月16日(日)

鳥羽城跡と旧鳥羽小学校を後に城山公園に入ります

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城山公園は

鳥羽城跡と地続きの小高い山の上にあります

城山公園の四等三角点です

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標高は23,74mです

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鳥羽の海が一望でき、春の桜の名所です

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左が答志島  中央にミキモト真珠島、坂手島、菅島と奥に続きます

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伊勢湾フェリー鳥羽丸が出港していきました

55分で愛知県渥美半島の伊良湖岬とを結んでいます  14:12分

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観光船竜宮城も船出です

全長34,4m  幅7,5m  199トン 収容定員360名の大型観光船です

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真珠島、水族館前~(10分)~マリンターミナル~(15分)~イルカ島

~(25分)~ミキモト真珠島、鳥羽水族館

所要50分で周遊、また各所に立ち寄りもOKです

料金は1,800円  イルカ島の入園料は無料です

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城山公園から大山祇神社に向かいます

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境内内の銀杏の落黄葉に眼を奪われました

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鳥居前の木の狛犬一対は鎌倉期のものです

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九鬼嘉隆が鳥羽城築城の際

城山からこの地に移したもので旧鳥羽市内の氏神様です

瀬戸内に浮かぶ大三島の大山積神社の末社です

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神社から細い坂道を下り降りてきました

この日は城への登竜門の一つだろうと気づきませんでしたが

この塀と石垣は家老屋敷跡でした

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この急な坂道の先が鳥羽市役所

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鳥羽市は全域が伊勢志摩国立公園内に含まれ

人口は18,300名の市です

真珠王、御木本幸吉を生み

また三島由紀夫の神島を舞台にした潮騒が映画化され脚光を浴びました

演歌歌手、鳥羽一郎、山川豊の兄弟も鳥羽出身です

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1954年制定の鳥羽市の市章です

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鳥羽市役所と市民文化会館は陸橋で繋がっていました   14:30分

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まだ時間もあります

少々鳥羽の街なか見物もできそうです

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みなとまち風情がたっぷり残ったレトロ感が漂っています

そんな街なかの中華屋とんとんさんの真ん前に

真珠王、御木本幸吉の生誕の地がありました

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幸吉は志摩国鳥羽浦の大里、この地で

安政5年(1858年)3月、父音吉、母もとの長男として生まれました

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真ん中に真寿の文字の碑が建っています

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うどん屋から青果物の行商、米穀、海産物へと

次々と商いを手掛け、最終的に

世界の装飾品市場での天然真珠アコヤ貝の価値が高いところから

明治21年(1888年)

幸吉はアコヤ貝真珠養殖にのめりこんでいきます  30歳

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明治23年(1890)

相島(現在のミキモト真珠島)と神明浦で実験を開始

幾多の困難をへ、幸吉の作業を手伝うものは近親者のみの中

1896年(明治29)1月、半円真珠の特許を収得

喜びもつかの間、その年の4月に

最愛の妻うめ(32歳)を亡くしています

晩年の御木本幸吉

1954年(昭和29)9月没   96歳の長寿でした

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幸吉の生家あたりから山に向け道を進むと昔の遊郭があった界隈に出ます

今も酒場やスナック等の夜の街の風景が見られ

その一角に江戸川乱歩館があります

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10:00~15:00   休館火曜日と年末年始   300円

平日は予約制です  0599-25-8255

江戸川乱歩や竹久夢二と親交のあった

画家岩田準一の家を改造してつくられた昭和レトロそのものの建物です

すでに15:00を過ぎていました

随所に木製の常夜灯がありました

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この川はかって伊勢国と志摩国の境となった妙慶川です

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川沿いに進みます

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さらに進むと鳥羽城下の玄関口船着き場

唐人門跡に出ます

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ここから対岸の岩崎通りに出て

赤福餅をお土産に帰路につこうと思います

ところが途中に伊良子清伯の旧家がありました  15:25分

10:00~16:00    休館 火曜日    無料

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漂泊の詩人  伊良子清伯(本名暉造)は

明治10年(1877)10月、今の鳥取県河原町曳田で

父医師の政治、母ツネの間に生まれます

しかし母ツネは暉造が1歳にもならない間に亡くなってしまいます

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医師父の転住に伴い大阪、津と住まいを移し

津市で小、中学を終え

明治32年(1899)京都府立医学校を卒業します

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明治39年(1906)

清伯は33歳の時、自身の作、わずか18編を厳選した孔雀船を出版します

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ところが出版と同時に東京を去り

島根県浜田市、大分、台湾、京都で医業を転々としています

清伯漂泊の軌跡です

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そして大正11年

三重県鳥羽小浜の入り海に面した地に診療所を開業します

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以来、戦争のため

昭和20年三重県度会郡大宮打身に疎開するまで23年間

鳥羽小浜の地で過ごしました

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覗いてみましょう

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鳥羽小浜で過ごした住居兼診療所の家です

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1階の診察室

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この写真は奥さんの寿さんとでしょう

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2階も解放されています

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私が伊良子清伯を知ったのは

度会郡大宮町打身で清伯の後を継いで診療所をされている

松本盛男先生との出会いがあったからです

以来松本先生には

随分とお世話になり、その御縁で

伊良子清伯の家というと他人事ではなく気になってしまいます

清伯の代表作   安乗の稚児

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海の声

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大宮町打見で読んだ山の声

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また鳥羽小唄も作詞しています

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昭和6年の日記には

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昭和20年(1945)7月

度会郡大宮町打見に疎開し

翌年の1月10日  吹雪の中、往診に出かけ脳溢血で倒れ

帰らぬ人となりました

墓は村の墓地にあり寿夫人はその近くに家を建て

墓を見守っていられたと…