2018(平成30)年12月4日(火) くもり

松阪市の偉人を挙げるとすれば

古事記伝を著した本居宣長、松阪を開府した蒲生氏郷

北海道の名付け親、松浦武四郎でしょうか

今日は本居宣長の奥墓の見学に向かいます

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宣長は12歳から72歳で没するまで60年間にわたり

松阪市魚町の自宅で過ごしました

その旧宅(元禄4年=1691年築)は明治42年(1909年)松坂城址に移築され

現在本居宣長記念館(鈴屋)として開放されています


魚町の旧宅跡には長男春庭の家と土蔵が残っています

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また宣長と本居家の墓は市内新町の樹敬寺にあります

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しかし宣長は亡くなる1年前に亡骸は山室の妙楽寺山頂にと遺言を残し

墓石も自筆で本居宣長乃奥墓と刻み

その背後にこよなく好きだった山桜も植えられました

宣長の市内関連図です

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松阪市街から南西に位置する

山室町の奥深い山の地に宣長の奥墓はあります

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広陽町の中核工業団地を抜け

宣長の奥墓の標識に従い進みます

走る時間は僅か(数分)ですが対向するのもむつかしい狭い道路です

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前方に駐車場が見えてきました

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薄気味悪いほどひっそりしています  

この石段の先が史跡、本居宣長の墓です  11:45分

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紅葉も垣間見えます

紅葉に早かったのか遅かったのか分かりません

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約5分ほどで妙楽寺に着きます

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妙楽寺は宣長の菩提寺でもある樹敬寺住職の隠居寺です

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もともと、この山室の地は

縄文、弥生時代の土器や石器が出土し古くから栄えた地でした

聖武天皇の神亀2年(725年)僧行基が

伊勢参宮の途次、この地にとどまり観音像を刻み

一寺を建て金剛寺と称したのが妙楽寺の始まりでした

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その後、建歴年間(1211年~13年鎌倉3代将軍実朝)に

伯耆(ほうき)の国(鳥取県)から

式部少輔兼高が来住、山室氏を名乗り治安2年(1022年)の

大地震により荒廃していたこの地を立て直し

寺も再興し両竜山明楽寺としました(後に妙楽寺に改名)

そしてその兼高の子孫は山室城を築きこの地を治めます

戦国期に入り

山室氏は国司北畠家に仕えていましたが

天正4年(1576年)織田信長軍の襲撃に会い山室城主兼房は

田丸城で自刃、山室城も落城しました

妙楽寺観音堂

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江戸期に入り

樹敬寺の僧、清誉の中興により妙楽寺は再興され

以来、浄土宗知恩院末寺となっています

再建された観音堂の天井は

襲撃を受けた山室城の血塗られた廊下の床板が用いられ

血天井と伝えられています

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私達の子供時代は

観音堂も開放され、おぼろげに黒ずんだ天井を見た記憶があります

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鐘楼の近くに

明治34年(宣長没100年)を記念して奥墓を囲った石柵が保存されています

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平成13年(2001年)宣長没200年を記して

200年前の姿に復元され不要になった石柵です

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明楽寺本堂

誰も住まわれていないようです

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これから奥墓(オクツキ)に向かいます  11:55分

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さらに山を上ります

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うっそうとしています

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もう少しです

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拡大できます

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この段の先です

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本居宣長奥墓(オクツキ)です   12:05分

明楽寺から10分ほどです

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六坪の塚の上に宣長直筆の墓碑が建てられています

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敷島のやまと心を 人とはば

朝日に匂ふ 山さくら花

墓の背後には宣長がこよなく愛した山桜の木も植わっています

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静寂でした

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昔はこの地から

三河湾や富士山が見えたらしいですが…

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墓の傍らには門人であった

平田篤胤、植松有信の歌碑も建っています

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下山しましょう

何とこの仕業は鹿でしょうか

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このあたり一帯はちとせの森といわれ

環境保全地帯です

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宣長の奥墓のそばに八条ケ谷池があります

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ため池だったのでしょうが今年は水量は少ないです

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紅葉を楽しみに来ましたが辺りが靄ってきました

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池のそばの間道は

信長軍が山室城から大河内城襲撃に通った道です

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桜の広場に寄ってみます

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ドウダンツツジが綺麗ですが

これは猪の仕業ですね

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最後に観音のこみちを覗きます

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この右の岩に刻まれていたのが岩肌観音さんです

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最初は全く気づきませんでした

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これは鹿、猪…熊 ?

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急いで道路路をとり下山です

この道は八条ケ谷池までの道ですが

軽でも一杯一杯ですね

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随所に紅葉も楽しめます

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山深く、日差しが少なく川がないため

紅葉は色半ばです

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寄り道をするたびに見つける獣の仕業

猪の寝場所のような感じです

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開間に見える明楽寺

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駐車場に戻ってきました   13:05分

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下山した道ですが

現在はこのすぐ先から通行止めとなっています

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本居宣長の旧ブログです