2018(平成30)年10月25日(水)

今年のドラフトは高校生が主役でした

大阪桐蔭高校から根尾昴(巨人、ヤクルト、中日、日ハム)

藤原恭太(阪神、ロッテ、楽天)

兵庫報徳学園の小園海斗には(広島、横浜、ソフトバンク、オリックス)の

高校生野手3人に11球団が1位指名をしました

そして指名1位は逃したものの外れ1位として

秋田金足農の吉田輝星投手が日本ハムに指名されました

それぞれの指名獲得球団です

    藤原恭太(ロッテ)    吉田輝星(日ハム)       根尾昴(中日)       小園海斗(広島) 

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今夏の100回記念大会を

大いに盛り上げ秋田県勢103年ぶりの準優勝という輝かしい成績を残し

一躍ドラフトの星となった

金足農業の吉田輝星投手をお母さんありがとうで放映されました

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2001年(平成)1月  秋田県潟上市生まれ

175cm  82kg

野球を始めたのは小学3年生からでした

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父、正樹さんも金足農業野球部の高校球児で

2年連続、県の決勝戦まで行っていますが

甲子園の土は踏めませんでした

吉田君は高校1年の春からベンチ入り秋にはエースに抜擢されています

2年の夏には秋田県の決勝に進み

明桜高校に敗れ惜しくも甲子園ならずでした

2年生の冬に雪の中を毎日3時間のランニングを課し

下半身の強化、スタミナを図ります

3年春には効果が表れ、捕手菊地君は左手人差し指を骨折

キャッチャーミットは2カ月しか持たないほど球威が増しました

またピッチングでは奥歯が欠けるほど踏ん張るため

この頃からマウスピースを使用しています

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県立の星

吉田輝星のフィーバーぶりは日に日に高まり

一躍ドラフトの目玉候補にも取り上げられます

当初の吉田家は進学一本でした

野球は大学を卒業してからでもできるが父、正樹の姿勢でした

最速152キロ  伸びて切れのあるストレートは

桑田二世と言われる逸材です

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父、正樹とプロ志向の輝星との確執が始まります

父は息子を思い、プロの厳しさを説き

子は自分の力を試したい、夢の目標だと、溝は深まるばかりです

そんな時、妻の差し出した梨をほうばった正樹はうまいと一言

妻は、いまが旬ですから…と

父、正樹の心が揺らぐ一言でした

輝星のひたむきな思いに談を下したのは金足農業の渡辺勉校長でした

全ての責任は俺がとると

父親、大学関係者を説得し輝星のプロ入りを後押ししました

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注目のドラフト会議

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外れ1位とはいえ

根尾君を抽選で逸した日本ハムは吉田君を1位指名

それにしても日ハム栗山監督 (平成24年、2012年日ハム監督就任) 

 ドラフト運の強い監督です

昨年は高校通算111HRの早稲田実業、清宮幸太郎選手を

7球団(阪神、巨人、ヤクルト、ソフトバンク、楽天、日ハム、ロッテ)

1位指名からクジを引き当て

2012年(平成24)には岩手、花巻東のいまやメジャーの二刀流

大谷翔平選手を一本釣りしています

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日本ハム球団のドラフト運も強そうです

2010年(平成22)にはハンカチ王子の早稲田大、斎藤佑樹投手

2007年(平成19)には阪神、日ハム、オリックス、ソフトバンク指名の

中田翔選手を獲得

2004年(平成16)ダルビッシュ有投手

唯一の指名拒否は巨人の当時監督であった原辰徳氏の

甥、菅野智之投手をあえて指名し交渉権を得たものの

菅野投手が入団を拒否した経緯があるくらいです

(菅野は1年間浪人し巨人に入団しています)

プロ指名があるかないかと気をもむ中にあって

吉田輝星は贅沢な悩み葛藤でしたが

無事、本人の希望通りのプロ入りが実現し

その逸材ぶりを発揮してほしいものです

野球野球

横浜高校から明治大に進学した渡辺佳明選手

あの横浜高校の名将、渡辺元智監督の孫と言ったほうがよさそうです

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まず、渡辺元智監督からストーリーは始まります

春の選抜   出場15回  23勝12敗   優勝3回

夏の甲子園  出場12回  28勝10敗   優勝2回

教え子には愛甲猛投手、内野手(ロッテ~中日)

松坂大輔投手(西武~レッドソックス、インディアンス、メッツ、ソフトバンク、中日)

涌井秀章投手(西武~ロッテ)

筒香嘉智(横浜ベイスターズ)…等々がいます

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渡辺元智は田中家の次男として

1944年(昭和19)11月神奈川県足柄上郡町田町に生まれます

母の妹夫婦に子がなかったため

元智は野球ができることを条件に養子縁組で渡辺姓に入ります

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高校は横浜高校に進学

県大会ベスト4どまりで甲子園の壁は厚く

神奈川大学に進学します

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ところが、大学で右肩を壊し

野球部を退部、大学も中退し職にはついてみたものの

酒浸りの生活に溺れていました

東京五輪(昭和39年、1964年)前後です

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そんな荒れた渡辺を救ってくれたのが

横浜高校当時の監督でした

昭和40年(1965)渡辺は横浜高校の野球部コーチとなります

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そして1968年(昭和43)の秋には24歳で横浜高校の監督に就任

後列  右端

就任当初は監督専任という名の事務職員でしたが

監督業の傍ら関東学院大の夜間部に通い教員免許を収得し

同校の社会科教諭となります

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監督になった初年度の夏

神奈川県決勝戦で武相高校に敗退し涙を呑みます

当時の神奈川県には原貢氏率いる東海大相模高校

法政二高、慶応義塾、武相高校等の高い厚い壁がありました

しかし渡辺率いる横浜高校も

力をつけ虎視眈々と県の常連校に匹敵する力をつけてきました

その陰には

妻、紀子(みちこ)の並みならぬ支えがありました

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そして1973年(昭和48)第45回春の選大会に出場を果たします

2年生エース永川英殖(ヤクルト入団)を擁し

初出場初優勝の快挙を成し遂げます   監督28歳

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以降、横浜高校は

神奈川、いや東の雄としての地歩を固め

昭和55年(1980)第62回夏の甲子園では愛甲猛を擁し夏、初優します

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その間、娘二人も授かっています

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寝起きは球児と一緒

新婚当初は一間に球児と雑魚寝していたと紀子は振り返ります

ボランティアに等しい寮母として

野球一途の男の世話と球児、我が子を育てます

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ある日、次女元美が熱を出しぐったりしています

紀子はグラウンドの夫、元教の許に駆けつけると

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大事な試合が近づいている

選手にうつったらと一喝されます

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野球一途の元教を支える家族の絆ですね

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監督自身も感謝しています

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春、夏ともに全国制覇をなし

それ以降、毎年のように甲子園の舞台は踏みますが

1,2回戦での敗退が続きます

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平成10年(1998)年

平成の怪物、松坂大輔を擁し

その前年の明治神宮秋季大会優勝

春の選抜優勝、夏の甲子園、国体優勝と四冠を成し遂げてしまいます

史上初の公式戦44勝の無敗記録で

18年間の鬱憤を晴らしました

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平成9年(1997)

嫁いでいた次女、元美さんに佳明が誕生していました

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その元美さんが幼い佳明をつれ

両親の許に頼ってきました

渡辺は我が孫を親父代わりとなって育てようと決意します

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そして自身が挫折した野球をやらせようと…

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おじいちゃんがお父さん代わりとなり

親子三代の暮らしが始まります

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元美さんは母とともにナインの寮母として働きます

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松阪以降も

横浜高校は甲子園の常連校として出場

毎年ベスト4、ベスト8まで勝ち進む強豪校となります

平成15年(2003)の春には広島広陵高校に敗れるも準優勝

平成18年(2006)春の選抜には清峰高校(長崎)を破り全国制をします

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その頃の佳明も

母の歩んだように寮でナインに囲まれた日々を送り

祖父元智とともに野球に夢を追っていました

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佳明も小学2年で地元の野球チームに入ります

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金沢リトルでは投手を

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監督にとって我が子(孫)ばかりに眼を向けるわけにいきません

互いにそれぞれの野球の道を歩みます

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佳明も小学5年で並木ジャイアンツに所属

中学では中本牧シニアでセカンドでプレー

そして祖父の率いる横浜高校野球部に入る夢を抱き続けていました

ところが祖父に横浜高校に行きたいというと

こともなげに断られました

当時165Cmの小柄な佳明では横浜高校では埋もれてしまいます

祖父の親心でした

この言葉に発奮した佳明は一般入試で横浜高校に合格

その佳明を支えたのは母、元美さんでした

何事にもあきらめるなと言っていた父が

我が子にあきらめろとは…と母子で父、祖父に挑みます

平成24年  佳明、見事合格です

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悲願であった横浜高校で野球ができます

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同学年には1年春からレギュラーとなる

高濱裕仁(日ハム)、浅間大基(日ハム)という凄い選手がいました

現実の力量差にショックを受けますが

小さかった身体も成長し佳明は1年秋に1塁のレギュラーとなります

2年生の夏には甲子園に出場

右ひじ疲労骨折ながらも1塁手でスタメンに

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そして3年の春にも選抜大会に出場しています

監督の孫というのは…述懐しています

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平成26年夏  佳明、最後の夏  

体調、万全で5番ファーストで挑んだ大会は

5割の高打率を残しましたが

県大会準決勝で3-5で東海大相模に敗れ甲子園は阻まれました

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家族で駆け抜けた3年間でした

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翌年の平成27年(2015)、佳明は東京六大学の明治大学に進学

そして祖父渡辺監督も

この年の夏の大会を最後に半世紀近く務めた

横浜高校の監督の座を引退しました

最後の試合は神奈川県大会決勝戦

左腕小笠原(中日)率いる東海大相模に敗れました

東海大相模はこの夏、全国制覇を成し遂げています

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横浜高校では

渡辺の長年の功績から

横浜硬式野球部の終身名誉監督就任を発表されましたが

2017年に退任しています

そして寮母、元美も同時に退任しました

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佳明も1年春のリーグ戦からベンチ入り

2年の春のリーグ戦からはサードのレギュラーなっています

2年秋、3年春にはサードでベストナイン

バットコントロールの良い左の好打者と評され

3年秋には3番に定着

広角に打ち分けバッティング技術は魅力

50m 6秒2 内野ならどこでもこなす器用さもあります

179cm  79kg

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4年秋には50打数21安打5打点   打率4割2分で首位打者

4年間通算成績

90試合 303打数 95安打 33打点  3割1分4厘 でした

HRこそありませんが安打製造機です

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渡辺家の星です

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そして運命の日を迎えました

なかなか指名がかかりません  緊張が続きます

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やっと楽天に6位指名となりました

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安堵するご家族

これからは実力勝負です

ドラフト順位は関係ありません  横一線のスタートです

佳明選手、頑張ってほしいものです

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この年、楽天には

エース則元昴大投手の弟、佳樹が育成2位で指名されました

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山岸ロジシターズ(静岡島田市)

174cm 76kgの右腕  24歳

滋賀北大津~近畿大~山岸ロジスターズ

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