2018(平成30)年10月25日(水)

2018ドラフト特番TBSお母さんありがとうからです

社会人野球、Honda鈴鹿の平尾奎太(けいた)投手です

188cm 88kg  24歳

145キロのストレート、スライダー、チェンジアップが武器です

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平尾は大阪府泉佐野出身(1994年6月生)

社会人野球をしていた父の影響で

小学2年生から泉佐野レッドスターズで野球を始めます

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小学生離れした快速球は評判でした

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大阪府堺市出身の現、阪神タイガースの

藤波晋太郎投手(24歳)も述懐しています

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藤波自身も小学校1年から

野球をはじめ竹城台少年野球部に所属していました

泉佐野と堺市は近くでもあり度々対戦しています

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その藤波がどうしても勝てない相手が平尾でした

藤波君もでかいですねー  180cm

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その二人の当時の写真です

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そして互いに中学に進み

二人は大阪桐蔭高校で再会するのでした

藤波は1年の夏からベンチ入り

絶対的エースとして成長した藤波の控えとして平尾も2年の春にベンチ入りします

ところが2011年(平成23年)

平尾君2年生の夏に信じられない病魔が襲います

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身体の異変に気付いた平尾は診断を仰ぎます

病名はIgA腎症でした

腎臓の機能が低下する国指定の難病で

最悪の場合腎不全を起こす恐ろしい病気です

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多くの病院を訪ねますが

どの病院でも運動はおろか治療第一の診断ばかりです

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そんな平尾家にとって

救いの病院が見つかりました

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河野医師の所見も治療優先ですが

野球に未練を残したままでは治療に向き合えないと思い

家族の熱意のためにもと思い診ることになった…と話します

平尾にとって野球から離れることはできませんでした

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入院中の平尾に

大阪桐蔭高校、西谷浩一監督も

大阪府秋季大会を制した報告を兼ね見舞います

さらにチームメイトも、なかでも藤波投手は頻繁に元気づけてくれます

さすが総数精鋭の大阪桐蔭高校ナインです

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近畿大会に出場した大阪桐蔭は

天理高校(奈良)に順々決勝で4-8で敗れるものの

天理が準優勝、同県の智弁学園が優勝し

智弁学園が神宮大会も制し

近畿勢4枠+1枠の選抜出場を果たします

平成24年(2012)春

大阪桐蔭高校は選抜大会を制します

藤波は197cmの長身から投げ下ろす150キロのストレートを武器に

一躍甲子園のヒーローとなります

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さらに夏の大会をも制し春夏連覇を果たします

藤波は最速153kmを計測し

この年のドラフトナンバーワン指名候補となります

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平尾は最後の夏の大阪府予選5回戦生野工業戦に先発し

5回コールド2安打完封の記録があります

高校で結果を残せなかった平尾ですが

大阪桐蔭高校の野球部、チームメイトには

家族ともども感謝しています

母、佳子さん     父、健二さん

健二さんは東北高校時代に甲子園の土を踏んでいます

1年後輩に大魔神こと横浜の佐々木投手がいます

東北高校~大商大~NTT北陸で11年間社会人野球の経験があります

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大阪桐蔭から同志社大学に進学した平尾ですが

2年間は治療に専念し2度の入院も経ながら

チームの公式戦に帯同し裏方に徹していました

平尾がリーグ戦にデビューしたのは大学3年の春の中継ぎでした

秋に入り関学戦で初先発

8安打完封で初勝利を挙げました

4年春のリーグ戦では8試合登板  3勝3敗  防御率2,66

秋のリーグ戦では4勝1敗  防御率1、38と好成績で

ベストナインにも選出されました

そして社会人野球Honda鈴鹿に入社し

1年目から先発を託され大活躍し

第28回BFAアジア大会に召集され優勝に貢献しています

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勇気を届けてくれた友

大阪桐蔭、同志社、Honnd鈴鹿のチームメイト

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医療関係者

そして支えてくれた家族

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運命の時を待ちます

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家族も

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しかし無情にも平尾の指名はありませんでした

平尾奎太選手

この番組への出演は結果云々よりも

自分がここまで投げれるようになったことを

お世話になった方々への報告と感謝のために出演させてもらったと語っています

ナイスガイです

ここまで限界に挑戦し、耐え這い上がってきた選手は本物です

スカウトの目は確かか

来年こそドラフト超目玉になる期待を込めたい選手です

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野球

明徳義塾高校から天理大に進学した田中秀正選手です
 
178cm  83kg  捕手、1塁手  22歳

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秀正は1996年滋賀県に生まれます

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小学2年で野球を始めます

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中学では軟式野球

甲子園に出たいと

高校は四国の明徳義塾(高知)に進みます

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名門、明徳義塾では周りは硬式でやってきた連中

レベルが高すぎると何度も挫折しかかりますが

5時間半をかけ滋賀から応援に駆け付ける父母に励まされます

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2年生になった秀正

明徳の馬淵史郎監督は毎年チームに必ず切り札の代打要員を置きます

レギュラーとりから自分の進む道、代打専門を見出すのでした

同じころ、突然母、さゆりに異変が起こります

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足のむくみと痛みに病院を訪れます

診断の結果、糖尿病腎症と告げられ

病気はかなり進行し腎臓が二つとも機能していない状況でした

すぐに透析を始めなければならないほどの重病で

それ以来、母は週に3回透析治療に通いますが

病気のことは絶対に秀正に話すなと夫に頼むのでした

そして週末になると何食わぬ顔で応援にかけ続けます

野球野球野球

3年生となった秀正

その間、明徳高校は1年(平成25年)の夏、甲子園ベスト4

2年の夏にはベスト8

3年の春にもベスト8と甲子園に出ていますが

秀正はベンチにも入れませんでした

選抜大会が終わり母校に帰ると監督から声がかかります

代打に賭けてみるか…と

そして6月の徳島、鳴門渦潮との練習試合で代打で左中間に満塁ホームラン

明徳の代打の切り札として徐々に力をつけベンチ入りを果たします

2014年(平成26)7月28日

夏の高知県大会決勝戦  対高知高校 

1点を追う5回一死満塁で代打に秀正を告げます

逆転の2点タイムリーで明徳は高知大会5連覇を果たします

試合後、監督から 『よう、打った お前のおかげや』 と初めて褒められました

夏の高知県予選、すべて代打で4打数3安打2HRという活躍でした

明徳の代打の神様として認められ

夏の甲子園に出場

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初戦、奈良の智弁学園

7回二死1,3塁で代打を告げられます

レフトスタンドへの代打スリーランホームランです

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貴重な追加点で明徳は10-4で初戦をものにしました

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すでに入院闘病中の母、さゆりにとって

秀正の活躍が励みでした

当時の秀正の活躍の新聞記事を見ては喜んでいました

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高校生活を終えた秀正は

2015年(平成27)天理大学で大学野球に進みます

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天理大では1年秋からリーグ戦に出場

1塁、4番を託されベストナインにも選ばれます

病院から抜け出しいつものように駆けつける父母です

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高校ではレギュラーになれず代打で見いだされた秀正が

大学でレギュラーとなり

3年秋のリーグ戦では首位打者、ベストナイン

4年春にはリーグ打点18と新記録をたて特別賞、ベストナイン

大学通算100安打を達成しています

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ところが秀正が大学3年の2017年の秋

母は感染症を併発し足の切断を余儀なくされます

それでも母さゆりは、夫にこのことを秀正に告げるなと懇願するのでした

2018年の正月

帰省した秀正は母の衝撃的な姿に心が痛みます

それでも気丈に母は秀正に

きっと直して見せる、野球に専念してと励ますのでした

しかし母はその年の2月に亡くなります

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秀正に去来する母の記憶

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野球が好きで野球に誘ったお母さん

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いつも父とともに応援に駆け付けてくれたお母さん

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野球を続けることが母への恩返しと誓うのでした

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そして今日ドラフト会議に挑みます

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残念ながら

田中秀正選手に指名はありませんでした

今後は社会人野球に属し2年後のドラフトに再挑戦してほしいものです

野球

慶応大在学時に『高橋由伸二世』と呼ばれた

谷田成吾選手

埼玉県川口市出身  183cm 89kg  外野手 右投左打

慶応高校~慶応義塾大学~JX、ENEOS~四国リーグ徳島インディゴソックス

高校通算76HR  東京六大学通算15HRの強打者です

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2015年のドラフト会議で指名がかからず

社会人野球でJXエネオスで2年プレー  2017年のドラフトでも指名叶いません

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2018年

今年の3月、会社を退社し

大リーグ、マイナーのトライアウトに挑みますが契約に至らず

四国リーグ徳島で再起をはかり

今シーズン49試合 171打数50安打3HR24打点  2割9分2厘の成績

3度目のドラフトに挑みます

しかし今年も指名がかからず谷田選手

プロから身を引く決意をします

高校、大学と花形選手の経歴乍ら

プロ球界からは声がかかりませんでした