2018(平成30)年10月25日(水)

今年のプロ野球、選手選択会議は

東京グランドプリンスホテル新高輪国際館パミールで

17:00時、開催されました

華々しいドラフト会議の一挙手一投足で目を凝らし見つめる選手に家族

そこには秘められた思いや願いが

凝縮されています

TBSテレビの取り上げた5選手、ご家族を追ってみましょう

まず東洋大学の中川圭太選手


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1996年(平成8)4月、圭太は大阪府阪南市で生まれます

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圭太4歳の時に両親が離婚

小学校1年の時に阪南尾崎ボーイズで野球を始めます

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母、律子(のりこ)にとって息子の応援は生きがいでした

律子は圭太に父との離婚の話は告げられません

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圭太が中学生になり泉佐野シニアに所属します

硬式用のグローブが必要です

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幼いなりに家の窮状を察する圭太は

手にしたグローブが6万円の高値に驚きます

躊躇する圭太に、母は

プロ野球選手になる夢があるのならとそのグローブを買い与えるのでした

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圭太は中学3年の夏

U16世界選手権のメンバーにも選ばれチームは3位でした

そして大きな夢を抱き

2012年(平成24年) 春

当時の高校野球の名門校PL学園に進学します

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圭太は1年生の秋にはレギュラーに

大阪府秋季大会では5番1塁手でスタメン出場

12打数10安打4HR14打点と驚異的な成績を残しています

しかし近畿大会では1回戦敗退で春の選抜出場は絶たれます

2013年(平成25)2月

PL学園では当時の2年生部員4人が1年生部員に暴行を加えていたことが判明

これによりPL学園は2/24~8/23までの

半年間、対外試合禁止処分となりました

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自分とは関わりのない世界で

PL学園野球部が衰退していきます

数々のプロ野球選手を生み出した伝統高校です

清原和博、桑田真澄、立浪和義、宮本慎也、松井稼頭央

福留孝介、前田健太…等々81名のプロ野球選手を送り出しています

2014年(平成26)年

PL学園、野球部の後継監督は不在のまま

正井校長が登録上の監督となり試合に挑む状況です

監督不在の中、3年生になった中川圭太は主将に抜擢され

セカンドを守りながら指示を出し、攻撃時にはベンチでサインも出していました

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夏の大阪府大会では決勝戦まで進み

大阪桐蔭と対戦しましたが1-9で敗れ

圭太は甲子園出場は果たせませんでした

(この夏、大阪桐蔭高校は甲子園で三重高校を破り全国制覇しました)

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甲子園の夢を絶たれた圭太に

母から13年間隠し続けた秘密、父との離婚の事実を知らされます

圭太に余計な心配をかけまいとする優しい嘘、母心でした

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うち続く試練にも圭太はひるまず

何事にも耐えうる人物に成長していました

やさしい母に恩返ししたい

PL学園に入っての苦難も、すべて受け入れいろんなことを学び経験したと話します

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プロ野球選手になり母を楽にしたい

その思いは強まるばかりです

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しかしこの年のドラフト指名に圭太の名は挙がりません

圭太は翌年2015年、東洋大学に進学し野球を続けます

東洋大学では2部リーグながら

1年生春季リーグから3番DHでレギュラーに

2年生になると4番DHで東洋大1部昇格に貢献します

3年からは4番セカンドを担い4シーズン連続ベストナインを獲得します

4年春からは主将を担い春夏連覇を達成します

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また3年、4年と全日本大学選抜に選ばれ主力を任されています

180cm  76kgの大型2塁手です

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そして今日、運命の日を迎えます

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指名が続々と続くなか

6巡目を終えても中川圭太の名は呼ばれません

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不安の影がよぎります

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7巡目に入り

ついに指名が入りました

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オリックス  7位指名です

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夢にまで見たプロ野球選手

圭太君ほっとしています

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試練を乗り越えてきた圭太にとって

ドラフトのこの日も試練の時間でした

これだけの逸材です  遅きに失した感があります

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東洋大150キロ超え3投手に加え

中川圭太内野手が加わり4名のプロ選手誕生です

甲斐野 央  ソフトバンク1位

上茶谷 大河  DeNA 1位

梅津 晃大  中日 2位

中川圭太にはPL学園82人目のプロ野球選手という肩書も付きます

その手には母から買ってもらった

思いでのグローブが握られていました