2018(平成30)年4月~5月

韓国ドラマ 『インス大妃』 

李氏朝鮮518年(1392年~1910年)の初期

第4代王、世宗(セジョン)(1397~1450)の次男スヤン大君が

5代兄の文宗(ムンジョン)から6代兄の子、端宗(タンジョン)を経て

1455年38歳で第7代王、世祖(セジョ)に就くことができました  

スヤン大君=世祖(セジョ)  キム、ヨンホ

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世祖(セジョ)は後年

甥(6代端宗タンジョン)の王位を剥脱した行為を後悔しています

相関図です

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スヤン大君=世祖(セジョ)の長男

トウォン君の妻であったジョン(ハム、ウンジョ)は

夫トウォン君が世子(セジャ)となり1455年に世子嬪(粋嬪スビン)となりますが

その夫が急逝し、夫の世子(セジャ)の座をトウォン君の長男でなく

世祖の次男ヘヤン君(トウォン君の弟)に決まると

ジョンは幼い我が子3人をつれ宮殿を去りました(20歳)

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10年が経過しました

ハン、ジョン=仁粋大妃(インス、テビ)のキャストは

ハン、ウンジョンからチェ、シラに代わっています  

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クーデターにより王位を奪った世祖(セジョ)は

反対勢力の一掃に力を注ぎ、ことごとく敵対者を血で粛正する

王権政治を挙行しました

以降、強力な王権を維持するため

官制の改革、法制、軍制の充実にも努め

朝鮮王朝の基本法典となる経済大典の編纂に着手しています

世祖(セジャ)治世になって10年

この時期にいたり突然のジョン=粋擯(スビン)の宮殿訪問を巡り

宮殿は、にわかに緊張が高まります

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ジョン(粋嬪スビン)の胸の内には世子(セジャ)へヤン大君に対し敵対心があります

正統性から言えば世子の座は、ジョンの長男ウォルサン君の座であり

その心を秘め義父、世祖に接近します

言葉巧みに世祖の心を操り宮殿内に自らの勢力をつくろうと動き出しました

重臣で領議政のハン、ミョンへ(ソン、ビョンホ)は

その手腕に舌を巻きつつも野望を捨てるようにジョン(スビン)を諭します

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朝鮮史上、稀有の女傑と言われたジョンです

その類稀なる野望は止まりません

自身の次男(クォンサン君の次弟チャサン君)と領議政ハン、ミョンへの娘を結婚させ

自分の従兄ハン、チヒョン(キム、ハギュン)を官職につけ

朝廷内に勢力を拡充していきます

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そして世祖には王位の正当性の弱みをつき

ウォルサン君への正当な継承を迫ります

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そんなジョン=(粋嬪スビン)の動きにチョンヒ王妃(キム、ミスク)は

警戒心を強めるのでした

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そんな矢先、世祖の人事に不満を持つヤン、ジョン(チョ、ギョンフン)は

宴の席で世祖に譲位を要求します

世祖(セジョ)を王位に祭り上げた癸酉靖難事件の武の主役が

辺境の地に追いやられている不満が爆発します

売り言葉に買い言葉で

世祖は心にもない譲位を宣言してしまいます

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心にもない譲位を撤回した世祖は

この事件の黒幕ハン、ミョンへの処分を科しましたが

ジョンの取り成しによりハン、ミョンへは領議政の職を解かれたものの

ヤン、ジョンのみが処刑されました

この頃になるとチョンヒ王妃とジョン=(粋嬪スビン)の確執は激しくなります

王宮に待ちに待ったセジャ(へアン大君)の男児が誕生です

後のチェアン大君です

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喜びも束の間

今度は国政に不満を持つ北部地方で土豪が反乱の狼煙を挙げます

世祖(セジョ)は、朝廷内の若返りを図り

この鎮圧軍に甥のクィソン君(ソ、ヒョンソク)を将軍として派遣します

クィソン君は4代世宗(セジョン)の四男(世祖の弟)の子です

北部の乱を鎮圧し凱旋したクィソン君を領議政に

ナム、イ(チ、スンヨン)を兵伴に重用し朝廷内の若返りを図り

かっての功臣を排除、セジャへの王権移行を進めます

粋嬪(スビン)は自分の置かれた危機感から

またしても王宮を離れます

※ 宮中からチェ尚宮(イ、ドッキ)と共にジョン=粋嬪の許に

付き従ったソンイ(ユン、ジヒ)は

弟君のチャサン君の世話係として10年を過ごしました

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キャストもチョン、へビンに代わっています

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チャサン君(チェ、ウォノン

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ジョン(粋嬪=スビン)が王宮に入ると

チェ尚宮とソンイも王宮の他の部署に配属されます

そして晴れて女官となったソンイの儀式には粋敏が盛大に祝います

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またしても王宮を去ることになった粋嬪(スビン)は

この時もソンイを呼び寄せています

ソンイの育ての親、チェ尚宮はソンイを取られた思いから

酒に溺れる日々を過ごします

前々から全身に発疹の出る皮膚病に悩まされる世祖(セジョ)

王位を世子(セジャ)ヘヤン大君に譲位し=第8代国王、睿宗(イェジョン)

全ての臣下を集め世子に忠誠を誓わせます

そしてその譲位の翌日1468年9月8日52歳で亡くなりました

世祖(セジョ)52歳でした

病は現在でいうハンセン氏病でした

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8代国王イェジョン(ノ、ヨンハク)は亡き父の喪に服します

18歳の若き王でしたが病弱でした

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国の政は皇太后となったチョンヒ大妃(キム、ミスク)に…

哀しいかなチョンヒ大妃は読み書きができません

おのずと粋嬪=スビン(チェ、シラ)の力を借りねばなりません

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インス(粋嬪=スビン)は巧みにチョンヒ大妃に取り入り

国葬都監にハン、ミョンへを抜擢、復活させます

(国葬都監は前王の喪が明ける3年間は政を託される重要な役職です)

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さらにスビン(仁粋粋嬪)は

昼夜問わず喪に服すイェジョンに近づき

健気に介抱し王の信頼を得ます

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世祖亡きあと、功臣勢力と新進勢力の綱引きが激しくなります

権力を握ったハン、ミョンへは

新進勢力の両翼、領議政のクィソン君、兵伴のナム、イを追いおとし

自ら領議政の座に返り咲きます

若き王のイェジョンですが病弱です

少なくなる王族の復興も兼ね粋嬪(スビン)の子

兄のウォルサン君(イ、ジオ)と弟のチャサン君を

大君に冊立します

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政権の危機と粋嬪(スビン)への警戒を強めるチョンヒ大妃は

陳情禁止の内示を発布させます

多くの功臣が摘発され、身の危険を感じたハン、ミョンへは

全ての職を辞し大妃の追及をかわします

スビン傘下の功臣勢力を排除し、実権を取り戻したチョンヒ大妃

それも束の間

イェジョンが倒れそのまま亡くなってしまいます

王位在位1年2か月  19歳の若さでした

残されたのはアンスン王妃(イ、ヨンドウ)と幼子のチェアン大君のみでした

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イェジョンの子が幼子(3歳)であるため

チョンヒ大妃はウォルサン大君をイェジョンの養子に迎え

王に就けようと目論見ますが粋嬪(スビン)は養子を拒否

大妃は激怒し、王の後継者選びに重臣会議を開きます

何とウォルサン大君の弟、チャサン大君に白羽の矢が…

弟であるが故、イェジョンの養子とし

気弱な兄よりも学に秀でたチャサン大君が選ばれました

1469年12月31日

第9代成宗(ソンジョン)の誕生です  若干12歳です

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我が子が王に感涙にむせぶ粋嬪(スビン)でしたが

大王大妃となったチョンヒは大妃の資格のない粋嬪を宮廷外に追い払います

そして成宗(ソンジョン)の正室コンへ王妃(功臣ハン、ミョンへの娘)が

病弱で実家にて療養中のため

幼いころからの養育係であったソンイを

成宗の許に呼び寄せるのでした  

ソンイ14歳ですがドラマではもっと年長に見えます

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幼い王から生母をひき離す仕打ちに

重臣たちは粋嬪(スビン)を王妃にする折衷案を大王大妃に進言します

王妃となり王宮に戻ったスビンですが

住まいは宮殿ではなく昌徳宮、王の挨拶を受けることも禁じられています

姑嫁の確執がいまだ以って続いています

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一方、女官の身でありながら

大王大妃の計らいで部屋を与えられたソンイ

年下の王を手玉に取るかのように上手くあしらい

自身の地位を固めします

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朝廷内では功臣勢力は老い

大王大妃の推す新進勢力が幅を利かせてきます

後ろ盾を失った粋擯(スビン)は大王大妃に詫びを入れ

宮殿に入ることを許されます

(荒まじい嫁姑の執念ですね)

病身のコンへ王妃(イ、ジウ)が宮殿に戻ってきます

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今まで好き勝手な振る舞いで女官を威圧していた

ソンイですが正室の入宮に気が気ではありません

女官に取り立ててもらい育ててもらった恩を忘れ疎遠にしていた

チェ尚宮(イ、ドッキ)に泣きつきます

なんとか王の側室になろうと

二人は資金と診方集めに奔走します

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王妃の症状はよくならず

宮殿内では側室選びが話題に上ります

焦るソンイは両班の証明となる本家の戸籍に入る算段を

実家の母と兄に依頼し金で戸籍を買います

数人の側室選びから粋嬪(スビン)が推したのは

利発そうな官僚ユン、ホの娘でした

しかし大王王妃は側室は複数がいいとソンイも推すのでした

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晴れて側室となった二人は

大王大妃、スビン大妃、イネ大妃に挨拶に伺います

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それを見守る

大殿内官のチャン、ギュン(パク、ヨンジ)とパク監察尚宮(ソ、イスク

二人とも姑息な手段で内官、尚宮の最高の長になりました

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なんとか王の気を惹こうとソンイは

わざと仮病を使ったりして成宗の関心をひき止めます

側室となったソンイの次のターゲットは正室の座です

あろうことか母と兄を使い

巫女に呪いの儀式(藁人形)を敢行させコンへ王妃の死を祈祷させます

ソンイは粋嬪(スビン)をはるかに上回る

悪意に満ちた策謀家です

策謀家、ソンイは大王大妃と粋嬪(スビン)王妃の亀裂を深めるため

成宗王にスビン王妃の大妃への冊立を注進します

思ってもいなかった大妃の座が転がり込みました

スビン念願の大妃の座です

史実では成宗6年、1475年2月27日

仁粋大妃(インステビ)の誕生です  テビ36歳の年でした

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病弱であったコンへ王妃は亡くなります

第7代世祖(セジョ)第8代(イエジョン)と宮中の相次ぐ不幸に

王妃の実父、ハン、ミョンへは息も絶え絶えの我が娘を

宮殿から実家に戻し

自らも宮殿から身を引くのでした

チョンヒ大王大妃    インス大妃    淑儀(スグィ)=ソンイ

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3人の女の戦いが続きます