2018(平成30)年4月

韓国ドラマ 『インス大妃』 は

2011年(平成23)11月から翌年の6月にかけ

韓国JTBCにて放映されたTVドラマで全60話あります

実在の仁粋大妃(インステビ)1437年10月~1504年5月の

生涯を描いた物語です

朝鮮史における稀有の女傑、鉄の女として知られています

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主演のインス大妃68歳までの生涯ですのでキャストも二人で演じています

若かりし頃のハン、ジョン(後のインス大妃)を演じるのはハム、ウンジョン

後年のインステビを演じるのはチェ、シラ(海神、愛情の条件)です

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登場人物が多く、まず前編の相関図です

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李氏朝鮮王朝518年間の初期のころです

第5代文宗、6代端宗、7代世祖、8代睿宗、9代成宗、10代燕山君の

1450年頃から1500年頃までの半世紀を描いています

日本では室町幕府第8代足利義政将軍(銀閣寺建立)の頃で

1466年~1467年にかけ応仁の乱が起き戦国時代に突入の時期です

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第4代王世宗(セジョン)はハングル文字を創製した王であり

朝鮮王朝史上、最高の名君と評される王さまです

王子の数も18名にのぼり後継の王には

資質に秀でた次男スヤン大君(キム、ヨンホ)を排除し

長男文宗(ムンジョン)を指名しました

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第5代文宗は病弱であったため生前から後継の座を巡り

忠臣の右議政キム、ジョンソ(ハン、インス=火の鳥、人生画報、春のワルツ)と

スヤン大君はけん制し合っていました

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ハン、ジョン=ハム、ウンジョン(後のインス大妃)は

国司韓確(ハン、ファク)=チャン、ヨン=棚ぼたのあなた、愛情の条件

の末娘として漢城府に生まれます

ハン、ファクの妹、一人は明の皇帝の側室に、もう一人は女官に

さらにファクの2番目の娘は4代世宗の庶子桂陽君(ケヤン君)に(キム、ガヨン)嫁ぎ

明国、朝鮮両国の皇室と結び

ハン家の栄達は娘を差し出したと陰口を言われています

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ハン、ジョンは幼いころから文才に優れ

類稀なる野心家で、次の王はスヤン大君であると睨んでいました

王妃への野望を抱くジョンの結婚相手に

スヤン大君の嫡男桃源君(トウォン君)=ペク、ソンヒョンとの縁談が来ます

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王妃への思いを持つジョンにとっても

事変が起きれば頼りとなるハン家と姻戚関係を結んでおくことは

スヤン大君にとっても重要です

両家の思惑が結び二人は結ばれます

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ところが嫁ぎ先のお姑さんユン氏(キム、ミスク)と

ジョンは馬が合いません

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さらに夫となったトウォン君は

従弟にあたる世子(セジャ)と兄弟のように仲睦まじく

さらさら王になる夢などを持たぬ

穏やかな性格でした

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従弟の世子(セジャ)魯山君(ノサン君)=チェ、サンウ

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この頃、没落両班の娘ユン、ソンイ(チン、ジヒ)は

父の葬儀代と引き換えに見習い女官(センガクシ)として宮中に挙がります

幼いソンイは父の墓前に王妃となることを誓います

ユン、ソンイ(後の9代成宗(ソンジョン)の二代目の王妃となります)

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5代国王文宗(ムンジョン)=ソヌ、ジェドクの容態は悪くなるばかりで

後継にセジャを推し

忠臣キム、ジョンソや王族筆頭のスヤン大君に忠誠を誓わせます

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セジャ側の恵鬢ヤン氏(4代世宗の側室)=チェ、ジナ

オム大殿内官(チョン、インテク=チャングムの誓い)はスヤン大君に警戒を抱き

右議政キム、ジョンソを頼ります

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その矢先文宗は倒れ、遺言を残さぬまま逝ってしまいます

恵鬢ヤン氏は領議政ファンボ、インと右議政キム、ジョンソが

幼いセジャ(11歳)を補佐するようにという遺言を捏造します

1452年5月第6代の王に端宗(タンジョン)が就きます

身の危険を感じたスヤン大君は

国内から身を隠すため明国への使者を自ら申し出ます

(1452年9月~翌年の春、半年間)

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第6代端宗(タンジョン)は11歳

キム、ジョンソはスヤン大君の弟アンピョン大君=世宗の三男(イ、グァンギ)と手を組み

スヤン大君の勢力を削ぎ、自らは勢力の拡大を図ります

見る間にスヤン一家は困窮を極め

ジョンとその父ハン、ファクはスヤン家の財政危機を支えます

明国から帰国し窮地に追いやられたスヤン大君

スヤンの忠臣クォン、ラム(キム、ヨンヒ)はハン、ファクと諮り

信頼できる智謀の策士を探します

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クォン、ラムが目をつけたのは

下級官吏の門番の職をしていたハン、ミョンへ(ソン、ビョンホ)でした

スヤン大君がハン、ミョンホに夢がかなうかと問うと

ハン、ミョンホは大君はいずれ殺される運命にあり夢は叶わぬと断言するのでした

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殺らねば殺られる

そんな思いに至るスヤン大君ですが

息子の桃源君(トウォン君)は正義感に溢れ幼い端宗(タンジョン)を

護ろうと父、スヤン大君と対立します

すべての動きを察知しているジョンは夫トウォン君に

王さまとあまり親しくしないようにと釘を刺すのでした

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スヤン大君はハン、ミョンホを策士に召し

密かに人材を集めさせます

そしてハン自身は妓生相手に派手に飲み明かし

スヤン大君の決起を吹聴します

また、端宗(タンジョン)擁立を成し遂げた

恵鬢ヤン氏とオム内官は今度はキム右議政が王朝を専横するのが気にいりません

キム、ジョンソとスヤン大君の対立を煽り

両者の相打ちにより勢力の弱体化を策します

宮中内の不穏な空気を察知したキム、ジョンソは役職を辞し

対スヤン大君、討伐の準備に入ります

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端宗王、スヤン大君、キム、ジョンソ三者三様の思惑で

王宮は静かなにらみ合いが続きます

決起の機運の高まる中

ハン、ミョンホが粛清対象者の名簿、殺生簿をスヤン君に差し出します

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その頃、ジョンは妊娠、喜びを隠せないトウォン君

しかし父、スヤン大君の決起を抑えようがなく

端宗(タンジョン)への忠誠心と父スヤンへの肉親への情で苦悩します

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ついに意を決したスヤン大君は

1453年10月10日の深夜

従僕一人(カン、サング)を従えキム、ジョンソの屋敷を訪問します

不意をついた訪問でキム、ジョンソと長男をイム執事が殴打し討ち果たします

100名足らずの僅かな兵を率い王宮を取り巻き

スヤン大君は宿敵キム、ジョンソを倒しクデターを成功させます

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そしてその夜のうちに

宮廷に大臣たちを呼び寄せ殺生簿にもとずき

反スヤン派の大臣たちの首をはね宮廷は血の海となります

そしてスヤンのすぐ下の弟、アンピョン大君も流罪とし

後に薬殺刑により殺害します

世にいう癸酉靖難(きゆうせいなん=ケユジョンナン)事件でした

権力を掌握したスヤン大君は

領議政の座につき国政の実権を握ります

そんななかジョンが男の子(後のウォルサン大君)を産みます

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そして端宗の結婚も決まります

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端宗の王妃(チョ、ジョンオン)はチャングムの誓いの

チャングムの子役を演じた子です

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束の間の宮殿の安息も長く続きません

スヤンに敵愾心を燃やす恵鬢ヤン氏とオム大殿内官は

ヤン氏の息子二人とスヤンの6番目の弟クムソン大君を引き入れ

スヤン大君の排除を図ります

このことを察知したスヤンは先手を打ち敵対勢力を一掃し

端宗から譲位し自ら第7代世祖(セジョ、38歳)として王位に就きます

1455年6月のことでした

譲位した端宗は上王として宮殿を離れ昌徳宮に移ります

端宗14歳、僅か3年の王位在位でした

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王となったスヤン=世祖は家族を引き連れ

王宮入りしようとしますが

チョンヒ王妃となったユン氏は長男一家(トウォン、ジョン夫妻)の

宮殿入りを認めません

真ん中はトウォン君の弟、ヘヤン大君(イ、テウ)

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王妃は長男トウォン君が父に盾突き、端宗に付いたこと

嫁のジョンの稀有な野心に警戒を抱いています

ヤン氏自身は漢字も読めぬ無学でしたが

人の心を読む術には長けていました

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王宮外に移した上王(端宗)に世祖は礼を尽くし

毎日、顔を出し挨拶に伺います

臣下の大臣も王妃もそれに不満を募らせ上王の廃位を迫ります

殺伐とした空気の中、ついに世祖(セジョ)は

トウォン君をセジャに冊立、

ジョンも待望の王宮生活に入ります

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上王の廃位を企む父、世祖と

上王を護りたい一心のトウォン君は板挟みとなりながら気をもみます

そんな中二人目の子、女子をジョンは授かります

トウォン君の体調は悪化するばかりです

セジャ、トウォン君の体調と

上王(端宗)擁護に走る息子を警戒した母、チョンヒ王后は

セジャ一家をまたしても宮廷から追い出し

上王排除の企てを目論みます

宮殿を離れ心の平穏を取り戻すトウォン君ですが

ジョンの心は失望感が優っていました

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世祖王位継承の使いとして明国に出向いていたジョンの父

左議政ハン、ファクは無事使命を終えその帰途に亡くなったという

哀しい知らせがジョンの許に届きます

哀しい報せの中、ジョンは三人目の子、男の子を出産します

後のチャサン君です

夫のトウォン君の病状は良くありません

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そんなある日、夫トウォン君は

持病の心臓病か倒れ、あっけなく世を去ってしまいます

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そしてセジャの座は

ジョンの長男でなく世祖(セジョ)の次男(トウォン君の弟)ヘヤン大君に…

ジョンは王妃になる夢を絶たれ

三人の子供をつれ宮殿を去ります

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ジョンの付き添いとして

宮殿からチェ尚宮(イ、ドッキ)とチェ尚宮が

スカウトしてきた見習い女官ソンイが付き従います

ソンイは生まれたばかりのチャサン君の子守り役でした

このセジャトウォンの死と時を同じくして

昌徳院に住む上王(端宗)も、義父の謀反の疑いを理由に

ノサン君に降格、一人辺境の地へ追放となります

1457年6月のことでした

そして4か月後には配流先でうけ賜薬を降され

17才の若さで世を去ります

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王妃貞順王后(チョンスンワンフ)

夫、端宗は最年少で亡くなりましたが

皮肉にも彼女は妃の中で最も長命で81歳で亡くなりました