2018(平成30)年1月16日(火) ![晴れ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/022.gif)
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今週に入りあったかい日和に包まれています
お天気に誘われ久しぶりの外出です
この時期津市一身田に本山を構える
真宗高田派本山専修寺(せんじゅじ)では最大のイベント
お七夜(報恩講)が開催されています
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/16/mmmt345/ad/a0/j/o0378060014491456427.jpg?caw=800)
昨年の平成29年(2017)11月28日には
現存の木造建築物としては5番目の大きさを誇る御影堂と
併せて如来堂が国宝に指定されました
左 如来堂 右 御影堂
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/16/mmmt345/78/f2/j/o0500037514491456435.jpg?caw=800)
高田本山専修寺は
伊勢平野(三重県)の中央部に位置する一身田の地にあります
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/16/mmmt345/90/57/j/o0550035014491456438.jpg?caw=800)
専修寺(せんじゅじ)は親鸞聖人開祖の浄土真宗10派の一つで
真宗高田派の寺院で山号を高田山といいます
本山を三重県津市一身田に本寺は栃木県真岡市にあり
本山(津市)の住職が本寺(栃木真岡市)の住職も兼ねています
本寺高田山 専修寺(せんじゅじ)
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/16/mmmt345/48/fe/j/o0550031014491456445.jpg?caw=800)
真宗高田派の成り立ちです
浄土真宗開祖親鸞上人が関東の地で教科に入って10余年
1225年(嘉禄元年)親鸞53歳の時
現在の栃木県真岡市高田の地に真岡城主大内氏の助勢を得て
専修念仏の根本道場(如来堂)を建立したのが始まりで
その際、善光寺の本尊である秘仏を模した一光三尊仏を本尊に迎えました
建立の翌年には朝廷から専修阿弥陀寺という勅願寺の綸旨を受け
親鸞も約7年間この寺で過ごし布教に専念したとあります
親鸞聖人像(栃木県真岡市本寺専修寺所蔵)
座高84cm 90歳まで長寿を保たれた風貌をよく写されています
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/16/mmmt345/e0/11/j/o0450038114491456448.jpg?caw=800)
以降、関東各地でも信徒が大幅に増え
高田門徒、高田の本山として崇敬を集めていました
13世紀、鎌倉末期から、南北朝にかけ
京においては同じ浄土真宗一派の覚如が現れ大谷廟堂本願寺派が
隆盛をほこっています
その後、両派とも衰退の一途でしたが
15世紀半ば(室町時代)本願寺では8代蓮如が現れ本願寺教団として
勢力を盛り返してきました
時を同じくして高田派の10代真慧(しんね)も
東海、北陸地方に教科を広め高田派の再興に尽力を注ぎました
折しも時代は戦国時代(15世紀末~16世紀末)
栃木にある本寺専修寺は戦火にまみれ炎上、瓦解(江戸時代に入り再建)
真慧が1469年~1487年にかけ建立したのが
伊勢国の地、津市の一身田でした
以降、歴代上人が伊勢の地に移住するようになり
次第にこの一身田の地が本山専修寺として定着するのでした
![イメージ 6](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/16/mmmt345/58/86/j/o0500037514491456457.jpg?caw=800)
続きます