2017(平成29)年11月

2015年(平成27)制作の韓国映画です

いまなお朝鮮王朝(1392年~1897年、500年間)最大の謎として

様々なドラマや映画で取り上げられる米櫃事件

18世紀の朝鮮王朝で第21代英祖(ヨンジョ)とその息子

王位継承者思悼(サド)世子との確執

米櫃に閉じ込められた八日間を通して真実を探った映画です

126分

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朝鮮王朝21代国王英祖(ヨンジョ)1694年10月31日~1776年4月22日(81歳没)

英祖は第19代国王粛宗(スクチョン)の次男として生まれましたが

母の身分が低かったため(針房の宮女)冷遇されていました

1720年粛宗(58歳没)の死後

20代国王に異母兄(母はチャンヒビン)景宗(キョンジョン)が32歳で王位に就きます

しかしこのころの景宗は母のチャンヒビンが1701年(景宗13歳のころ)

王の命により毒殺され王からも冷遇視され

以降、憂鬱症に陥り健康もすぐれませんでした

さらに子供もなく英祖は景宗の世弟(王位継承者)となります

その景宗が在位わずか4年で亡くなります(病死とも暗殺ともいわれ謎です)

景宗亡き後、第21代国王の座に就いたのが英祖(ヨンジャ)でした

1724年、英祖30歳の時でした

英祖(ヨンジャ)=ソン、ガンホ(弁護人)は

40歳を過ぎて1735年、世子を授かります

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英祖(ヨンジョ)はわが子思悼(サド)世子を

学問と礼法に秀でた王に育て上げようと思っていました

ところがそんな王の望みとは裏腹に

サド世子は武芸、芸術を好む青年へと成長し

英祖にとって世子への期待は怒りと失望に変わりつつあります

思悼(サド)世子=ユ、アイン

1735年2月13日~1762年7月12日(27才没)

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場面は王暗殺を企てたとして

英祖(ヨンジャ)はわが子思悼(サド)世子を詰問するシーンから始まります

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1762年7月1日   第一日目

英祖(ヨンジャ)68歳  サド世子27歳

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父、英祖(ヨンジャ)は我が子サドに死を命じ

サドを米櫃に閉じ込めます

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そして王、自らが釘を打ちます

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7月2日   二日目

英祖(ヨンジャ)は米びつの前に、サド世子の乱交に加わった者たちを集め

残らず処刑

世子を王子から平民に降格する触れ書きを発布します

7月3日  三日目の夜

極度のストレスにさらされたサド世子は米櫃内で

幻想に囚われ半狂乱となり米櫃を破壊し池に飛び込み

自分を殺せと叫ぶのでした

騒ぎで駆け付けた英祖(ヨンジャ)は世子を再び米櫃に閉じ込め

厳重に縄を巻き芝で覆うのでした

このとき、世子の妻(恵慶宮=ムン、グニョン)の父は

一本の扇子を密かに中に入れるのでした

恵慶宮は10歳でサド世子の妻となり

跡継ぎのサン(後の22代正祖(チョンジョ)1752年~1800年)の母です

イ、サン(後の正祖)このとき10歳です

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朦朧とする頭の中でサド世子は

父、英祖(ヨンジャ)との経緯を思い出しています

1749年、在位25年、英祖は突如王位を投げだします

本意はともかく家臣は必死に食い止めます

その時の妥協案はサド世子の代理執政でした

このとき英祖55歳サド14歳でした

いまだ帝王学を理解していないサドですが彼には王道の才がありました

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ところが英祖(ヨンジャ)にとっては

正論が自身の王位が傷つけられると思い

やることにいちいち口をはさんでは節介をやきます

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後ろ盾として政務を司る英祖には王座の地位に連綿とする

執着心がありありとみられ

わが子とはいえサド世子への冷酷な仕打ちが続くのでした

またある日には

陵墓参りの道中、大雨に遇ってしまいます

王はサドを呼びつけ世子が嘘ばかり吐いているから

神聖な陵墓参りに雨が降るのだと

叱責しサドを陵墓に参拝させませんでした

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7月4日  四日目

その日は猛暑でした

のどの渇きに耐え切れずサド世子は

自らの尿を扇子に受け飲み干します

そして開いた扇子の絵に眼を止めてみると

その絵は、息子のサンが生まれた時、自分が描いた龍の画でした

米櫃の中でむせび泣くサド世子でした

1753年2月

サンの100日祝いで英祖にお披露目に向かったサドでしたが

王は祝いの言葉もかけず

英祖の傍らには身重の若い側室がいました

この時、サドの生母である暎嬪=チョン、へジン

王妃の還暦祝いのお伺いを立てますが

それに若い側室が盾付き、苛立った王が全員に退去を命じる事件がありました

後宮を取り仕切る

仁元王后(粛宗の3人目の妃で英祖の育ての親)=キムへスク

(秋の童話、冬のソナタ、春のワルツ、限りない愛

君の声が聞こえる、ホジュン…等々)は

身分の低い側室が、最高位の嬪にたてつくようなことが有ってはならないと

若い側室に罰を与えました

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そこへ英祖がやってきて押し問答が

そしてついには英祖は王位の譲位を口にします

売り言葉に買い言葉で仁元王后も譲位を許します

英祖は宮中を出

サド世子は王を止めるため広場で

猛吹雪の舞う中平伏したまま動こうともしません

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仁元王后は

英祖の小心で猜疑心が強く王位への執着心を見抜き、

王道を執政するサド世子を影ながら支えるのでしたが

このままではサド世子が死んでしまうと

自らが断食をしひとまずこの場をしのぐのでした

しかし仁元王后はこの無理が因で間もなくなくなってしまいます

二人の溝は深まるばかりです

英祖(ヨンジャ)59歳  サド世子18歳

王后に次ぎ、立て続けに王妃も亡くなり

サドは徐々に政治欲も失い荒れた生活にのめり込んでいきます

米櫃事件までまだ9年前の出来事です

7月5日  五日目

サド世子の追慕です

1757年

英祖が新たに若い王妃を迎えました(貞純王后この時15歳でした)

英祖65歳です   サド世子24歳

サド世子は新しい王妃に挨拶にも行かず

いぶかった王は母の瑛嬪を呼び出し問うと

母は息子は心を病んでいると答えるのでした

サドは自身の墓穴の中の棺桶に入り日々念仏を唱えているのでした

病んだ世子が王の許に向かうにも

何度も衣服を着替えては苛立ち

挙句の果てには官吏を切り捨ててしまうのでした

サドは自暴自棄の状況に追いやられています

米櫃事件まで  あと3年です

7月6日   六日目

飲まず食わずで幽閉されている父サド世子に

息子のサンが幼い妻を連れ

父に水を差しだしますが何の反応もありません

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そこに英祖が現れ

サンにその場を立ち去れと命じるのでした

イ、サン後の名君となる正祖です1752年10月28日~1800年8月18日(47歳没)

サン、この時10歳です

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英祖(ヨンジャ)にとってサンは孫です

この孫が、また実に聡明で賢い子であったため

英祖のお気に入りでした

英祖もこの経緯には頭を悩ませていました

王位後継者である息子、サドの跡の後継者のことでした

その夜

英祖はサド世子を廃位しサンを後継者にすることを決意するのでした

サド世子の追慕です

2017年、今年に入って

サドは突然、母瑛嬪の6年遅れの還暦祝いをやると言い出しました

母に王妃の衣装を着せ

礼も王と王妃にしか許されない4拝を強要し

(礼節に許されない行為です)

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このことがすぐに若い王妃側一味により暴かれます

英祖(ヨンジャ)は即刻、告発者を打ち首に

サド世子は再び座り込みを

限界を超えたサドは周りの制止も聞かず

直臣の部下を引き連れ王宮に

そこで耳にしたのは英祖とサンの会話

英祖が還暦祝いの感想を尋ね、なぜ4拝の礼をしたのか…と

サンはあの日、礼節よりも父の心を見たのだと答えています

雨に打たれながらサド世子は涙を流しながら刀を下すのでした

7月7日  七日目

その夜も雨が降っていました

英祖が米櫃に近づきます

ようやく父と子の対話です

英祖が期待するほど身を持ち崩した息子

息子はただ父からの暖かい言葉だけを待ち望んでいただけです

なぜ死に際になるまで親子は理解できなかったのか

腹をくくって話し合わなかったのか

英祖は言います

王家に生まれてこなければよかったのだ…と

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米櫃内でこと切れた息子の頬を

父は泣きながら撫で擦ります

自分の子を愛していないわけがない

全ては王家に生まれた故の運命だ…と

7月8日   八日目

サド世子の亡骸は丁重に埋葬され

英祖(ヨンジャ)は孫と家臣の願いを汲み王子の地位を回復

贈り名として息子に

哀しみを思う者として思悼世子(サドセジャ)と名付けました

14年後  1776年

英祖(ヨンジョ)は国と孫サンのためサドセジャの記録を抹消

そののち、英祖は逝去します  81歳

朝鮮王朝歴代の最長命、

王位在位52年は最長の王でした

サンが王位を継ぎます  第22代王、正祖(チョンジョ)です

正祖は還暦を迎えた母と共に

父、サド世子の陵墓に向かいます

サンは父が息子を王に次がせるために犠牲になったのだと

思い乍ら

父が我が子の出生を祝い描いた龍の絵の扇子を

操り舞を披露するサン(正祖)でした

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参考です

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私が韓国ドラマを見た最初の作品が『イ、サン』

米櫃事件は日本の忠臣蔵のような国民的関心事なのでしょうか

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最後にイ、ジュニク監督の素顔です

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感想は  ★ ★ でしょうか