2016(平成28)年11月

この 『 吉原炎上 』 は、TV朝日と東映の共同制作で

2007年(平成19)年12月29日に放映された

年末TVドラマです   上映時間 120分

主演は観月ありささんでした

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吉原(よしわら)の起源は、江戸幕府、開設間もない元和3年(1617)

日本橋葺屋町(現在の日本橋人形町)に幕府公認の遊郭ができました

吉原の語源は種々ありますが、葦(よし)や萱(かや)の茂る低湿地を開拓し

葦=悪しに通じるのを忌んで吉原と名付けたとあります

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40年後の明暦の大火(1657)で日本橋の吉原遊郭は焼失

幕府は浅草の田圃に吉原を移転します

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東西に350m、南北に270mという区割りで

周囲をお歯黒ドブという水溝を巡らし外界から隔離された地でした

多い時には10、000人が暮らし

花魁の数も3、000人を超えていました

吉原での主な大火は江戸時代だけでも9度もあったと記されています

明治以降、芸娼妓解放令が出され

遊女屋は貸座敷と名を変えたものの、旧態依然のまゝでした

近代以降も明治44年(1911)の吉原大火

大正時代の関東大震災、昭和に入っての東京大空襲でほぼ全滅

第二次大戦後はGHQの指令により公娼廃止となりいわゆる赤線となっていました

昭和33年(1958)4月1日、売春防止法施行により赤線は廃止

吉原は文字通り火の消えたような町になりました

しかしトルコ風呂、ソープランド等で息を吹き返し

現在に至っています

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物語に入ります

明治40年(1907)4月、岡山の海辺に近い村から

内田久野(観月ありさ)は東京の吉原に売られてゆきます

吉原への道は男は極楽道、女には地獄道と言われた吉原の大門を潜ります

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母の梅(赤座美代子)と女衒(ぜげん)の鈴木幾松(笹野高史)です

女衒とは若い女性を買い付け遊郭等に引き渡す人身売買の仲介人です

梅の再婚先は元士族で事業はことごとく失敗、働きもせず酒に溺れ

一家と妹弟の生活のため久野を売りに出したのでした

梅は久野が不憫でたまりません  久野18歳です

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幾松が斡旋した先は夕凪楼という遊郭でした

楼主の赤倉鉄之助(藤田まこと)に挨拶します

年期は6年だそうです

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                                ゃ   
女を取り締まる遣りてのお兼(藤真理子)

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お兼により挨拶まわりに従います

突っ立っているのは花魁の如月(国生さゆり)

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そしてこの夕凪楼一の花魁、御職(おしょく)の

左京(有森也実)

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夕凪楼ナンバー2の二枚目、花里(井上和香)

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吉原に来て初めてみる花魁道中です

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花魁の美しさに見とれている久野でしたが

もう一人食い入るように見とれている自分と同じ禿(かむろ)の子に視線が合いました

久野よりは年下のようです

浅井雪乃といい、大店近江楼の禿(かむろ)=見習いです  

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二人は花魁が高下駄を履き

外八文字を描きながら歩く姿を真似し、手を取り合ってはしゃぎました

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一か月が過ぎました久野に鑑札がおりました

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名も若汐と名付けられました

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女になる日、久野は半年前の故郷を思っていました

幼馴染の岡部勇吉(林泰文)が

3人兄弟のため横須賀の海軍に入るが

きっと一緒になろうと言ったことを…

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同じころ雪乃も白妙と芸名をもらい店に出ているとのことです

二人はいつしか親友になっていました

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その二人が逢瀬を楽しんでいる場に

足抜きの女が逃げてきました、花魁の鶴尾(宮本真希)です

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男衆に囲まれた鶴尾ですが

思いとどまることもなく自ら首をかき斬ってしまいました

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久野が店に出ると

幼馴染の勇吉が店に上がるようになってきました

妹からの便りで夕凪楼が分かり

今でも久野への思いは変わらないというのでした

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半年ほどが過ぎ𠮷原で初の冬を迎えます

普段口やかましい如月ですが、久野には

お母さんを恨んではいけない

売られる者も哀しいが売る母の方がもっと哀しいと言っていた

如月が、客と心中して亡くなってしまいました

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如月は、わが子の難病を治すため吉原に自ら来たのですが

我が子は死に、亭主は他の女ととんずら

会社の金を使い込み相場で無一文となった客と情死したのでした

三日月

1年が経ちました

夕凪楼で騒動が起きました

二枚目、花里に入れあげた男が逆上し、花里を追いかけています

花里は金に執着心が強く、金の無くなった男を袖にし

怒った男は怒りの矛先を花里に向け殺してやると叫んでいます

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花里もまた男に刺され亡くなりました

悲しいかな大事に抱えた銭壺も割れてしまっていました

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この頃にはもう久恵=若潮も、座敷持ちの花魁になっていました

雪乃=白妙から気になる忠告を聞きます

幼馴染の勇吉が貧乏な横須賀の海軍さんではなく

大店の海産物問屋の入り婿に入り既に子供もいるとのことです

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住所の書かれた紙を頼りに

久野は無謀にも足抜きをし、市中に出ました

運よく出会った大倉修一郎(東幹久)が

久野をその店に連れて行ってくれました

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久野がそこで見たものは

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清吉とその妻子でした

清吉はこの女は吉原の女だと蔑み

俺には関係のない人間だと開き直るのでした

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久野の心の支えであった清吉からの

侮蔑の言葉は強烈で久野は思いっきり泣きあかし

夢遊病者のような足取りで吉原に舞い戻りました

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夕凪楼に戻った久野は

今までと人の変わったように座敷もちでありながら

自ら張見世に顔を出し客をとります

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女郎は女郎、久野は吹っ切れたように

稼業に精を出します

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翌、明治42年春  久野も吉原生活2年を経、3年目に入ります

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一人の男が久野の絵を描きたいと部屋に入るなり言い出します

半年前、清吉に会いに吉原を出た時に世話になった大倉でした

大倉は久野=若汐を買いに来たのではなく君の時間を買いたいと申し出るのでした

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夏になりました   

夕凪楼御職の左京が、久野に

画を描いてもらっているのね、綺麗な今のうちに沢山描いてもらいなさいと

声をかけて出ていくのでした

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何と、その言葉が左京との最後の会話でした

左京はどうやら病気をもらったらしく夕凪楼を去ってしまったのです

楼主の赤倉から

久野に御職をやってくれないかとの話がきました

名も紫と改め夕凪楼一の御職を務めることになりました

同じころ、近江楼では雪乃=白妙も御職の座に就きました

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久野の絵を描き続ける男、大倉修一郎は

外務官僚の役人でした

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久野は、左京の消息を追います

やっとたどり着いた先は女郎の最後の吹き溜まり

羅生門河岸という処でした

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左京はついには毒が頭に廻り

お歯黒ドブに身を投じて亡くなったそうです

そう話す、女は久野が初めて見た足抜きの現場で

自ら首を掻ききった鶴尾でした

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大倉は、その後も

久野=紫の画を描くためにのみ夕凪楼に足を運んでいます

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明治43年春  久野、3度目の桜の時節です  21歳です

遊郭の中でも老舗の近江楼が店を閉めることになりました

近江楼10名の花魁を受け入れることになった夕凪楼では

(久野=紫)と(雪乃=白妙)の御職が二人となってしまいます

久野は御職の座を雪乃に譲りますが

二人の間にはいつしか溝が出来ていました

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その年の暮れも迫った12月   
 
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画を描き続けて1年半、大倉と久野=紫の奇妙な関係は続いています

笑わぬ久野が、いつしか大倉に対して心を開き素顔の笑みも見せるようになってきました

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双方が意識し始めたのかもしれません

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御職の雪乃=白妙が、二枚目久野=紫に言いがかりをつけています

自分のお客を盗った盗らぬの廓喧嘩です

取っ組み合いの喧嘩になり、二人が雪の上に転びます

白い雪の上に、雪乃=白妙の口から吐かれた赤い血が沁み込みます

雪乃の体には病が蝕んでいました

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年の瀬に久野宛に郵便物が届きました  

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大倉が描き上げた久野の画像で身請けしたいの意向も添えられていました

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翌、明治44年正月

春まで持たないだろうとの医者の診立てで

病に侵された雪乃は鉄之助の温情で夕凪楼の一室に移されました

久野はまたしても御職の座を任されました

楼主、赤倉鉄之助の妻、スマは白川由美です

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雪乃の容態を知った久野は

以前のように雪乃に温かく接し雪乃の心もほぐれてきます

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雪乃には久野が大倉の身請け話を断ったのが腑に落ちません

久野が話すには

お金のために売られ、またしてもお金で身請けされる身に耐え切れず断ったとのこと

雪乃も自分の隠していた生い立ちを話し出します

少女の頃、一家が火事に会いすべての家族を失くしたこと

近江楼で子供ができ処分したことを話すのでした

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海外勤務が決まった大倉が、久野の真意を確かめに来ます

身請けして自分の妻にならないかと…

久野は有難いお話ですが年季が明け、自由の身となって

何時になるかもしれませんが、その時は貴方をお訪ねいたします

その時によく頑張ったねとおっしゃってくだされば

私の一生の生きる力になります

きっぱりとこの話を断るのでした

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もう長くない雪乃のことを思って久野は

二人で夢見た花魁道中をやってもらえないかと鉄之助に持ち掛けます

鉄之助も話に乗り組合に諮りました

なんと吉原の組合でも絶えて久しい花魁道中で

吉原遊郭をアピールしよう、費用は組合で持つと話がまとまりました

皆の前でいきさつを話す鉄之助も

花魁道中の花魁はうちの御職、紫に決まったと誇らしげに皆に伝えます

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花魁道中は桜の咲く4月に決まりました

雪乃も何とか久ちゃんの道中姿を見たいと思いを馳せます

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明治44年春  久野も雪乃も早や4年の歳月を吉原で過ごしました

花魁道中は夕凪楼からの出発です

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嬉しそうに眺める雪乃

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晴れやかな久野

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一世一代の晴れの花魁道中の華を射止めた久野ですが

その脳裏には、吉原で散っていった花魁たちの哀しい生き様

地獄の生活の中でも懸命に生きている女たちの叫びを

世間を見返したい一心で一歩一歩、歩むのでした

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華やかな花魁道中に冷めた嫉妬の目で見る女がいました

首元に傷のある鶴尾でした

鶴尾はあまりにも自分との境遇の違いを嫉妬し

その憎悪が夕凪楼に火を放ってしまいます

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明治44年(1911)の吉原大火で吉原を火の海と化し全焼してしまいました

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久野は雪乃の部屋に駆けつけました

雪乃は笑顔で、久ちゃんありがとう、久ちゃんに会えてよかった

久ちゃんの道中きれいだった

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久ちゃん、私の花魁道中も見てね

雪乃は燃え盛る炎の中に、いつしか二人で見た

外八文字の仕草で去ってゆくのでした

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明治から大正に入ります

大正2年(1913)久野が吉原の大門をくぐって6年

晴れて年季の明けた久野が一軒のお宅を訪問します

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訪ねた先は大倉修一郎の許でした

今更迷惑でなかったかと畏まる久野に

大倉は、優しく

今までよく頑張ったね、待ってたよ、ずっと…と修一郎は

労いの言葉をかけるのでした

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その後、二人は結ばれ

二人の間に生まれた娘の名は雪乃と名づけられました

ナレーションは奈良岡朋子さんでした

  桜  ブーケ1  チューリップ赤  

貧しさのために身を女郎に売られ

二度と吉原から出ることもなく死んでいった女郎たち

投げ込み寺といわれた箕輪、浄閑寺には

その数、2万数千人に及んだとあります

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いい作品でした


ありがとうございました