2016(平成28)年10月30日(日)
朝食はバイキング 7:00
8:00にホテルを出ます
秋季高校野球東海大会は今日、10:00から 静岡高校 ― 至学館が
組まれていますが
甲子園という大目標を達成した後の試合で
折角、静岡にまで出てきたので
昨夜からakkunnと相談の結果、静岡を見て帰ろうと意見が一致しました
静岡鉄道、新清水駅から新静岡まで出ましょう 8:05分
静岡~清水間、11kmを所要21分間で繋いでいます 300円
車内のポスターも吊り輪も、ちびまる子が目立ちます
車内放送も、まる子風に間延びしたアナウンスでした
まず駿府城に向かいます
右側に中堀、その先に城らしき建物が見えます 8:40分
どうやら東御門です
東御門の先の巽櫓です
静岡県庁別館21階建て110m(静岡県警本部)のビルが目立ちます
巽櫓から東御門方向です
平成8年(1996)復元されました
城壁と堀の景色はいいですねー
お連れさんのattu君です
東御門
入場してみましょう
駿府城の経緯です
駿府城は別名、静岡城とも府中城とも言われています
14世紀、室町幕府により駿河守護に任じられた今川氏が
この地に今川館を築き、この地を治めていました
16世紀に入り、隣国甲斐の武田氏の駿河侵攻(1568年)により今川氏は駆逐されます
戦国大名としての今川氏は
桶狭間の戦い(1560年)から僅か8年で滅亡し駿河は武田氏に領国化されます
現在は駿府城公園として市民に開放され日本の歴史公園100選の一つです
武田氏の支配下に置かれた駿河ですが
信玄公亡き後、武田勝頼は天正10年(1582)織田、徳川勢により絶滅
駿河の武田氏遺領は徳川が領有します
天正13年(1585)、家康は駿府城を築城
その後、天下を統一した秀吉により関東に国替えを命ぜられるまでの
4年間を駿府城で過ごします
(家康のあとに豊臣恩恵の中村一氏が入城しています)
江戸で幕府を開いた家康は秀忠に将軍職を譲り
自らは大御所となり晩年の10年間を駿府城で過ごし
元和2年(1616)この駿府城で亡くなりました 享年75歳でした
当時の駿府城下の町割りが記されています
家康にとってこの駿河の地は
竹千代として呼ばれた7歳から18歳まで人質として今川家に送られ過ごした地です
本丸堀です
本丸跡と家康公像です
公園内には多くのテントが張られています
秋祭りの大イヴェント11/3~6の25回大道芸ワールドカップin静岡のためでしょうか
石垣工法が掲示されています
平成26年に復元された坤櫓(ひつじさるやぐら)です
西門橋から外に出ます 9:10分
坤櫓と家康公の散歩道
駿府城を後にします
市内バスでJR静岡駅に向かいます
東海道本線で浜松に向かいます 1320円 9:30分
JR東海の各駅です
終着島田駅でしたので乗り換えです
浜松到着です 10:55分
静岡県第一の80万都市です
浜松城までは市内バスを利用します
11:15分
大きな駐車場が完備されています
大きな建物はホテルコンコルド浜松です
詳細図です 11:30分
浜松城を目指します
見えてきましたね
家康公の銅像もあります
浜松城です
浜松城は家康が遠州攻略の拠点として築いた城で
元亀元年(1570)6月に入城し17年間在城した城です
家康の後
城主は徳川譜代の大名が勤め、在職中に老中にまで栄進した人が多く
世の人から出世城とも云われ
なかでも水野越前守忠邦はよく知られています
(江戸265年間、浜松城の藩主は22代、約12年毎の藩主替えでした)
石垣は野づら積みです
現在の天守は昭和33年(1958)
望楼型3重4階の鉄筋コンクリートの模擬天守です
天守入館は200円
ところが今日は右ひざの裏側が痛くて
あがる気力もなくパスしました
11:40分城をあとにします
昼食は浜松駅ビル群の一つの食堂街
浜松餃子とつけ担々麺のセットで980円(税別)
窓際で眼下に浜松駅の景色が眺められます
浜松は日本の知恵と技術の街だと私は思っています
日本楽器、カワイの楽器生産の街でもあり
ホンダの創業の地でもあり、スズキもヤマハもこの地の発祥です
また光関連の企業としてホトニクスという会社もこの地から
産声をあげています
日本の未来の頭脳を産出する地だと思っています
浜松駅です 13:20分
浜松から名古屋まで新幹線 4420円 13:28発
名古屋から近鉄特急松阪着が15:50分
予定より早く帰宅したため
松阪巡回鈴の音バスに乗ります
乗車は100円均一です
思いもかけぬ右ヒザ裏の痛みでした
有難うございました