2016(平成28)年9月23日(金)  雨 / くもり

一か月ほど前、ネットで申し込んであった

クラブツーリズムの

愛知3つの産業観光めぐりの日です   6980円

あいにくの小雨模様    津駅東口7:50分集合です

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6:30分家を出ます 駐車場 400円   近鉄、松阪7:05分発で津駅に       

7:40分  既にバスに乗り込んでいます

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7:50分にはバスが発車です

クラブツーリズムの添乗員さん sigeuraさんバスは三重交通、運転手はoguraさん  

45名参加の満員御礼です

席は添乗員席の後ろ、前から2番目です

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左側に建設中のサオリーナ

2018年のインターハイ、2021年の国体に向け

屋内スポーツ施設建設中で国民栄誉賞の吉田沙保里選手からネーミングしました

サオリーナのほか三重武道館

三重の大規模産業展示会のメッセングみえを併設しています

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伊勢自動車道、津インター入口  8:05分

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トイレ休憩  8:45分   もう傘は不要ですね

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名古屋都市環状、名古屋駅前ビル群です   9:15分

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テレビ塔も見えます

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まず最初の訪問は三菱東京UFJ銀行の貨幣資料館

三菱東京UFJ銀行の概略です

三菱UFJファイナンシャルグループ傘下の子会社、都市銀行では最大手です

三菱銀行と東京銀行の合併は2001(平成13)年

系列の三菱信託銀行、日本信託銀行とともに三菱東京銀行を設立します

もう一方のUFJ銀行は三和銀行(関西地盤)と東海銀行(中京地盤)が

2001(平成13)年に三和系の東洋信託銀行を交えUFJ銀行として発足します

三和銀行のダイエーに関する不良債権1兆円

東海銀行陣営への冷遇から内紛が起こり

その解決策として三菱東京が救済合併をし三菱東京UFJ銀行誕生の歴史です

これは名古屋東支店です

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バブル期1986(昭和61)年12月~1991(平成3)年2月までの51か月間に

過剰投資した日本の銀行は

不良債権で急速に体力を失い、国際競争力も失いつつあります

その解決策として1996(平成8)年、第二次橋本内閣は

金融ビッグバンを提唱、2年後に独禁法、持ち株会社設立等の法整備を完了します

その矢先の1997(平成7)年には北海道拓殖銀行、山一證券が破綻

1998(平成8)年には日本長期信用銀行、日本債権信用銀行が相次いで破綻

多くの金融機関に経営不安が囁かれだしました

こうして1970年代から1980年代に

都銀13行、大手20行と呼ばれた各行は段階的に劇的な合併劇を繰りひろげます

ライバルであった三井と住友が手を結び三井住友銀行

第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行の三行がみずほ銀行に

前述の三菱東京UFJ銀行と合わせ、3大メガバンクとして生き残りました

国策上の延命でしたが

この影響をまともに受けたのは預金金利引き下げの波をもろにかぶった

我々、国民でした

前方が三菱東京UFJ銀行貨幣資料館です、東区赤塚町

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入館 無料  9:00~16:00

休館日  月曜、祝日と年末年始です   9:30分

写真撮影OKです

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金の生る木に大判小判がぶら下がっています

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昭和60年(1985)、平城京跡(710~784年)の井戸底で見つかった1枚の貨幣

その後平成3年、5年に平城京以前の藤原宮(694~710年)の道路側溝からも見つかり

富本銭(ふほんせん)こそ日本最古の貨幣ではないかと考えられています

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次々と富本銭が各地で出土していますが絶対数が少ないです

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和同開珎

(わどうかいほう、わどうかいちんと2つの呼称でよばれどちらでも可です)

708年(和同元)8月10日、わが国初の鋳造、発行された銭貨で

日本で最初の流通貨幣といわれ皇朝12銭の1番目に当たります

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和同開珎には古和同と新和同の2種類が見つかっています

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平城京(710)から平安中期の天徳2年(958)までの

250年間に12種類の銭貨が発行されました

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江戸時代の両替商、現在の銀行の前身ですね

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大名や商人に預金や貸し付けを行い

金、銀、銅の貨幣を藩札に両替したり遠くの商いの決済に為替業務もしていました

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今日、ご一緒の面々、同世代が多いです

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江戸時代から明治維新まで京都二条城のお金蔵に格納されていた萬両箱

箱だけで150kgあります

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大判、小判コーナー

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戦国時代、各地の武将は軍資金獲得のため盛んに鉱山開発に乗り出し

種々の貨幣を流通させました

中でも甲斐の国、武田信玄は領地で採れた金で独自の貨幣を造り

戦場で手柄のあった者に自らこの甲州金を与えました

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秀吉が造った天正大判、世界最大の金貨です

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1830年代(天保期)に入ると日本の人口は2700万人

江戸は100万人を有する大都市となりました

貨幣の流通量が増大し、幕府は天保8年(1837)天保5両伴を造りました

金84%と高品位ですが重さが34g(天保小判11g)のため不評をかい

6年後には発行を中止しました

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大判には所持していた藩の刻印も押されています

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江戸時代、徳川幕府時代の貨幣です

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1億円の札束10kg   千両箱15kg(箱6kg含む)

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軽いものです

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布製の紙幣、これが最初で最後です

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紙幣に移ります

右上より明治5年の旧5円券(田植えと稲刈り)

2円券(新田義貞と児島高徳)1円券(田道将軍と兵船)の兌換紙幣で殆ど流通しませんでした

左上より明治10年発行の 5円券、裏に大黒様が描かれています

1円券です

明治11年までは各銀行が紙幣を発行しました

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左上より明治14,15,16年発行の20銭、50銭、1円券、右上より10円、5円券

肖像は神功皇后です

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左上より明治19年の5円券(大黒像)と同じく明治18年の1円券

通称1円大黒は現在、通用する最古の紙幣です

右は明治18年、10円券は強度を増すためコンニャク粉が入れられていましたが

それが災いし虫やネズミの食害に多々あいました

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左上より

明治21年5円券(菅原道真)文銅が描かれているため文銅5円と言われました

明治22年1円券(武内宿祢)、紙幣番号が漢数字であったため漢数字の1円と言われました

右、明治23年10円券(和気清麻呂)

周囲に8頭の猪が描かれ表猪と呼ばれています

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明治30(1897)年、日本はこれまでの銀本位制から

金本位制に移行しました

左上より明治32年10円券(和気清麻呂)いのししの10円札と言われました

明治32年5円券(武内宿祢)中央に肖像があり中央竹内と呼ばれました

明治43年5円券(菅原道真)大黒の透かしが用いられました

右は明治33年100円券(藤原鎌足)裏面が紫であったため裏紫の100円と言われました

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大正3年7月第一次世界大戦勃発

戦場が欧州であったため日本は好景気に沸き経済が急激に膨張し

少額の貨幣が猛烈に不足しました

釣り銭に切手、葉書、マッチまでもが使われ政府は急遽、小額紙幣の増産に着手しました

左上より大正6年50銭券、20銭、10銭券です

中央は大正5年5円券(竹内宿祢)初の三色刷りです

大正5年1円券(武内宿祢)明治22年と同じですがアラビア数字になっています

左は大正6年20円券(菅原道真)

大正4年10円券(和気清麻呂)肖像が左側に描かれた唯一の紙幣です

当初、透かしの予定でしたが技術不足で変更となりました

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左上から昭和5年100円券、聖徳太子と夢殿。裏面は法隆寺

昭和6年20円券、藤原鎌足、裏面は談山神社

昭和5年10円券、和気清麻呂、裏面は護王神社

昭和2年200円券、竹内宿祢

昭和金融恐慌が起こり取り付け騒ぎが起こり

片面印刷の紙幣を造り裏面が省略されたことからウラシロと呼ばれ

造りも粗雑で偽札扱いされすぐに回収されました

同年、裏面に赤い文様が描かれウラアカと呼ばれましたが

これもウラシロ同様急場しのぎに造られ預金者払い戻しに備え

銀行に届けられたものの預金者に渡らず日本銀行に死蔵されました

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左上より昭和17年200円券、藤原鎌足と談山神社拝殿、裏面は談山神社13重塔

昭和17年5円券、菅原道真と北野天満宮、裏面は護王神社

右、昭和17年1000円券、日本武尊と建部神社

終戦直後の昭和20年8月17日、流通が開始されましたが

新円切り替えに伴い翌年の3月2日限りで1年ももたずに失効となります

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左上より昭和17年、18年の5円券、

ともに菅原道真と北野天満宮、裏面は護王神社

昭和18年1円券、竹内宿祢、裏面は宇部神社

中央上より

昭和18年10円券、和気清麻呂、裏面は護王神社

真ん中は上と同じも通し番号無しです

一番下は昭和20年10円券、和気清麻呂、裏面護王神社

新円切り替えで流通1年

昭和19年100円券、聖徳太子と夢殿、裏面法隆寺

昭和20年100円券、聖徳太子、裏面法隆寺

新円切り替えで1年もたず通用停止

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昭和の小額紙幣です

左上より昭和23年50銭券、板垣退助

昭和22年10銭券、ハト、裏面国会議事堂

昭和23年5銭券、梅花

真ん中上から

太平洋戦争で金属が不足、小額紙幣の発行も粗悪品多いです

昭和20年改正50銭券、靖国神社    昭和19年10銭券、八紘一宇塔

昭和19年5銭券、楠正成

右上より昭和13年50銭券、富士に桜

昭和17年50銭券、靖国神社

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日本政府は昭和21年2月、インフレ防止のため

金融緊急措置令と日銀券預入措置令を突如布告

2/25~3/2の6日間で全国民は5円以上の紙幣を残らず

金融機関(郵便局、銀行)に預け入れよという内容です

その後は、封鎖預金から1か月、世帯主に300円、その他の家族

一人に付き100円を加えた金額を限度として

引き出すことを許し、引き出した紙幣に証紙を貼り新札と見做し通用させました

一挙に流通量を止め、新円への切り替えを行いました

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新紙幣です

上段は昭和21年100円券、聖徳太子と夢殿、裏面は法隆寺

下段左より

昭和21年10円券、国会議事堂

昭和21年5円券、表裏とも彩文

昭和21年1円券、二宮尊徳

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上段左から

発行、昭和25~38年、聖徳太子、裏面法隆寺夢殿

昭和26~44年、岩倉具視、裏面富士山

下段左から

昭和28~47年、板垣退助、裏面国会議事堂

昭和26~30年、高橋是清、裏面日本銀行

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お遊びコーナー

私の背では1億6800万重さは8億くらいです

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旧くなった紙幣はリサイクルされます(2~3割)

後方の壁は1万円札で7000枚の数が必要です

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現在紙幣の偽札予防の新技術です

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2000円札のマイクロ文字です

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1000円札のすかし

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5000円札の特殊発行インキ

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日本の貨幣

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あと世界の貨幣コーナーもあります

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あと撮影不可ですが広重の東海道53次の版画も展示されています

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見どころ沢山の貨幣資料館でした

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10:10分資料館を出ます

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この界隈の施設です

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参考です

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続きます